オリンピック開会式を見て思ったこと
今日、というかさっきまで、まさに東京オリンピック2020の開会式が行われていた。
見ていてたくさん感じたことや思ったことがあったので、それを書いてみます。(完全に1個人の感情です)
コロナで選手たちも不安だろうに、出場してくれてありがとう
確かに、どの競技も比較的選手生命は長くなく、
逃したら上を狙えない・もう出れないというのもあるが
安心とは言えない世界情勢の中来てくれただけでありがとうだよなぁと思った。
そして、NHK大河ドラマの『いだてん』好きとしては
泣けるシーンがたくさんあった。
(作品を利用しているという意見があるのは知った上で言ってます)
まずは聖火リレーを中村勘九郎さんが、
足袋シューズかつ金栗四三ヘアで走ったこと。
そして開会式での、森山未來さんのパフォーマンス。
よかった。
そしてここは私の涙腺ポイントだったわけだけど、
各国選手団入場が一番泣けた。
『いだてん』でのオリンピックの歴史や、
1964年時の東京オリンピックまでの経緯は予習ずみだったので
思わず泣いてしまったシーンがちょこちょこあった。
まずは、入場が50音順だったこと。
これは、過去の東京・長野・札幌の時もそうだったらしいが、
その国の発音や表記での順番に拘ったのは、
日本語圏以外では訳分からなかっただろうが、
もっと日本語を大事にしたい、と思った。
そして、出場選手団の入場!
1912 年のストックホルムで日本選手は2名(金栗四三と三島弥彦)
だったからこそ、人数の少ない選手団や初出場の選手団を見るだけで泣けてしまった。
さらにはインドネシア選手団🇮🇩
1964年の東京オリンピック前、インドネシアで開催された国際競技会。
当時の政治情勢から、中国とイスラエルの選手にビザを発行せず、
出場させなかったため、ICUから資格停止処分が下る。
東京オリンピック前に一度は解除されるも、
また別の理由から資格停止処分が下り、出場できなかったのである。
つまりインドネシア選手団は東京オリンピックへの出場は初だったのだ!
(いだてんの作中では確かここで、
田畑政治が次は出てもらおうな…!と言ってた気がする)
そしてそして、
ザンビア選手団🇿🇲の入場も涙が出た。
ザンビアは、1964年の東京オリンピック当時、まだ存在していない。
開会式は、イギリス領である北ローデシアとして出場しており、
東京オリンピックの閉会式当日に、ザンビア共和国として独立を宣言したのだ。
もともと、その可能性が強かったので、用意されていたザンビア国旗で
彼らは閉会式に出場した。
という話がいだてんでも話されていたのだが、
今回の開会式でザンビア選手団入場時にその話が出て
これまた感動で泣いてしまった。
まぁこんな感じで開会式見ながらちょいちょい泣いたわけだけど、
最終的に感じたこととしては、
開催前にというか今も政府や何やらにたくさん文句があったり
問題が起きて人が辞めたりがあったわけだけど
そもそもオリンピックって、
招致するのも開催するのも簡単なことじゃない。
何より、このコロナ禍で開催することは
開催国がどこの国であったとしても絶対に難しかったはずだ。
だから開催するいう決断をした部分は評価に値すると思う。
そして、ここからは
無事に閉会式まで走り抜けなきゃいけない。
(無事がどういう意味かは分からないけど)
ただし、オリンピックが終わってからも、
国全体の意識のアップデートのされてなさなど
国として改善しなきゃいけないことはたくさんあるよね…
と色々考えさせられた開会式だった。