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そうしてあたしは母になった




メールを開いて、『スキ』の通知をみて
自分がnoteをやってたいたことに気づく。

4月上旬、3700gの男の子をうんだ。
出産してから気づいたら4ヶ月近くたっていた。

すごく濃い4ヶ月だった。
人間としての能力がレベルゼロだった息子が
いまは両手を自分のものとし、おもちゃをならし、
身体の機能を確かめるように、寝返りをして、うまくいかず泣くようになった。
顔をみて笑ってくれるし、あやせばケラケラ声を出す。
気に食わないことがあれば泣いて、大人を操作する。
赤ちゃんとこんなにもコミニケーションがとれんだ、とびっくりすることもある。

出産は予定日より1週間超過し、促進剤を打っての出産になった。
初産は遅れると言われたし、未知なる痛みがいつくるかわからない不安から、出産日が確定したことに安心した気がする。

当日は旦那とお母さんが立ち会いにきた。
お母さんは正直家で待っていてほしかったけど、孫見たさに遠回しの拒否が伝わらなかった。

お母さんは私含めた兄弟全員を帝王切開で出産しており、立ち会いを『見てみたい!』って言っていて
私は『見てみたいでくんなよ(笑)』と思っていた。
結局は病室で待っていてもらって、分娩室は旦那のみになった。

前日にバルーンをいれて子宮口を開く。
ただ、私はその時点で子宮方が3-4センチ開いていたから、あまり意味がなかった。

朝9時に促進剤の点滴を開始。
緊急手術になる可能性もあり、前日から絶食、当日朝から絶飲。
陣痛の合間におやつ食べれるという噂は都市伝説となった。
(陣痛の合間に食べるおやつを真剣に考えてたのがアホだった)

午前中にはほぼ全開になっていた。
そのときまで、痛みはあったけど、余裕はあった。
ああ、これならまぁ平気。思ってたより余裕ある。

だけども、だけども、
全く力む感覚がない。降りてくる感覚がない。
痛さだけが増すし、絶飲絶食のうえ体力と精神力が削られる。

時間感覚が麻痺し、ぷつりと自分の精神力が切れた。
なかなか降りてこないことに不安と恐怖、痛さに耐えられなくなり、
今すぐ切ってほしい。無理です。と懇願するようになった。
『赤ちゃん元気だから切る理由ないよぉ〜もう少しよぉ〜』と言われて流される。

シンプル無理。

そのうちまた自分の中で何かが壊れ、
『え。これ、死んだ方がマシじゃん。
なにこれ、子供を望んだ罰?私が子供を望んだ罰?その拷問なのかな。卵管造影検査も痛かったし毎月の生理も辛かった。ずっと辛いのなに?もう死んだ方がいい。無理。殺してほしい。無理。』

と、比喩表現抜きで、本気でナチュラルに思った。

助産師さんの励まし、べそべそしている旦那をガン無視して、死に方を探した。なかった。

分娩を促すために、歩かそうとされ、隣の部屋に見える窓から飛び降りることを希望として、たかが数メートルの距離を1時間くらい支えられて休んだりしながら陣痛の合間をぬってよちよちしているうちに
降りてくる感覚、力む感覚があり、私の中で希望がみえた。
時間が16時くらい。それからはあっという間で、ない体力を絞りだして力んで、力んで、17時すぎに、生まれた。
先生の『でかいな。これ、頑張ったね。』の言葉が忘れられない。

前日のエコーでは3300くらい。あっても3500だよ。と言われたら赤ちゃんが、3700あった。
視界に入る赤ちゃん、でっか。と思った。感動はなかった。おめでとうと言ってくる旦那と母親に、何がおめでとうだよ。こっちは死にかけてるのに。ふざけんなよ。と思った。
とりあえず、自分が生きるギリギリの体力しかなかった。
カンガルーケアも、短時間でいい、って言ったのになんか無駄に長かった気がする。勘弁してほしかった。
そのくらい疲れてた。
出てきた赤ちゃんは死んだ親父ににてた。そっくりすぎて、うわぁ。やらかしたわ。と思った。笑った。

出てきた瞬間、『頑張ったね。』って言われた気がした。自分の思い込みなのか、親父なのか。はわからない。けど、亡くなってから存在は感じていた。

胎盤を出され、切ったところを縫われながら
無力だな、、と感じた。

病室に戻り、そのまま寝ようと思ったけど疲れ+尿意で寝れなかった。
貧血もあって、ひとりでトイレに行かれなかった。
支えられて、ドア全開でトイレに座っても、出なかった。
おしっこの出し方がわからなかった。

そんなことをやっていたら、管で抜いてくれるということで、ふたたび分娩台に寝かされ、おしっこを抜いてもらった1リットルでた。

そしてやっと眠ることができた。

次の日になり、少しだけ赤ちゃんと対面した。
『おー。』としか思わなかった。
そうとしか思わなかった自分が怖かった。
私も旦那も綺麗な二重なのに、赤子はむくみもあって重たい一重だし、大きいし、なんかいかつい。
かわいいと思えなくて少し焦った。
その日の午後、はじめて授乳するのに、部屋に連れられてきたとき、沐浴のあとなのか、ふわふわしていた。朝よりむくみが少なくて、ちまっとした気がした。
その瞬間ぶわぁっっっっと気持ちになにかがあふれ、かわいい。愛おしい。という気持ちが溢れた。恋に落ちた。そんな感じ。
これを母性というならすごいなと思う。

そうやって、私は、とりあえず『母』になった。

死にたいと思いながら陣痛に耐えている時、
私は『マイナスをエネルギーにして生きてくんだな』と思った。

いままでの人生、マイナスなことをバネになんとかやってきた。
若さゆえの毒親に育てられ、経済苦や家庭環境もなかなかで、このままじゃ繰り返す、弟、妹のためにと、いろんなことを反面教師に、と心に決め、専門的な知識をつけて、そのまま職についた。

仕事も辛いことばかりだったけど、やるしかなかったから続けた。
やり甲斐とか、夢とか憧れなんてなかった。やるしかなかったから。
そうやって、私はマイナスをエネルギーにしていくんだな、これからも。


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