【こう考える】「痛い」と言われたら
ちょっと前のnoteで、「痛いと言われる行動」について少し触れさせていただきました。
今回はそれと関連がある記事です。
noteでもYouTubeでも、媒体はなんでもいいのですが、発信活動をされている方は、直接の知り合いやネット上でしか付き合いのない匿名のユーザーさんたちから、時折、「痛い」とか「みっともない」とか言われたり、クスクス笑われたりすることってあったのではないかと思います。
実は僕も学生時代、ブログをやっていた時期がありましたし、Xに至っては、旧Twitter時代から15年以上、運用しています。
ブログをやっていた頃は、まだオンライン上でそのような発信活動をすることが一般的な時代ではなかったこともありますが、時折、知り合いと会ったときに、
「痛い」とは言われないものの、ニヤニヤしながら「見てるよ〜」みたいな感じで言われました。
もちろん、当時の僕の投稿内容に人をニヤニヤさせてしまう要素があったのかもしれませんが、それとは切り離して、発信活動それ自体に対してそのような態度を取ってくるのはどうなんだろう?
と正直、よい気持ちはしなかった覚えがあります。
なぜこんなことをつらつら書いているかというと、今の時代、世の中への発信やアウトプットって、していった方がさまざまなメリットを享受できると思っているからです。
発信内容にはもちろん配慮が必要ですし、
「痛い」
と思われてしまうかもしれないですけれど、なんでしょう。
たとえば普段から寂しさを感じている人とか、何か伝えたい想いがあるのに悶々としている人こそ、「痛々しい」と思われたり、多少くすくす笑われても、勇気を出して発信活動をした方がいいと思います。
「笑われるから」と何も言わないようにすると余計に寂しさは募りますし、いつまでも悶々とした気持ちは解消されません。
笑ってきたり、みっともないと言ってくる人たちが自分の人生の責任をとってくれるわけではないです。
どれくらい辱めを受けているかにもよりますが、それが一部だけならばその人たちの主観的な考えに過ぎないので、気にする必要はないと思います。
どんどん自己表現をしていってください。
その方が自分の思考も整理されますし、人間関係も豊かになります。
それによって収入が増える可能性すらあります。
今の時代、ちょっとネット上で発信しているくらいで「痛い」とかくすくす笑ってくる人なんて少ないとは思います。
ただ、何かを発信したくて、でも恥ずかしくてできない人のために、老婆心ながら書いてみました。