「嫌われる勇気」よりも今は……
2013年に刊行されてベストセラーになった本に『嫌われる勇気』というタイトルのものがありました。
僕がこの本を読んだのは、2015年くらいだったでしょうか。
平易に書かれていたので内容が入ってきやすく、書かれていることも一面では納得できました。
僕は続編の『幸せになる勇気』も読んだので、良本だと思います。
それゆえ、今回の投稿には両作品の内容やその著者様を貶す意図はありません。
『嫌われる勇気』自体も、実際に読んだところ、タイトルの「嫌われる」というのをそれそのままの意味で使用しているわけではないと思いました。
ただ僕は、あえてこれをそのままの意味で使うとしたら……
「嫌われない勇気」
の方が、特に今の時代は大事なのではないかと思います。
「嫌われる」と「嫌われない」では、これは少数派の意見なのかもしれませんが、今までの経験上、「嫌われる」方が簡単な気がするんですよね。
あまり圧の強い言葉を使用するのは憚られますが、気に食わないことがあったとき、その感情を抑えずに攻撃的な口調で意見をしたり、喧嘩を吹っかければ、好かれる場合もありますけど、大抵はすぐに嫌われる。
そしてそれは決して正解ではない。
たとえ気が立っていても、プロジェクトを成功に導くためには、迂闊に怒ったりしないで円滑な関係を保つことが必要です。
これはお仕事以外の人間関係にも言えることだと思います。
人とちゃんとした関係を構築したいなら、相手の意見をしっかり聞いて、こちらの意見も相手を思いながら、伝わりやすいように言う必要がある。
無闇に喧嘩したり、関係を切ったりするのは、すぐにできることだけど、それをやって嫌われても気にしない、では、良い関係を作り、それを長く続けていくのは難しいのでは。
だから「嫌われない」って、意外と苦労や気遣いが要る作業で、「嫌われる」よりもっと“勇気”が要ることなんじゃないかな、と思います。
加えて今は、SNSの普及によって一億総監視社会になったせいか、クリーンなイメージを保つことが重要になってきています。
でも、人間って多面的だし、僕も含めて聖人君子なんてほぼ存在しない。
ただ、今は一昔前のような、結果を出してさえいれば野放図な生き方をしても良いという時代ではなくなりました。
その意味で、「嫌われない」って「嫌われる」より面倒臭いしエネルギーを使う。
「嫌われない」ために、度胸を発揮しなければいけない場面が、特に現代は多々あると思います。
「嫌われてもいいから本音を言う」
というのも大事ですけど、
「嫌われずに本音を言う」
こともできるんじゃないかな、と思いました。