演じる、ということ

朗読の勉強会では、ゲーム感覚で演劇の基礎の基礎を体験するということが続いています。

先日の勉強会では、演劇の即興性と規則性というものについて学びました。

講師の方が、テニスに例えてとても分かりやすく解説してくださり、演劇のことを何も知らなくても「ああ、なるほど!」と膝を打つような感覚がありました。

ラケットでボールを打つスポーツである=規則性

そのルールに則ってボールを打ち合う=即興性

このことを頭に置いておいて、参加者でペアを組み、どちらか一方が言葉を発しないで体を使ったジェスチャーのような動きをしたら、もう一方がそれに反応する、ということをしました。
反応する側は同じことをしてもいいし、それに呼応してもいい。自由です。

私は小学生の頃になわとびがやたらと盛んで、休み時間になるとみんなが一斉になわとびの練習をしていたことを思い出したので、なわとび遊びをしてみようと思い立ちました。
一緒に練習をしてもいいし、「お入んなさい」と誘って二人で跳ぶのもいいなと思いながら。

しばらく跳んでいたら、どう反応しようかと少し考えていたペアの人が私の"見えない"なわとび遊びに入ってきました。
二人で顔を見合わせて、子どもの頃に返ったような無邪気な気持ち跳んでいると、ぐっとハートが疼くような感覚がありました。

そのとき、演劇って何の脈絡もなく、突拍子もなく誰かのふりをしてふざけるようなことなのかなと思い込んでいた、ということに気づきました。だから抵抗を感じていたんだということも。

演じるって、他者の声や動きを受け取って返すということを繰り返す、人間にとって極めて自然発生的で根源的なものなのではと、ハッとしたのです。
しかも、演じるということには台詞などの決まりごとはあっても、それをどう表現するのかということには正しいも間違いもありません。

私が求めていたのはこの感覚だったんじゃないかと目が覚めるような思いがしました。

言ってもわかってもらえない
誰かに褒められる、認められるという体験でしか自分を計れない

朗読を学び始めてから、私の中の重い扉がぎしぎしと軋みながらも少しずつ少しずつ開いているのを感じます。

朗読や演劇は、人とのコミュニケーションに苦手意識がある人に体験してもらいたいと思いました。そして、自分自身とのコミュニケーションに困難を感じている人にこそ。

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