ブラックスターとジャズの再評価
ブラックスターの反響
インターネットに考えや個人を殺されてることに気づいていない人たち
皆もう一度原爆を落とされて反省すればいい
日本人は猛烈な内省を好む傾向にある
死が人間を彫刻化させるのはディヴィッドボウイの例をみれば明らかだ
死の恐れと死への軽蔑 死者への敬意を作るのは その生き方と死に方の検証をメディアが創る 死がビジネスを生むことは当然あるのだが それはアーカイブ化になるので これから先 ボウイが創りたいものというものはこれから生まれてこない せいぜいイーノがマスタリングをすれば当時のファンは喜ぶものだ
ブラックスターを聴き込んだ感想はサウンドもそうだがジャズ的なビート感やサックスなど近年のモードであるジャズ再考が取り入れられているがとても恐れを感じるようなそして物悲しいサウンドだった
それはポピュラーミュージックでは聴いたことのない類のもので死によって完結する物語を執筆したジギーの恐ろしい表現欲求
それはもちろん死を予期したものだった
ダンスミュージック(ヒップホップ ハウスなど)が行っていたいわゆる例えばジャズヒップホップの「ジャズとはなんぞや」という処ではジャズの歴史は古くの古くは私は知らないがスイングカルチャーが過激で暴力的だった時代からポピュラーな歌の時代 そしてロックなどが現れてきた頃にはジャズの中にもオルタナティブが存在し始めたということ その再考をフライングロータスやケンドリックラマーが塗り替えた
フライングロータスはJディラの影響の濃いドープなヒップホップにはまりジョンコルトレーンの実の血を引いていた彼はプレフューズにワープからのEPを絶賛され「1983」リリース シンセの使い方は浮遊感があるが時にゲーム音楽の影響を感じさせビートの使い方はクオンタイズの概念を更新した そして「ロスエンジェルス」でビートのあり方を更新させる深いアンビエンスと彼のチルな精神 大麻の影響を感じる ボワっとした音使いは新鮮でドープな音を求める人なら一度は聴いてみるのがおつだ しかしフライングロータスはここで深さを追求していくタイプの人間ではなかった
「コズモグランマ」は超音圧と攻撃的なビート オーケストラサウンド 音を汚すというサンプリングという手法を使った人なら誰もが試してみる方法論 サイケデリック ここには革命が詰まっていた
私は衝撃を受けた 自分なりにコズモグランマの音に影響を受けた この音はまさに彼がマイルスと比較される所以で常に新しいモードを取り入れる姿勢がそうだ
次のアンチクワイエットカムズはダブステップも取り入れ ジューク トラップなど808の音も取り入れた(DAWを変えたことによってか音質はハイファイに)この曲を聴いてほしい https://www.youtube.com/watch?v=SuQGfk9Gmgo こういう書き方をすると難しい音楽なのだなと思われるかもしれないが彼はこういうまさにゲーム音楽リスペクトポップスも作れる フライングロータスはプロデューサーといったほうが正しい側面もあるのだが ただ流行に乗っかった音楽では決してないし彼の音楽はテクノファンもジャズファンもロックファンも熱くさせる普遍性と裏付けがある フリージャズに振り切ったと言われる「ユアデッド」では盟友サンダーキャットや自身のラッパー名義キャプテンマーフィ(フリーのミックステープあり)さらにはハービーハンコック ケンドリックラマーを従え コズミックジャズをやってのけた 個人的には好きな作品ではないがすごさは一番だと思う
特に生音が増えたことによって現代のマイルスと呼ばれるようになった生まれも耳もいいしなるべくして そして妥協を許さない心がフライングロータスをテクノ界のオルタナであり続けるワープのトップからエイフェックスツインやスクエアプッシャーなどを押し分け事実上一番脂に乗っている人物だと確信させた
ジャズのクラブミュージックからのアプローチというのはクラブカルチャーと共にあるもので何を今更という方もいらっしゃるかもしれないですけれどジャズとはなんぞやとは 「クールとはなんぞや」という処にあると思われますジャズのクールな構築美を今過去のアーカイブを通して新しいものとして深化(ドープ)ではなく進化させるそこにあったのだと思います マッドリブのようなアーティストがドープを追求していたのに対してある意味では進化的な構築美を創り上げた そこにあるのではないでしょうか
ボウイは生前ブラックスターのサウンドにはケンドリックラマーの影響があったと言います彼はリアルをまさに現代的構築美で作り上げ媚びない音楽性でグラミーもとりました
しかし問題点というかこのジャズ再考に疑問符をおぼえることもあり それは
ロバートグラスパーに他ならないです彼のサウンドはいわゆるジャズヒップホップを超絶ジャズプレイヤーにやらせなおかつニルヴァーナなどカヴァーしてみせるという点です 彼のニルヴァーナのカヴァーはただジャズプレイヤーがスタンダードをカヴァーしたいう姿勢であっていうまでもないですがジャズドラマーはめちゃめちゃストイックに追求していき現代的サウンドと噛み合わせていくためにはシーケンサーの譜割を超えて手数を入れなければならないという命題がありそういう処が素晴らしいと思うのですが90年代からジャズヒップホップをやってきたザルーツと比べるとある意味技術至上主義がオタク臭く思えてきます 彼らは音響においてそしてジャズへのリスペクトとヒップホップビートを生で叩く聴いたことのない類のチューニング感と非暴力など力強いブラックパワーが内封されています
ロバートグラスパーのいかにもジャズぽっいキーボードの音色と
押し付けがましいヌケの悪いビートは世で傑作とされる「ブラックラジオ」の良さがわからない 玉無しが作ったとしか思えない ジャズ業界からは叩かれてはいますがすぐ追い風にして見せたロバートグラスパーエクスペリエンツはシンガーを中心にしたヴォーカリスト起用で ヒップホップに欠かせないラップを欠いているのです 別にどってことないことやってるだけなのに評価は高いです
思うに
彼を称賛する音楽家は大概イージリスニング的なものも好む傾向にあるといっていいでしょうマイルスなら彼はフェイク野郎といったはず
最後を完璧な形で終わらせると物語が生まれて皆彼をリスペクトしている人達は物語を受給します 別に悪いわけでないですボウイの手の中で踊っているのではなく メディアの手のひら返しが納得できないアースリングとかハワーズとかアウトサイドがイマイチでブラックスターがずば抜けて良いということはないです私はボウイの全作品を聴いたわけではないですがつまりドラムンベースに乗っかったボウイもメランコリーなバラード調を淡々と歌ってもダークな音響とともに醒めしときでも
彼は星なのではなかったのか 星はどこから見ても星です
その輝きは人間が体脈と共にリズムを取っていると同じく輝きもまた息を乱すこともあるだけで天才というものは努力と進化を止めないものでそれを客観視できるときとできないときがあった
つまりボウイは何をやっても彼の中でブレたことがなかった
私たちの認識で挑戦と努力を止めない美傑を一言で片付けたりするのはどうでしょうか ということでした
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