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気づいたら、子どものままで

「海やん…」

過去にいちど比叡山を登ったとき、山頂から坂本の駅まで下る道から、琵琶湖をのぞんでこう思った。そのときは遠くにかすんだ水面を、木々の隙間から眺めただけだった。だから、東京へ行く前にいちどちかくまで行ってみたかったのだ。

先日、滋賀の山奥にある、彼女の祖父母の家をおとずれた。そこは、草津駅を経由してさらに電車を乗り継いでいく「忍者で有名なまち」だった。

そのまちは、照りつける初夏の日差しと、周囲をとりかこむ山々の緑が、いいぐあいに僕たちの移住欲をかきたててきた。もともとは滋賀をふたりで観光したあと、夕方前にちょこっと顔を出すだけのつもりだった。

しかし、祖父母はどうやら夕食の支度をしていて「泊まっていきな」と言ってくれているらしい。彼女が翌日に仕事があるのと僕にいたってはほぼ初対面なので、さすがに泊まりは控えたが、夕食はいただくことにした。

ご飯を食べながら話をしているとき、つやつやの枝豆ご飯があまりにも美味しかったので、僕は遠慮なくおかわりがしたくなり、こう声をあげた。

「ご飯、もう一杯いただきますね」

茶碗を片手に席を立とうとした僕に、彼女の祖母はこう言った。

「ごめんやで。やらせてしまって」

なぜか僕に謝ってきたのだ。食べたいものをじぶんでとることは当然だと思っていたので、最初、言葉の意味がよくわからなかった。

ずっと京都の料亭で女将さんをしていたからなのか。それともこの時代の女性はみんなこうなのか。そういえば、千葉にいる祖母もそうだった気がする。

もちろんありがたい気持ちはあるものの、こういう「生かされている」感覚がイヤで僕は実家をでた。しかし、いま考えてみれば「甘やかされるのが子の役割」なら「甘やかすことが親の役割」なのではないか。

京都に帰る電車のなかで、すっかり暗くなった湖南のまちを眺めながら遠い家族のことをぼんやりと考えていた。

結局、めあての琵琶湖には行けないままである。

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長屋 正隆
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