やれ、と言われるとどうしても
もしそうなったら嫌だなぁ。
最近、街を通っていると、自転車にのるほとんどの人が「ヘルメット」をしている。前提として、僕はほぼ毎日クロスバイクにのっている。しごとのある日も大学までは自転車でいくし、休日であっても自転車にのる。そんなスタイルがきほんなので、1か月のなかで公共交通機関にかけたお金が0円だった、ということもザラにある。それで不便なく生活を送れてしまうのが京都市内のいいところだとおもう。
それは当然、僕だけが知って実行していることではない。だからこそ京都人はみんな自転車がすきなのだが、そのみんなが、最近はよくヘルメットをかぶっているのだ。べつになにもわるいことではない。身の安全をまもって走ることはむしろいいことなのだが、妙な違和感がどうしてもぬぐえない。
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この流れというのは当然、政府が「走行中のヘルメット着用を努力義務」としたからだとおもっている。
だが、自転車の事故が多いのは今にはじまったことではないうえに、重症になるリスクをふせぐために「頭部をまもれるヘルメットが必要」なんてことは子どもでも知っている。それをかぶれといわれたからすぐにみんな揃って着用するのがどうなのか、ということを僕は言いたい。
この話を、先日美容院にいったときに美容師のSさんに問いかけた。ちなみにSさんは僕以上の自転車ずきで、年齢は40歳をこえている。
「そうですよね、おそらく数年後には『義務化』になるでしょうね。」
Sさんのこの答えにたいして、僕も同意せざるをえないのがくやしい。昔は、駅のホームでタバコを吸うことも普通であったというし、さらにいえば原付やバイクもノーヘルがびゅんびゅんと走っている時代もあったのだ。それがいまでは大きくかわった。僕の子どもの代ぐらいには、「自転車?ヘルメットしないなんて危なーい」なんていう世の中がありありと想像できてしまう。
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ちなみにSさんは愛媛県出身なのだが、愛媛には自転車のりには有名な「しまなみ海道」がある。そのため、愛媛はおそらく京都以上に「自転車の街」といえるのだろう。
それが理由で事故が増えたのか、県がこれまた規制をかけようとしているのかはわからないが、数年前に「愛媛県全体で大人も子どももみんな自転車はヘルメットが義務化された」とSさんが言っていた。
中学や高校の通学時、いわゆるチャリ通がヘルメットをかぶるのならまだよく聞く話だ。しかし、県の条例でここまでのところがあるとは知らなかったので僕はすなおに驚いた。
ばあいによっては自転車で死ぬこともあるし、反対に凶器にすらなることもわかっている。でも、それなら先にもっと道路を整備するとか、走行中のイヤホンを厳罰化するとか、やるべきことはもっとほかにあるとおもう。そのための税金だって払っているはずだ。何だか、電車内での痴漢がなくならないから、「女性専用車両」ができたときの「されたくないならそっちをつかって」という流れと似ている気がする。そしてそれに素直に言われたまま従うのも日本人らしくて真面目だなぁとおもったりする。
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「もうこうなると、国とヘルメット業界の癒着すら疑わしいですよね。」
「ほんま、ミステリーになりそうです。」
Sさんと楽しい会話に花がさいたのでよしとするが、自転車ぐらい存分に風を感じて走りたいものである。