負けは負け、でも勝ち?
アイツさえいなければ
この言葉はとても有用的だ。
ムカつく奴がいるとき、嫌いな奴がいるとき、この言葉は使えるんだ。
僕はアパレルショップで働いているのだが、そこの店長がクズなんだ、クズ中のクズ。
そいつのおかげで、同僚のやる気は下がるばかり、同様に店の売り上げが落ちて、僕たちがクズに叱られる始末。もう耐えられない。だがもう職は変えたくない。その一心で食らいついているんだ。
その時にも
「アイツさえいなければ
この店もっと良くなるのにな」
と仲間と愚痴をこぼすなどして、日ごろの鬱憤を発散しているんだ。
死ねばいいのに。
いくら思っても僕が思った通りにはいかない。
人生厳しいものだな、もっとも僕はそれでも楽な方なのだろうが。
こんなことを思いながらも僕は生きるための紙切れをもらうために地獄へ身を投じる。
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「アイツさえいなければ
俺が、俺が優勝だったのに」
懐かしいね、ミスターコンで吐き捨てた言葉だよ、君に向かって、あるいは君たちに向かって。
考えてもみれば、ただ負けたことが少しだけ悔しかっただけなんだ。ただ届かなかったことが少しだけ、少しだけ…恨めしかっただけなんだ。
もっと彼らに対して媚を売っておけば、まだ勝機はあったのだろうか、もっと歌を練習していたら、優勝は狙えたのだろうか。そんな事ばかり考えてしまう。良くないな、これは。
最近になって考えてみたんだ、人生敗北感と劣等感の積み重ねで成り立ってるんじゃないかってね。バカげてると思うかい、こんなシリアスに考えるたちじゃないだろ、って。それも一理あるな、だが考えてもみろ、産み堕とされてから早二十年——仕合わせもあった、もちろんだとも——不仕合わせに感じる事が多かったんじゃないか。殊に、誰彼に対する嫉妬、敗北感、劣等感、なんてものが存在するもんだから、君もわかるだろ、こうなったらおしまいだ。その人のことを陰から羨み、蔑み、嘲る。こうしていないと僕は、自分を保つ事が出来なかった。
僕は誰よりも劣っている
いつからか、こんなことを思うようになってしまった。
「いや俺だって、やればできるんだ」
そう心の中で叫んでいる。
だが負けは負けだ。自分の中の自分に厳しく説教をしている、真っ最中なんだ。静かにしていてくれ。
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こんな時だって使えるんだ。
「アイツさえいなければ
大学生活楽しいだろうに」
だがこの文には続きがあるんだ。
「でもアイツさえいれば
この人生棒に振ってもいいな」
なんとも官能的だね、愛しき君にはわかるかな。
肉欲は嫉妬をも勝る糧となる
高校の教師が言った言葉だ。 自分で考えたのか、それとも何かに載っている格言?なのかわからないんだ。ただ、その時の僕にはしっくりきたんだ。
どれだけ嫉妬をしていても、一度ヤって仕舞えばこちらのもの、嫉妬を操っているという空想に浸る事ができてしまってね、困ったものだよ
そりゃそうだ、僕だって人間だもの。どれだけ愛していて、どれだけ尽くすことを厭わないとしても、君への嫉妬は隠せないものさ。そうだろう? でも一度、いつものところに行ってしまえばどうだ、これまでの妬みはどこかへ消えてしまうんだ。
こんな様だ、あっけなく嫉妬心は燃え尽きてしまう。燃え尽きた後は魂の抜け殻のようにしゅんとしてしまう。
自らの尊厳さえ失って、自尊心のかけらも存在しない、僕の存在意義は一体何?
そんな否定的なループに入ってしまうんだ。
でもこんな時にでも、ミルトンの園から救い出してくれるのが、いつも君だったね。
そうか。僕は
誰よりも劣っているかもしれないけど
ひとつだけ言える事がある。
僕より優れてる人と一緒にいるから
何よりも尊厳が保たれ、何よりも生きれるんだ
答えを見つけたところで、おさらばといこう。
自己投射、読者のことを何も考えていないことをどうか赦してほしい。
読者の方々には申し訳ないが、何か反応をしてやってくれ。
誰かは誰かに、誰かは誰かに認られなくては生きていけない。
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