卵子凍結体験記(1/6)動機
自分語りも痛々しいのだけど、産める性に生きる者として、やっぱり埋もれた声があるように思って、この体験も、書いちゃおう。
卵子凍結をした。それもなんと、明後日が2回目の採卵である。今おなかも胸もパンパンなうである。
最先端の医療技術にびっくりしたり、通院の過程で色々と感情が動いたり、こういう選択肢をとれるのも恵まれた環境にあってこそ、格差のようなものも感じたり。
巡り巡って、いつかどこかのだれかの参考になればと、記録します。
【親になる気になれなかった20代】
私は20代の頃に一度結婚をしたことがある。27だっけ、28だっけ、そのくらいで。
でも、結局元夫と家族になりきれなくて、5年足らずで離婚した。
同年代の友人たちがどんどん親になっていくのが信じられなかった。
当時はそもそも私が私を生きられていなかったから「私以外の何者かになりたい」と思っていたから、親になるなんてとんでもなかった。
まあ、そこそこ普通の嫁業をした。一応長男の嫁で。ということは初孫圧もまあまああったわけで。
それで結局、愛想を尽かされた。
そもそも「私以外の何者かになりたい」と心の底で思っている人間にあまり魅力もなかったのではなかろうか。
なんだかなあ、と思うけれど、時間は巻き戻せないし、あのとき親になってしまっていたらちょっと怖いと思うこともあるので、それはそれで良かったんだと思う。
私と元夫、お互いの戸籍に傷がついたのは残念だと思うけれど、心境変わった今では、ちょっと元夫に申し訳ないと思っている。
【心境の変化】
そんな私が、縁があるなら子を持ちたいと思うようになったきっかけはいくつかある。多分、3つかな。
まずは血縁のある子供たちが次々に誕生してくること。血のつながった子は、こんな私でも無条件にかわいいと思うし、何なら私が自分の子を持てなかったとしても、この子達のセーフティネットとしての存在意義を与えてもらえるなら、もしこのまま産まずに生きてても許される気がした。
それから猫を飼ったこと。同居猫マオとの歴史も是非別記事にしたいところだが、生後1ヶ月の野良猫を引き取って育てるのはそれはそれは大変だった。しかも私は猫どころか動物らしい動物を相手にするのが初めて。大変だったけど、私ひとりの責任でいのちを預かったのは大きかった。人間と猫を一緒にしては双方に失礼だけど、思い通りにならない弱き小さいものを守り育てることで、マオさんは私にも母性があるんだと自信を与えてくれた。
最後、結局これ、私はタイムリミットが迫っていることのアラートとして脳内伝達物質の比率が変わったんだと勝手に思っているんだけど、何のきっかけでもなく加齢とともになんだかだんだん「本当に子供を持たなくていいんだっけ?否、良くない。」という気持ちになってきた。理屈を超えて強烈な感情である。
【産める性をこじらせる】
離婚の経緯も経緯だし、独身に戻ってからの間、産める性に生まれながらその機会に恵まれないことについて、ずいぶんとこじらせてしまった。
女性が働きやすい会社に異論は全くないので、そこはくれぐれも誤解しないでいただきたいのだが、直近の勤め先は本当にママさん会社員が多くて、ママさん同士のいたわり合いがしっかりあった。その分、男でもなくてママでもなくて、バツイチの独り者で、挙句中年にさしかかり始めている私って一体なんなんだっけと、本当はずっと疎外感を感じていた。
あの人産休に入るんだって、よかったね、おめでとう、あの人来月から復帰だって、無理しないでね、そういうの、うらやましかった。しかも妊娠出産が尊いものであるというのは絶対的な正義だ。声高にもてはやされて然るべきものだ。そういうステージに到達できず、みすみす機会を逃したことが、結構、悲しかったし、そこにマイナスな感情をちょっとでも抱くなんて、自業自得だし自分が人として劣っているような気がして、作り笑いしてやり過ごしていた。
(でもね、本当は、そうやって顔で笑って心で泣いてるひと、いると思うよ。思いの外、多いと思うよ。)
それでも会社でも高齢出産をしている先輩もいたし、40くらいまでは全然いけるでしょ、と思っていた。
【本を読み、自然妊娠の可能性の低さにビビる】
たしか去年の秋頃に何の気なしに読んだ本の中に、卵子凍結に関するものがあった。
そこに、結構厳しい現実(現実…?)が書かれていた。数値で見せられると結構インパクトがある。
文献を手元に置かずに書いている不届き者なのでおぼろげな記憶だけれど、その本が正しいとして私が得た結論は、どうやら36歳の私が今からパートナーを探してでは、何がどうトントン拍子に進んだとしても、既に自然妊娠はあまり望めそうにないということだった。高齢出産、多いじゃんと油断していたけれど、運良く授かったものを育てる技術の方の発展というのも多分かなり貢献してのことか。私が目にしてきた事例は氷山の一角ということか。
ちなみにこのあたりは、そもそも本を書いているのが生殖医療に携わる医師だったりするので、ただ不安をあおられて広告に乗せられてしまった可能性は否めない。数字は見せ方次第。だし、確率の問題と自分がどうなるかは別問題。それについてもひとしきり考えたけれど、今の私にはたまたま経済的に卵子凍結ができる条件が整っていた。やらずに後悔するよりは、やれるだけのことをやっておいてそれでも機会に恵まれないのであれば、それも運命と受け入れやすいだろうと、分野を問わず迷ったときはそう判断することにしている。なので、この話、乗った。
大枚はたいて、ひとり、不妊治療クリニックの門をたたいた。
去年の年末のことであった。
【初めて「産める人」として扱ってもらえて嬉しかった】
私が選んだクリニックは不妊治療外来をメインにしていて、ご夫婦でいらっしゃる患者さんも女性一人の患者さんもまちまちなので、どのくらいの人が卵子凍結をやっているのかはよくわからない。けれども、初診時点できまったパートナーがいるでもなく、単身ああいうクリニックに乗り込むのは、それなりにメンタルを消耗する。圧倒的に淋しい。
しかしだ。担当の医師と話をして、診察を受けて、初めて「産める人」として大切に扱ってもらえたことに、正直言って感激した。男でもなくてママでもなくて中年にさしかかっている私が、大事にされている。そこに感激するあたり、私、相当こじらせてたなと思った。
そしてクリニックのトイレには「マタニティマークをお持ちの方は、他の患者さんにご配慮いただき、院内ではしまってください」との張り紙が。そうか。ここはそういう所か。だれもが多少の心の痛みを抱えてやってくる場所だよねと、それにもまた、少しだけ救われた。
批判を浴びそうだけど、でも本音の本音、マタニティマークすらも、時には暴力に感じられること、ある。ごめんなさい。
こんな動機でスタートした卵子凍結、テクニカルな(?)話は次回以降に。