好きこそものの??
いつも飲む紅茶をやめて今日はオレンジジュースを、いつもかけるはちみつをやめてイチゴジャムをヨーグルトにかけた。そんな朝。
おかけで寒い。
寒いから毛布にくるまって朝のテレビをぼーっと観ている。
この頃母と折り合いが悪い。
仲良いフェーズと悪いフェーズが交互交互にやってくるのはいつもの事なのだけれど、とてもやりにくい。
私はどうやら「好き!」となると、その人に全振りする性質みたいだ。
1度惚れたら「師匠!一生ついて行きます!」のタイプ。やることなすこと、全部真似をしてのめり込んでいく。
良く言うと「好きこそ物の上手なれ」で、メキメキと真似したことが上達する。
脱皮するみたいにスルッと素の自分を捨てて、「好き」な人の習慣や思考回路に移行してしまう。
だから、今の私は、好きな人=師匠(仮)の影響でラジオばかり聞いていている。
母が「師匠(仮)」の対局のような考え方や習慣だから私は、「対局!無理!」みたく全面拒否してしまっているのではないか。
母
・客観より主観(データよりもフィーリング)
・調べるよりその場の勢い
・悩むなら買え
・不足恐怖症
・思考より感覚
・テレビ嫌い(特にバラエティ)
・毎日同じでも飽きない
・酒もごはんも
・何事も包み隠さず
師匠(仮)
・主観より客観(フィーリングよりデータ)
・ちゃんと調べてちゃんと準備する
・悩むなら買わない
・要らないものがたくさんあるのは嫌
・感覚より思考
・テレビ好き(どんなに意味の無いバラエティーも楽しそうに観る)
・きちんと飽きる
・酒かごはんか
・めんどくさくなることは話さない
エトセトラ。。。
挙げればとにかく違う。
でも、違うからってそれこそスルッと全面拒否、断固拒否、見下したりしている私が1番自分がないのではないか。
よく言えば素直、だけど。
好きなものに一辺倒してしまうしそれを全て吸収したいと思ってしまうのは仕方ないしいいと思う。だけど、違うからって邪険にするのはやめたい。ちゃんと自分の足で立って自分で考えて決めなくちゃ。
母は私が自分から離れていくのをよく思っていないに違いない。私が何も話さないのを面白く思っていないに違いない。
これは実際そうなのかもしれないし、私の思い込みなのかもしれない。
言うも言わないも私の自由。自分で決めよう。
だけど、理由が「師匠!(仮)」じゃなくて自分であるようにしよう。きっかけは「師匠(仮)」でいいから。