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エロとヌードとランジェリー vol.3 ヌード


ヌードが一番美しいと思うことが多い。自分に関してもそう。
人間はアートになれる、と思う。
寝そべってたり、猫背だったり、なんでもない格好をしているヌードの女性の写真が大好きだ。
自然に、人間的であることが自分には魅力的なんだと思う。

一度ふつうの撮影モデルをやったことがある。
アーク(弧)を描くよう腰を突き出し、胸を張るようずっと言われていた。女性を撮る上で美しい姿勢なんだとは思う。
個人的にその日の撮影で唯一気に入ったのは、私の希望で、鏡の前であぐらをかいている写真だった。それはそれで女性らしさが出ているような感じがした。
そのときも下着みたいな服を着ていた。ノーブラで。

ねえ、私、セクシーでしょ?じゃなくて、
どうしようもなくアーティな興奮が掻き立てられるからやりたいの。
女性のヌードが最高にアートで、かっこいいと思うからやりたいの。
直球のエロも大好きな上で、だけど、それだけじゃないもう一つの、人間の自然な姿としてのエロ。


あと、なんで私はエロにこんなにも惹かれてしまうんだということに、バタイユは答えてくれた気がした。

『フランス的思考ー野生の思考者たちの系譜』という新書(中公新書)を読んでいたら、バタイユのページに「失われた連続性へのノスタルジー」という一節やそういった意味の文章が連なっていた。
また、連続性への象徴的な行為として、「裸になること」があげられていた。

私は、昔から生き方について人一倍考え込みやすい性質で、その周辺の知識も入ってきていた。その中で、最近、突き詰めると「悟り」は「連続性(の回復)」なのだということに、考えとしてたどり着いていた。
そして、そのタイミングで別の場所でバタイユにも出会った。

ここではあまり深く書かないが、
だから人間はエロを求めてしまう(死も然り、とバタイユは言っている。エロスとタナトスといったところか)し、
私はエロから攻めていってもいいのではないかと、思ったのです。

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