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4歳女児、異国へ渡る!その先での生活は…

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※この記事は誰かを批判したいのではなく、だから学べたよということで書いています。また、これは当時のすべての人に当てはまることではなく、あくまで私が育った環境と感じたことがそうだったという話であり一例です。批判的な意見は持っておりませんので、長いですが最後まで読んでいただければ幸いです。

なんだかよく理解できないまま…


祖父が亡くなってまだそれほど経たない頃、
父の台湾転勤が決まりました。

祖父が亡くなったことをやっと理解して
落ち着き始めたところに、
今度は保育所の先生や友人との別れ。
しかも異国の地へ行くという…。

引越しすらイマイチわからず、
よく理解ができませんでした。

お別れ会を園で開いてくれて、
みんなの前でお別れの挨拶をして
寂しくないようにと先生たちのメッセージ付きの
アルバムをプレゼントしてくれ、
すごく寂しかったのは覚えています。


今までとは少し違う生活


台湾に暮らすようになった2000年春。
第二都市にて、日本人の多いマンションで
生活することになりました。

田舎で庭畑付き一軒家とは真逆、
結構綺麗なマンション。
管理人さんや清掃員が常駐し、
クリスマスには中庭がイルミネーションして、
近所にはたくさんのお店と大きな公園があるようなところでした。

急激に便利すぎる!笑

そしてなんせ当たり前に言葉が通じない!
日本語がわかる店員さんもいたし、
反日の方も少なかったので生活しやすかったけど話せないから困ることはよくありました。

水道水は飲めないし、洗濯機は外置きで、
なんか家の前で臭い豆腐売ってるし(臭豆腐)、
ベランダにコウモリくるし、
ゴミは夜に音楽を流しながら収集車が来るし
(うちはマンションの階段に置いておくと、
清掃員さんがまとめてくれて処分されてました)

田舎暮らしで車だったのが、こっちでは父が休みの日以外はタクシーか自転車移動。
(この当時まだ家の近くに電車がなかった。
父が免許をとっていたので車は乗れた)

お店で料理をテイクアウトしたら
スープも関係なく袋に入れてたりするし、
一年中薄着でセーターなんていらない笑

びっくりすることや、違うと思うことが多くて
最初は驚きつつも、案外面白がってました。

そんなちょっと今までとは違う生活のなか
家に牛乳とお米と水を配達してくれていた
お店のおじちゃんは日本語が上手で、
いつも笑顔でいろいろ話をして、
優しくしてくれて嬉しかったのを覚えています。


台湾の幼稚園


幼稚園は現地の日本人クラスのあるところ。
通園はバス。
4階は教会で、週一回月曜日は教会で園長の話をきき、お祈り?をしたりがありました。

指定の食事セットみたいなかんじで、お椀3個とフォークスプーン3セットを持っていき、
朝行って少し経つとおやつ、昼食、おやつ。
それぞれが食事みたいな感じで
おやつで大根餅とかそういうものが出てくる笑

遊ぶ時間、学びの時間、お昼寝の時間とあり、
季節のイベントもありました。

お昼寝の時間は担任が横で一緒に寝てたり
みんなが外で遊んでいるときに担任が部屋で
お菓子たべてたりして、わけてくれたりして
いいんだ笑 て子どもながらに思っていたくらい
緩い空気感でした。

楽しいが基本の感情だったけど、
そんな幼稚園でも中には反日感情のある親の子もいるので、現地の子に遊ぼうといっても、
日本人であることを理由に遊んでもらえないことも少ないけどありました。


日本人学校へ一年


2年生では帰国したので小学校一年生の間だけ、
日本人学校に通っていました。
もちろん先生も友達も日本語です。
安心して生活していたけど、転勤族も多く、
いろんな価値観の子がいるのでいい刺激でもあり
価値観の違いを受け入れるだけじゃなく、
時には衝突もクラスでよくありました。

土足。お弁当と水筒持参。
各家庭、時には守衛さんのところに
親がケンタッキーやマクドナルドを預けてくれたりもありました。
体育着は中学生も同じのTシャツで
下は紺無地なら自由。
だからブルマもハーフパンツも長いパンツもいた。

だから私には、
いろんな人がいるなぁと学んだ場です。

日本の学校では英語だけど、ここでは中国語が
カリキュラムに入っていました。

また、安全のために門のところに守衛がいて、
家の前からバス通学。
特に日本人が反日思想の人から狙われやすい日は
さらに厳重な警戒がされていました。
幼かったのもあるかもですが、その日は特に
子供だけになるような形には、なりませんでした。
(基本的に今も昔も台湾の方は穏やかで優しく親日的です。だから大好き)

この時期の経験で学んだこと


この時期、幼いながらによく動悸がして病院に通っていたので、今思うとストレスも大きかったのでしょう。

でも、その環境で育ててよかったと思っています。

学べたことが多くて、その一つがいろんな人間といろんな価値観があるってことです。
その他にも、自分が何かしていなくても,過去のに起きたことで人種としての差別が世の中には存在すること、そんな中でも関係なく優しくしてくれる人もたくさんいることも知りました。

幼稚園、小学校共に定期的に防空壕に逃げる時に怖くないようにと、あえてその場を使う時間が設けられていて、今思えば訓練の一つだったと思います。

自分の身に危険がいつあるかわからないんだってこともそこで知りました。

歴史上のことや政治のことなどで、よく思わないことは昨今でも絶えずありますが、

まず目の前にいる人は、1人の人であり、
尊き命である。私と何も変わらない」
ということを経験から感覚として持てたのは
とてもありがたいですね。

色々とかきましたが、書きたいことは本当はもっとたくさんあります。

台湾は私にとっては大好きな場所です
一個買ったらこれおまけします!みたいなのもあったし、商品を落としてしまってもさらっと
「きにしないで!大丈夫よ!」て言われる。
そんなおおらかな人が多い場所でした。

基本的におおらかで優しい台湾の人たちには
今も感謝と好きな気持ちしかありません。

近所であれば1人で買い物も行けました。

当時反日思想だった方へも、今ならその考えが頭にあったことも理解はできます。
愛国心が強い方だったんだなとそう思い、責め立てる気持ちはありませんし、
他の方にも批判してほしくないと願っています。

私の場合は台湾に暮らせたことで、
人の失敗を許す、安心させる、ニコニコしている、
目の前の人を一つの命、1人の人として見つめる、
そんな人として大切な心を学んだのは、
台湾の人たちからだったと思っています。

人種、肌の色や状態、見た目、病気や障害の有無とその程度などで人を判断するような人では
ありたくないなと、子どもの時に思えた大事な経験
でした。

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