あなたのなまえは。
一、花時の雨(はなどきのあめ)
澄み渡る春の青空に、手を翳すように咲いた薄紅の花弁が美しい——そんな昼間からうってかわって、夕方ごろからは強い雨が降り出した。
誰かがこんな時期に降る雨のことを桜雨と言っていただろうか。
「あんなに綺麗だったのに……」
昼に見た京の町の桜の花を思い出すと、雨に散る花が一層残念に思う。同時に、あの時自分の勝手な行動で迷惑をかけてしまったことが申し訳ない。
『もしかして、あなたがお聞きになりたいのは……夜にその場所に行ったことがあるかどうか……、ではありませんか?』
……薫さん、どうしてあんなことを聞いてきたのだろう。私が彼女を庇うのは、自分と似た顔をしているから、女の子だったから……、本当に?
喉につっかえるような違和感を感じる。何かが違う、そんな感覚がうっすらあるのだ。
「わからない……」
ぼんやりとした違和感の正体は見当たらない。あの時出なかった答えはやはり出てくる気配はない。そもそも、薫さんが本当に制札事件のときにいたその人だったとして、私に何ができるのだろう?
新選組の皆さんは私のことをだいぶ信用してくれているように感じる。それでも、今日みたいなことで迷惑をかけないようにしないと、余計な、勝手な行動は慎もう……
「雪村君、晩御飯の支度ができたようだよ。広間に行こう」
「! はい! 何かお手伝いできることは残ってますか?」
***
強い雨が降ってきた。うちつけてくる雨は、雨ざらしになっている自身の身体と満開の桜に降り注ぐ。今この季節、一番敬遠されるものなのだろうという考えがふと頭をかすめる。
「桜雨……か」
思い出すと、当時も春めいてきて、桜が咲き始めた頃に雨が降り出した。
雨で流されていく桜を見た千鶴は桜を守りに行くと言って聞かなかった。そんな彼女に母と自分で桜は強いから大丈夫、雨が降っても全部は流れないし、散った花の後には緑の葉がつく。桜には来年も会える。と、彼女を宥めたこともあった。
雨は薫の身体に降り続けている。
この頬を伝う雫が一体何なのか、薫に理解することは出来なかった。
『私のこと、覚えていますか?』
『ええ、覚えていますよ』
そう言った自分の声は、果たしてちゃんと出せていただろうか、答えることができていたのだろうか。
忘れたことなんて、ほんの一時も無かった。何度ももう一度会うことを望んでいた。彼女の存在が薫の総てだった。
——なんで、どうして、なんてありきたりな“ことば”で自分の疑問を、感情をあらわせるわけが無いじゃないか、覚えてないのはどっちなんだよ——。
静かに降り続ける雨はあまりにも冷たいのに、薫の頬を伝う雫だけは何故か、ほんのり温かみを帯びていた。
二、おなじかおのふたり
(準備中)
三、あなたのなまえは。
(準備中)