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ささいな言葉の影響力は、めっちゃ大きい

最近、働き始めた同僚がとても素敵だと感じている。
ささいな言葉だと思うけど、「それいいすね」「テンションあがる!」「アツイ!」と、基本的に相手のスタンスを全肯定する。

え、そこまで肯定するの?って感じて最初は驚いてたけど

多分、自分の思考を入れずに、

「まずは、一回受け入れる。」
「受け入れてから、自分の思考を入れてみて考える」

なんだろうなと。

思考や納得は後からついてくるから。

納得してから行動じゃなく
納得をまずしたという前提で、行動して考えをなじませていく

そうなると、どうなる?

やるべきことが決まり、仲間が増える

なんでこれやるの?という感情的思考が入らないので
整然と課題・やるべきこと・足りないことが明確にできる
その上で、一緒にこれをなんとかしたい、という目的がチームのためになるので、仲間や協力者が増えてくる

この様子を観察してみて、自分を含めて「納得したい生き物」なんだなと感じた。納得した・しない、やり方が気に入る・気に入らない といった、好みで選んだり判断すると、本来の目的を見失う。
なんのためにやるんだっけ?

思考停止ではないの?


一方で、全ての物事のWHYを考察せずに進めることは思考停止になるので本質的ではない。
上記は、クリティカルな課題で優先度が高いと判断した上で
そのプロセスやHOWに関してのこだわりを捨てる、ということだと思う。

こだわりを捨てつつ、やるべきのバランスをとる。
そのために、まずは「それいいね!」を先に言ってしまう。後から擦り合わせるプロセスや目的を考えればいい。

ちょっと大袈裟だけど、自我から大我へ、その流れも信じてるからできることなんだろうか(自分でなんとかしようと奮闘するのではなく、その流れ、フローの中で 一歩引いてみて でもあえて乗り込む)