【stand.fm】LIVEの楽しさとプラットフォームとしての可能性(1か月半毎日更新を続けてみて感じたこと)

こんばんは、まーです。

 stand.fmというアプリを3/24から使い始めて早一か月半、すっかり虜となって生活の中に溶け込んでいます。日常の一部となったこのアプリのことについて日々考えることが増えてきたので、最近考えていることを文字にしたためてみようと思います。初noteだし思いつく端から書き散らしているんで、長いし読みづらいと思います。先に謝っておきます。ごめんなさい。

0.5/17時点の数値的なあれこれ 

 ● 収録本数:71本
 ● LIVEアーカイブ:6本
 ● フォロワー数:620名
 ● 累積再生回数:5,278回
 ● 累積いいね数:1,425回

フォロワー数の経時的な推移は、以下の通りです。
 3/24:放送開始
 4/12:100名
 4/26:300名
 5/09:500名
 5/17:620名

 実はフォロー数が100名様になったあたりから、「〇名様にフォロー頂きました!」をプロフに書き始めて今に至るんですが、これが「行列のできるラーメン屋的な効果」を生んだんじゃないかと、姑息な私は睨んでいます。


1.「自身の」コンテンツ探索・コンテンツ作り

 私の番組「まーちゃんねる / 人との関わり方の実践放送」では、半年前に結婚した新米夫である筆者が、日々の妻との暮らしの中で気づいた「人付き合いの仕方」について発信しています。こんな放送を始めたきっかけは、在宅勤務を始めて夫婦喧嘩が増加したことでした。もともとは妻が都内暮らし、私が平日は単身赴任で他県暮らし、という週末婚状態だったものが、この度のコロナ禍に伴い在宅勤務となりました。これまでは「週末しか会えない新婚夫婦」ということで、会えるだけで嬉しかったし、気になるコトがあっても喧嘩まではしないで過ごしていました。ところが都内の1Kで四六時中顔を突き合わせるようになってから夫婦喧嘩が勃発。「これはいかん」と感じた妻の提案で、コメダ珈琲に出かけて行ったのが3/23の夕方です。なんと6時間も喋りました。その時に話した内容を振り返ってトピックスを夜中に書き出していたんですが、妻に背中を押されてその内容を発信することになりました。

 stand.fm自体は、妻がGoodpatchの土屋さんの収録放送のファンだったので「この収録を一緒に聴こう」と誘われて何度か聴いたことがある程度の関わりだったのですが、音声メディア自体には以前から興味をもっていたんです。実は2020年の1月からTwitter運用にも注力し始めたのですが、フォロワー400名くらいに行ったところから球が坂を転げ落ちるように350名まで減ってすっかりやる気がなくなっていたのが3月の半ば。上述のトピックスを発信するにしても、「Twitterに書き続けるのはちょっとなぁ…」と億劫になっていた時期でした。「書くのは億劫だけど、喋るのならできるかも」と思い、stand.fmのアプリをDLし、収録ボタンを押しました。

 第一回放送は、妻と6時間話したトピックスを12個くらいに整理していたうちの一つを選びました。「箱」というテーマです。これは自己欺瞞・自己正当化に関する概念なのですが、我が家では「今箱に入ってるでしょ?」などと声をかけあって、自己正当化の罠から抜け出るようにお互いに促すようにしているんです。「箱に入ってる」と、「俺は悪くない」という前提で、相手の悪いところをどんどんクリエイティブに発想しちゃうんですよ。それって人間関係を著しくゆがめてしまうので、「これが一番大事だ!」と考えていました。そして、「発信するからには短くてわかりやすい有益なコンテンツをつくらなきゃ」なんて肩に力を入れて収録原稿を書きました。3分程度にまとめて、それを見ながら喋ろう、と。でもその前に、原稿書くための材料を得ようと考えて、何も考えずに5分程度喋った録音も下書きに入れておいたんですね。そうして、公開前に両方の収録を妻に聴いてもらったんです。そしたら、「原稿読んでいる方は声が不自然。いつもの話し声の方がいいと思う。原稿なしの最初の下書きの方がいいと思う」とのこと。一時間もかけて遂行した原稿の方がダメだと?!

 まぁ結局見栄っ張りなんで第一回は原稿放送を採用したんですが、妻にまたしても助言を頂くわけです。「見栄をはりすぎ。とにかく毎日続けられることだけ考えて、ハードルはなるべく下げたほうがいいよ」と。飽き性で何事も続かない私。途中でしんどくなってやめちゃうくらいなら、いいからとにかく喋って、どんどん公開していこう、と開き直ったんですよね。それが今でも継続している収録スタンスになりました。毎日の放送テーマだけ先々まで考えておいて、当日は編集なしの一発録り。そのテーマで何をしゃべるかは当日その瞬間まで、私自身にもわからない。話し始めた連想ゲームで作られているのが、私の収録放送の実態です。そうして本日5/17時点、毎日1回以上の収録更新を継続できています。

 stand.fmを始めた背景には、もう一つの目論見がありました。未来の子育てに向けて「場所に縛られない収入源をもとう」と夫婦で話し、ブログを始めよう、ということになったのですが、一向に記事を書く気にならなかったんですよね。「お金を稼ぐために資産性所得を…!」ということを求めるばかりで、でも全然書き始められなくて。で、あるとき、妻が「書きたいものが見つからないと、私たちは前に進めないのかも」と宣うわけです。その通りかも。そんなわけで、まずは何かしら発信したいもの・発信できるものを自分たちが自覚するところから始めてみよう、と。毎日なにかしら喋っていたら、振り返って何か特徴が見つかるかもしれないぞ、というわけです。始めの12回分こそ、妻とコメダで喋った6時間分のコンテンツストックがあったので放送テーマにも困らなかったのですが、だんだんと直面していくわけです。「明日の放送テーマはどうしよう?」。まぁ、そんなことに悩んでいるうちにまた夫婦喧嘩が勃発するので、「しめしめ、明日はこれをネタにしよう」なんて日もありました。夫婦喧嘩は飯の種。我ながらひどい夫だ…。

 そんな場当たり的な急場しのぎの日々がありながらも、淡々と日々発信活動に精を出していました。コメントやレターは10回に1回くらいあった感じでしたね。もらえると甚だしく喜んだことを覚えています。初期の頃にお便りをくれた皆さん、本当に感謝です。初期に心が折れずに今の僕があるのはあなたたちのお陰です。本当です。

 で、とにかく喋り続けて1か月もたつと、なんとなく「妻との喧嘩って、突き詰めれば人間関係の最小単位だよな。」とか、「これって職場でもあてはまることなのでは?」とか、もう少し幅広い場面で役立ちそうな話を拡げられそうなことに気付いてくるわけです。「妻との夫婦喧嘩を垂れ流す」放送だったところから、「人との関わり方の実践放送」への脱皮です。喋り続けてきたら、見えてくるコンテンツがあるものですね。


2.「コミュニティ」の発見

 とにかく自分が喋る、収録する、世に解き放つ、ということだけひたすら繰り返していたんですが、あるときふと、他の人の放送をじっくり聴いた日があったんです。初めて1か月くらいでしょうか。音声メディアなので、一般的には「この人の放送聴きたい!」といった動機で流入する方の方が一般的だと思うのですが、僕は「とにかく喋ってみたい」という動機で始めたので、一番普通っぽい使い方をし始めたのって中盤くらいだったんですよ。

 そんな中で、LIVEのアーカイブを残していらっしゃる方に出会いました。minato.fmのminatoさんです。「stand.fm cafe」と題して放送されていたその内容は、LIVE機能を怖がって距離を置いていた僕にとっては衝撃的なものでした。「こんにちは〇〇さーん!、みんなー、〇〇さんは▲▲な人で、■■なことをやっている人なんだよー!」。テキストなしでも伝わってくる、なんかあったかそうな雰囲気。ずっとアーカイブだけ聴きながら、「いつかリアルタイムでLIVEをのぞき見してみたいな」と思っていました。

 でも、LIVE機能って、なんか怖いじゃないですか。入室すると「まーさんが参加しました」みたいなチャット通知が流れる。配信者に名前を呼ばれる。急に「お立ち台にのぼらされる」みたいな気持ちになって「こえぇ…」と。しかも、何人かいる中で紛れ込むならまだいいけど、絡んだこともない配信者と1:1の状況になってしまったら?、不可抗力で退室しなきゃいけなくて、自分が出て行ったらリスナーが0になってしまうとしたら?、すげー「感じ悪い奴」って思われそうじゃん…。そんなことを考えていたので、間違ってLIVE配信のボタンをタップして入室しちゃおうもんなら秒速でタスクキルですよ。最低だ…。

 そんなもやもやと過ごしていたある日、ついに念願のminato.fmの開店時間に出会えたんですよね。意を決して飛び込んでみたら、アーカイブで聴いていた通りのあたたかな感じで迎え入れて頂けて。とくにたくさんコメントを残したというわけではなかったんですが、落ち着いて流れていくコメントを眺めたり、配信者の声を聴いたりしながら、インタラクティブな場であることを感じ取っていました。同時に、そんなに肩に力を入れなくてもいい空間なんだ、ということも。そして何人かの人はいわゆる「常連」のようになっていて、配信者とも、リスナー同志とも「顔見知り」のようになっているわけです。その夜、寝る前に「つきみちゃんねる」のLIVEに飛び込んでみたときも、「仲よさそうな空間」がそこにはあったんですよね。なんか「あったかい場だなぁ」と。そんな世界がこのアプリの中にあることを知ったのが34回目放送くらいの頃だったように思います。で、これに興味をもった次の日に、2時間くらい、色んなLIVEを梯子してみたんです。それぞれの配信者のカラー、遊びに来ているリスナーのカラー、それらの複合で独特の村?島?惑星?のようなものが出来上がっていて、部屋ごとに別の空間なんですよね。それがまた面白くて。自分に合う場もあれば、そうでもない場もある。色んな所に飛び込んでいく中で、心地よい場、というものを見つけてきました。そうすると、配信者の収録も気になるし、リスナーのことも気になるしということで、色んな人の収録・LIVE配信を積極的に聴くようになりました。普段リスナーのコメント画面でしか見ていなかった人が、LIVE配信しているのを見つけると、「この人、いったいどんな声なんだろう?気になる!」となって、飛び込みたくなる。すっかりLIVE配信に飛び込む生活の虜になっていました。せっかくだから自分も喋ってみたい、と思って、心臓バクバクさせながらLIVE配信をやったのも、今では懐かしい思い出です。ほんの3週間くらい前だけど。

 単に音声収録・発信を行うメディアに留まらず、それぞれのユーザーが自分の発信をもっている中で、LIVEというインタラクティブな交流装置がある。一人の肉声と多数の文字、というコミュニケーションの距離感は絶妙で、電話や対面で話すような「会話のテンポ・速度・展開についていかなきゃ」みたいなプレッシャーがないLIVE空間で、ゆるく喋ったり絡んだり黙って聴いていたりすることを選べる。そんな「参加の仕方のゆるさ」が、コミュニケーションをとる上での気安さ・心地よさに繋がっているのかも

 気付いたら、毎日楽しみにしているLIVEがあったり、見かけただけで絶対に飛び込みたくなる配信者を見つけたり、リスナー同志のコメント欄での交流が楽しかったり、という状態になっていました。何度も色んなところで見かけていると「顔なじみ」になっていくのも面白いですよね。その人のことが気になれば、収録をきくもよし、連携しているTwitter、インスタ、YOUTUBEに飛ぶもよし。相手のパーソナリティを勝手に学習できるので、直接のコミュニケーションはとっていなくても、驚くほど親近感が沸いていたりします。そうして仲良くなったら、Twitterなど外部でインタラクティブな交流幅を拡げたり、コラボ収録機能で一緒に放送を作ったり。大人になったらなかなか「友達」を実社会で作るのって難しくなったなぁ、と思っていたのだけれど、自分の興味・関心・心地よい場・「好き」で色々な方と繋がれていくのを感じて、「stand.fmってSNSなんだな」と気付くに至りました。仲良くして下さる方ができてくると、収録内容にも反響を頂く頻度も増えるし、アプリ内外の交流が生まれるし、アプリを続けていくモチベーションが更に高まりました。ちょっと勇気をだしてLIVEに飛び込んでみた日から、3週間ちょいで随分景色が変わってしまいました


3.暮らしをアップデートする基地

 昨夜、妻と開脚ストレッチをやりながら、いつものようにstand.fmのことを考えていたら(既にだいぶやばい奴になってきた自覚はある)、あることが思い浮かびました。私がコンサルティング会社にいた頃に、立ち上げようと思って形にならなかった教育コンテンツのことです。当時、睡眠・健康・食事・資産形成、といったセミナー講師の方々と交流があり、『ライフシフト』を読んだメンバーが「人生100年時代を支えるプラットフォームを作ろう」と発起したプロジェクトがありました。「スタディサプリを人生全体に拡げてみよう」、「コンサル会社だから各界の経営者のコンテンツも作れるかも」みたいな発想で。なかなか進まなかったし、転職しちゃったんでその後のことはわからないんですが。

 ところで、stand.fmにはいろんな分野で「めちゃめちゃ詳しい人」や「業界のトップランナー」がユーザーとして存在していたりします。ヨガ、メンタル調律、アコギ演奏、チーズ、ワイン、お茶、珈琲、ビジネス、歴史、アート、テクノロジー、暮らし…。様々な分野の、「語れる人たち」が多数存在しているんですよね。そんな人たちと、交流することができる。これって結構すごいことだと思うんです。そういう方々は、stand.fmにおける発信活動にとどまらず、YOUTUBEチャンネルを解説されていたり、セミナーコンテンツを持っていたり、商材を取り扱っていたりもする。そうすると、特定の分野についてより深く知りたい・学びたいと思ったら、stand.fmの外側にも学びの場が繋がっているんですよね。自分の興味・関心に従って、そういう詳しい方々と繋がり、「もっと知りたい」を深めていく機会も開かれている。あぁこれって、僕が前職で実現できなかった事業(暮らしをアップデートするための自学のプラットフォーム)が既にここにあるじゃん、と。

 それと共に、「好き」で繋がった「人」との交流の中で経済圏も存在しているわけです。「あの人が薦める珈琲だから飲みたい」「あの人がLIVEで作っていた料理だから自分でも作ってみたい」「楽しそうだったプレイリスト作り、自分もやってみたい」。交流から地続きの経済取引も存在していて、「何を買うか」というもの自体の関心から、「誰から買うか」という人・体験・物語への関心の移り変わりを見事に内包したネットワークができているのを感じています。

 日々の暮らし・生活体験をより豊かにするための情報を得られ、直接話を聴いて学ぶことができる。必要なものがあれば、関わった人の薦めや取扱い商材にリーチして手に入れることができる。stand.fmは、自分の興味・関心をフックに、暮らしをアップデートするための基盤としての機能をも有しているように思います。

 昨日、kikiさんとコラボ収録しててお話に出てきた「大好きな音楽で、音楽好きと繋がれて、毎日が楽しくなった」という言葉が印象的でした。僕にもそんな実感があります。妻との夫婦げんかも劇的に減ったし


 以上、長々と書いてきましたが、stand.fmを1か月半使ってみて、最近感じていることでした。こんな長ったらしい文章になってしまいましたが、「聴く専」の方や「LIVE童貞」の方がいたら、ぜひ収録・発信・LIVE参加に踏み出してみて欲しいと思います。もしかしたら、もっと楽しい使い方が、見つかるかもしれません。僕の知らない楽しみ方を見つけたら、ぜひ教えてください



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