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「英文解釈演習室」に挑戦 2024年12月号

はじめに

 毎月、演習室に投稿した訳文について、どんなことをかんがえながら訳したかのメモをまとめて記事にしていってます。演習室に投稿されている常連組の方々にはもちろん、参加していない方々にも読みやすい内容にできたらなぁとおもっています。

「そもそも演習室ってなに?」という方は↓の記事をご覧ください。




今回提出した訳文

 はじめて引っ越しでウィンチェスターにきた1994年、川沿いにある草原を週に幾度となく散歩しはじめたころ、ずっと愛してきたイングランドに帰ってきたような気がしました。帰郷のように感じられたのはふしぎなことでした。というのも、幼いときにロンドン郊外で暮らして、それから人生のほとんどを過ごしてきたからです。もしかすると、どこに帰ってきた感じがしたかというと、理想的なイングランドの心象風景なのかもしれません。それは映画をみたときや田舎に遠足したときに垣間見えたもの。そう、うちからほんのすぐ近くに、心に描いたものにかなう景色が広がっていたのです。
 川沿いの草原というのは、ウィンチェスターの南端にあり、うちのある通りからは3分、本通りからなら10分のところです。いっぽんの細い道が草原をとおっていて、その両端に流れるのはふたつの水の路。水車用の導水路はロウギーとして知られ、それよりはるかに広い川がイッチェンです。散歩コースのはじめのところで南へくだると、芝生と木立が流れのむこうにあって、それから遠くに見えるのはセント・キャサリンズ・ヒル。見渡すかぎりのあらゆるものはウィンチェスター・カレッジのものですが、道は一般の人々と飼い犬にも開放されています。
 1980年代のあるときに、ここに高速道路M3をとおす計画がありました。ウィンチェスター・カレッジの校長と御供数名は、公聴会に出席して幅を利かせました。ガヤガヤと騒ぎ立てたのです。騒動を耳にしておもいます、教師たちは危ない橋を渡ったも同然、と——実際に厄介なことにならなくて済んだのは、学校で教え子たちはそのやり口をまねたりしなかったからです。ですが、結局のところ、計画は改められることとなりました。

課題文:Wendy Cope, "Rhyme and Reason"
出題者:斎藤兆史先生


全体の感想など

 筆者のウェンディ・コープさんは1945年生まれのイギリスの詩人で、Rhyme and Reason(韻と理由)はおそらくエッセイやコラムみたいなものかとおもいます。without rhyme or reasonで「訳のわからない」という意味になるそうです。いつか和文英訳のほうでつかってみたいですね。

 いつもよりやや長めの課題文でしたが、語彙や構文、内容もやさしめに感じました。正直どのあたりに出題意図があるかはわかりませんでした。気づかぬうちに出題者の罠にハマっている可能性もあるかもしれません。
 今回、訳出にあたって個人的に工夫したのは以下の3点です。

①人称代名詞「私」をできるだけ日本語に訳出しない。
 
2024年4月号の課題文は"you"が頻出する英文だったのですが、斎藤先生は訳例では「あなた」をつかわずに訳していました。やはり人称代名詞はあまりオモテにだしすぎないほうが日本語として自然なのでしょう。

②原文を「訳し上げ」ずに、できるだけ前から後ろへ「順送り」で訳す。
 これは最近買った水野的『日本人は英語をどう訳してきたか』法政大学出版局(2024年)に影響を受けています。なぜ順送りがいいかは同書をご確認ください。語順を優先したために意味を「裏返し」たところもあります。

③だ・である調の「常体」ではなく、ですます調の「敬体」にしてみる。
 これはあまり強い理由はないです。筆者(=話者?)が女性なので、敬体のほうがよりやわらかくなって雰囲気にあうかなとおもいました。


第1パラグラフ

 話者のイングランド愛やノスタルジーが感じられる導入です。

1-1 When I first moved to Winchester in 1994 and began walking in the water meadows several times a week, I felt as if I had come home to an England I had always loved. 1-2 That it felt like a homecoming made no sense because I had lived in the London suburbs during my childhood and for most of my life. 1-3 Perhaps what I came home to was a vision of the perfect English landscape, glimpsed in films and on rural excursions. 1-4 Here, right on my doorstep, was a landscape that lived up to the vision.


1-1、1-2

When I first moved to Winchester in 1994 and began walking in the water meadows several times a week, I felt as if I had come home to an England I had always loved. That it felt like a homecoming made no sense because I had lived in the London suburbs during my childhood and for most of my life.

 長いので今回は2文ずつまとめてみていきたいとおもいます。

 water meadowsは、①湿地牧草地、②湿地牧野、③冠水牧草地と訳せるみたいで、Googleの検索結果数は①>②>③という具合です。ただ、個人的にはどれも耳なじみがありません。
 今回は植生や地理を専門的にあつかう文章ではないので「水辺の草原」「川沿いの草原」くらい日常的にしたほうが雰囲気にあう気がします。

 several times a weekは「週に数回」。severalは3以上(5〜6回)ですが、具体的に回数よりも漠然と頻度がおおいことをさしているのでしょう。「週に幾度となく」としました。

 ここでのEnglandはイギリスではなくイングランドとかんがえました。辞書をひくと、Englandをイギリスとするのは誤用(とされる)と書いてあるのと、ウィンチェスターもロンドンもイングランドにあるからです。
 このEnglandには不定冠詞anがついてますね。これは話し手には特定的、聞き手には非特定的なEnglandということでしょうか。ジーニアス英和をひくと、[固有名詞が関係詞・形容詞などを伴って]…な都市[国、人など]《♦日本語には訳さない》という用法が載っていました。

 つづく1-2は、主節でいったんきって、because以下は訳し上げずに独立した一文として訳しましょう。
during my childhood and for most of my life(私の子ども時代の間中+私の人生のほとんどの期間)は冗長におもいます。for most of my lifeだけで事足りるはずです。しかし、あえてこう書いてるということは、ちっちゃいときからここで育ったんだよといいたいのでしょう。1-3にでてくるfilmsや excursionsも子ども時代の出来事なのでしょう。
 訳し方としては、I had lived in the London suburbs during my childhoodでいったん区切ってしまって、and (I had lived in the London suburbs) for most of my life.をつけくわえるようにすると、そのニュアンスがでるかなぁとおもいます。

 ちなみに筆者は1945年生まれなので、1994年時点で49歳。きっと30年くらいはロンドン郊外で過ごしてきたのでしょうね(もちろん、英文自体を書いた筆者と英文のなかで"I"として語る話者は、ちがう人物の可能性もありますが)。


はじめて引っ越しでウィンチェスターにきた1994年、川沿いにある草原を週に幾度となく散歩しはじめたころ、ずっと愛してきたイングランドに帰ってきたような気がしました。帰郷のように感じられたのはふしぎなことでした。というのも、幼いときにロンドン郊外で暮らして、それから人生のほとんどを過ごしてきたからです。


1-3、1-4

Perhaps what I came home to was a vision of the perfect English landscape, glimpsed in films and on rural excursions. Here, right on my doorstep, was a landscape that lived up to the vision.

 冒頭の文修飾のperhapsはかなり確信度の低いほうの副詞。

 疑似分裂文、what I came home to「私が帰ってきたところは/私がどこに帰ってきたかというと」という主語に、a vision……とつづきます。
 vision(心に描く像、光景)は抽象的・観念的な響きがありますが、それをlandscape(風景、景色)で具体的・実際的に説明している感じでしょうか。直訳すると「完璧なイングランドの風景の光景or心に描く像」……と、なんともしまらない日本語になるので、visionとlandscapeの意味が重なる部分を「心象風景」という1語でカバーしたいとおもいます。これは2024年8月号の課題文にたいする解説ででてきた「意味素・意味成分に組み替える」という手法を参考にしました。
 perfectはここでは「理想的な」くらいがよさそうです。

 glimpsedは分詞構文ではないでしょう(主節の主語をあてはめると意味がヘンなので)。過去分詞の形容詞用法で、直前のlandscapeではなく、カンマをはさんでvisionを後置修飾しているものとおもわれます。
 ここも訳し上げずに独立した文として訳しました。

 on rural excursionsは直訳すると「田舎の遠足で」ですが、「田舎に[へ]遠足(を)したときに」と展開したほうが日本語として自然かもしれません。
 in filmsも「映画の中で」ですが、それにあわせて「映画をみたとき」としておきましょうか。andを「と」とすると2つに限定されているような感じになりますので、「や」としたほうが適当かとおもわれます。

 つづく1-4は倒置をしていますね。話者のおどろきやよろこびがみたいなものが感じられます。
 on [at] A's doorstep(Aの住んでいるすぐ近くで)という熟語にrightという副詞をつけて意味をより強めてます。live up to Aは「Aに添う」で、こちらはIDIOMATIC300にも載ってました。
 「風景」と「景色」をくらべると、「風景」が全体的な様子や雰囲気で、「景色」のほうがより具体的なものをさす感じです。むかし心に描いていた像が、いま目の前にある!という感じをだしたくて、このa landscapeは「景色」としました。


もしかすると、どこに帰ってきた感じがしたかというと、理想的なイングランドの心象風景なのかもしれません。それは映画をみたときや田舎に遠足したときに垣間見えたもの。そう、うちからほんのすぐ近くに、心に描いたものにかなう景色が広がっていたのです。


第2パラグラフ

 近所にある川沿いの草原の説明が展開していきます。

2-1 The water meadows are on the southern edge of Winchester, three minutes from the street where I live and ten minutes from the high street. 2-2 There's a path through them that runs between two waterways: a millstream known as Logie and the much wider river Itchen. 2-3 On the first part of the walk, going south, there are fields and trees on the far side of each waterway, and in the distance is St Catherine's Hill. 2-4 Everything as far as the eye can see belongs to Winchester College, but the path is open to the public and its dogs.


2-1、2-2

The water meadows are on the southern edge of Winchester, three minutes from the street where I live and ten minutes from the high street. There's a path through them that runs between two waterways: a millstream known as Logie and the much wider river Itchen.

 Googleマップをみていたらウィンチェスター大聖堂のすぐ北側にHigh St(ハイストリート)という通りありました。もしかして固有名詞でしょうか? いや、課題文では小文字で書いてますし、辞書によるとhigh streetは「大通り/本通り」で、アメリカ英語でいうメインストリートのこと。
 すぐ近くにウィルナ・ムアーズ自然保護区という美しいところがありイッチェン川もとおっています。ここが課題文の舞台かとおもいきや、ちがうようです。この自然保護区はウィンチェスターの北東側にありますので。

 2-2themは、2-1のThe water meadowsのことですね。形容詞節のthat runs between two waterwaysというは、runに三単現のsがついていることからa pathにかかっていることがわかります。
 直訳すると「(そこには)2本の水路の間に(川沿いの)草原をとおる1本の道があります」。最後に「道があります」となって、直後にコロンをはさんでロウギーとイッチェン川の説明がつづくと情報の流れがヘンです。two waterwaysとa millstream known as…は切り離したくありません。
 あるいは「2本の水路(ロウギーとイッチェン川の説明)の間に草原をつらぬく1本の道があります」と、コロン以下の内容をカッコで補足するのもアリかもしれません。でもなんかちょっとズルい(?)気もしますし、なにより1文が長くなってしまうのは避けたいところ。

 ここで『日本人は英語をどう訳してきたか』に紹介されていた別宮貞徳の「裏返し法」3-4でもつかいます)をヒントに、視点を逆転させることにしました。つまり同じ景色を「2本の水路の間に、1本の道」ではなく「1本の道の両側に、2本の水路」というふうにみると原文の語順にちかくなり、その後のロギーとイッチェン川の説明がスムーズにつながります。
 こういう発想の転換は、遠田和子先生の『究極の英語ライティング』にあった日本語の否定文を英語では肯定文に訳す方法をおもいだしますね。

 ちなみにこのロウギー(ローギー?ロージー?)はググっても全然でてこなかったのですが、ウィンチェスター・カレッジ内を流れているようで、英語版のWikipediaにはのっていました。学生がこの川に身を投げたという伝説があるようです。


川沿いの草原というのは、ウィンチェスターの南端にあり、うちのある通りからは3分、本通りからなら10分のところです。いっぽんの細い道が草原をとおっていて、その両端に流れるのはふたつの水の路。水車用の導水路はロウギーとして知られ、それよりはるかに広い川がイッチェンです。


2-3、2-4

On the first part of the walk, going south, there are fields and trees on the far side of each waterway, and in the distance is St Catherine's Hill. Everything as far as the eye can see belongs to Winchester College, but the path is open to the public and its dogs.

 ここでのwalkは「(遊)歩道」のことでしょうね。2-2a pathの言い換えであるとおもわれますので「散歩コース」にしてみました。

 このfieldsは「畑」でしょうか「野原/芝生」でしょうか?
 先ほどもこの課題文の舞台について軽くふれましたが、ウィンチェスター・カレッジのすぐ南東にあるカレッジ・ウォークから広がる範囲だとおもわれます。ウィンチェスター大聖堂前のハイストリートから徒歩で10分ほどで、イッチェン川もとおっています。
 なお、ウィンチェスター・カレッジ(Winchester College)は、ウィンチェスター大学(University of Winchester)ではないので、うっかり「大学」と訳すと減点対象になるかもしれませんね。
 このあたりをGoogleマップの航空写真や、2009年頃のストリートビューをみてみましたが、キレイに刈り取られた芝生がひろがってて農作をしている様子はありません。2-4でも言及しているように、ここはキャンパスの敷地内なのでしょう。

 ちなみに、セント・キャサリンズ・ヒルの標高をしらべると100メートルに満たない本当に丘でした。ウィンチェスター・カレッジからはみえるでしょうが、ウィルナ・ムアーズ自然保護区からは確実にみえないでしょうね。

 2-3in the distanceと、2-4as far as the eye can seeもそのままズバリIDIOMATIC300に載っていました。あっつい参考書です。


散歩コースのはじめのところで南へくだると、芝生と木立が流れのむこうにあって、それから遠くに見えるのはセント・キャサリンズ・ヒル。見渡すかぎりのあらゆるものはウィンチェスター・カレッジのものですが、道は一般の人々と飼い犬にも開放されています。


第3パラグラフ

 最後は1980年代にでた開発計画の顛末についてです。

3-1 At some point in the 1980s there was a plan to run the M3 through the water meadows. 3-2 The headmaster of Winchester and some of his staff attended the public inquiry and made their presence felt by humming. 3-3 It sounds to me like a risky strategy for schoolmasters — they would have been in trouble if their pupils had borrowed the idea in school. 3-4 But, eventually, the plan was altered.


3-1、3-2

At some point in the 1980s there was a plan to run the M3 through the water meadows. The headmaster of Winchester and some of his staff attended the public inquiry and made their presence felt by humming.

 M3がなんなのかしらなかったのですが、イギリスの高速道路のことらしいですね。

 headmasterは「(男性の)校長」3-3にはschoolmaster「(男性の)教師」という単語もでてきます。今回の課題文においてはあえて「男性」と明示するほどの理由はないとおもわれますので「男性」は省略します。ちょうど一年前の2023年12月号の課題文にもschoolmasterはでてきて2月号でも解説されていました。
 staffは(教員ではない)職員をさすことがあるみたいですが、ここで「職員」にしてしまうと3-3のschoolmasterとのつながりがわるくなる気がするので「御供」とぼやかしました。
 the public inquiryは「公的な調査」なので「公聴会」でいいでしょう。つまり、校長が公聴会に……

 make one's presence feltで「存在感を示す、存在を印象づける」。そのための手段がby hummingです。さて、ここは考えどころです。
 hummingを辞書をひくとポジティブな「鼻歌を歌う/景気がよい/活気がある」という意味と、ネガティブな「ブーン(虫の羽音)/騒音/雑音/口ごもる/悪臭を放つ」という意味があります。つづく3-3で話者はリスキーだといい、その理由が教え子がマネをするかもしれないからとしています。

 かりにポジティブなhummingだとしましょう。教師たちはM3計画に推進しているような意味になりそうです。なぜそれがリスキーか。教え子たちまで賛同してしまったら困るから……? うーん、課題文からわかる情報をもとに推理してもよくわかりませんね。
 では、ネガティブなhummingだとどうでしょうか。教師たちはM3計画に口角泡を飛ばして猛反対。なぜそれがリスキーか。教え子たちまで理性的でなくなり、反対デモ運動にまで発展したら困りますものね。

 ……と、ここまで考えましたが、英語版のWikipediaの記事に"during the year-long inquiry the headmaster of Winchester College was forcibly ejected along with others for causing a disturbance"(1年間に及ぶ公聴会の間に、ウィンチェスター・カレッジの校長が騒動を起こしたとして他の人とともに強制的に追い出されました)とズバリ書いてありました。
 ただこれを読むと、この騒動のあった公聴会は1970年代後半のことで、工事自体は80年代のようですね。

 重要な情報であるのと、次の3-3以降とのつながりをよくするためにby hummingを独立した文として訳しました。


1980年代のあるときに、ここに高速道路M3をとおす計画がありました。ウィンチェスター・カレッジの校長と御供数名は、公聴会に出席して幅を利かせました。ガヤガヤと騒ぎ立てたのです。


3-3、3-4

It sounds to me like a risky strategy for schoolmasters — they would have been in trouble if their pupils had borrowed the idea in school. But, eventually, the plan was altered.

 3-3でIt sounds to me…とsoundsをつかっているのは、3-2hummingとかけているだろうととおもいます。本当は「きこえる」「ひびく」などの聴覚的な意味の動詞一語でズバリいえればカッコイイのですが、「騒動を耳にして」としてみました。
3-2はattendedやmadeは過去形ですが、3-3のsoundsは現在形でなんですね。現在においても話者はそうおもっている、ということでしょうか。

 a risky strategy for schoolmastersという名詞句は、「教師たちにとって危ない戦略を講じた」というふうに展開してみましょうか。ついでに「危ない橋を渡った」という慣用句をつかいたいとおもいます。道や川の話がつづいてるのですこし洒落をきかせたつもりです。

 ダッシュをはさんで、前の文に仮定法過去完了で情報を追加をしています。過去の事実に反する仮定の文であるS would have A if S' had B.を直訳すると「もしあのときBだったら、Aだったろうに」となりますが、主節のAと条件節のBの語順が逆転してしまいます。
 ここで2-2でも使った「裏返し法」で順送りの訳にしてみましょう。

  • 訳し上げ→ 「もし学校で教え子たちがそのやり口のマネたりでもしたら、厄介なことになったでしょう」

  • (裏返しにして)順送り→ 「実際に厄介なことにならなくて済んだのは、学校で教え子たちはそのやり口をマネたりしなかったからです」

 ちなみに、安西徹雄『英文翻訳術』にもこのように「発想を転換して直説法に置き直」す方法がのっていました。ただ、安西さんの意図としては、原文の語順を維持するためというより、英文が伝えたい意味を日本語としてわかりやすく訳すためという感じです。

 borrow the ideaは「考えをとりいれる」ですが、「やり口を真似る」と訳しました。「やり方」より「やり口」のほうが音っぽいですよね。


騒動を耳にしておもいます、教師たちは危ない橋を渡ったも同然、と——実際に厄介なことにならなくて済んだのは、学校で教え子たちはそのやり口をまねたりしなかったからです。ですが、結局のところ、計画は改められることとなりました。



訳文検討会

※後日追記予定


成績・講評

※後日追記予定

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