ちりぢりこいぶみ
いつだったか、仕事で帰りが遅くなった時に見た、濃紺の空気に、疎らに敷かれた花の名前はなんだったかな。
ああ、そういえば、この間の雨で、全部地面に落ちたんだったかな。
この間の雨は酷かったね。風は屋根を持って行くような勢いだったし、次の日の地面は、やっぱり疎らに何かが落ちていたんだよ。
見上げたら、もう、空に敷かれていた絨毯は穴だらけで。ところどころ、柔らかい葉が出てきていたよ。
不思議だね。咲き乱れた花はすぐに散り散りになったのに、その後の新しい主役は、長くそこにいられる。
みんな、その花が好きなんだよね。でも、なんだったかな。名前が思い出せないんだ。
去年も、その前も、そのずっと前だって、ずっと知っていたし、分かっていたのにね。ど忘れしてしまったんだ。
そうだ。もう春も深くなったけど、君はどうしているのかな。
元気でいるのかな。それとも、苦しくて潰れそうなのかな。
名前のない、いや、本当はあるけれど、その花を見ることは出来たのかな。
空気が華やぐ瞬間には立ち会えたのかな。そんな下らないことを考えては、現実に打ち消されて行くよ。
君なら大丈夫。
きっと、この夜空まで白く染め上げる花のように美しく、新緑のように長く、年月が経って赤く染まるまで、幸せでいられるよ。
こんな忘れっぽい奴に言われても、信じられないかもしれないけれど。
ああ、それにしても、あの、満開の花の名前はなんだったかな。
そういえば、君の名前すら分からないや。それでも、君はきっと幸せになれるよ。
漠然と、そう思わずにはいられないんだ。それも、現実に打ち消されて、その内忘れてしまうんだろうね。
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