マイルドヤンキーになれなかった私
マイルドヤンキーの条件
マイルドヤンキーは「地元に根ざし、同年代の友人や家族との仲間意識を基盤とした生活をベースとする若者」を指す。(参考リンクはこちら。他にも定義の仕方はある)
私見だがここで一番重要なのは「地縁」だ。生まれ育った土地で、その土地の人間関係の恩恵を最大限に受け、その土地を愛し、その土地で家族を育む。
転勤族で国内や国外を激しく往来した幼少時代を過ごしたり、義務教育の過程で私立高に進学したり、高校・大学で地元を離れたりした場合は、「マイルドヤンキー」になれる確率はぐっと下がる。
それは彼らが地縁に基づく人間関係やライフイベント、行事を極端に重視するからだ。地域外の学校への進学や、海外への留学、他地区への引っ越しはその地縁からの脱出に他ならない。
※高校や大学を卒業後、再び「地元」に戻ればその「地縁共同体」に戻ることもできるかもしれないが、それはその人の価値観が地縁を抜けて過ごした後でも変化していない場合に限り可能である。多くの場合、難しいのではないだろうか。
マイルドヤンキーになりきれなかった私
私にとっても難しかった。東京都江戸川区は東京の最東端に位置し、マツコ・デラックスお気に入りのカオスな街だ。小学校は住所で割り当てられた地元の区立小学校。中学校に進む際に、その地区では多少人気だった中学校に抽選の結果通うことになった。公立中学校の人気の要素は、制服、学力検査の結果くらいだろう。抽選があるというと人気の学校で、生徒の質も高いように聞こえるかもしれないが、地区ごとの割り当て人数もある。周辺地区からの受け入れ人数と、学区外から受け入れる人数が定まっているのだ。だから、抽選を経ずとも入学できる生徒の方が圧倒的に多い。
中学校に入ってから当然のことながら私にとっては学区外の友達ができた。彼らからすればその中学校は自分たちの地域に当たる。小学校からの人間関係を濃く引きずり、仲良しグループは基本的に出来上がっている。
小学校から始めたバレーボール部への入部は決めていた。当時の3年生は都大会に出るくらいの腕前で、同じバレーボールクラブの卒業生もいて、とても怖かった。そのバレー部に地元小学校の一団も入部した。中心になる2人がいて、その周りを引き連れてきた感じだった。
そのグループに入った(部活が一緒なので入ったことになった)ことで当たり前に影響を受けた。ユニクロのスウェットパンツをだぼだぼに履き(冬はこれにファーのついたダウンジャケットが定番)、荷台のお尻の部分をサドルで曲げて座りやすいようにし(ケツ上げ、という)ブックオフで溜まり、コンビニの前で溜まり、誰かが髪を切るときは全員で付いていって美容室で漫画と雑誌を読み漁って過ごした。
今考えるとちょっと怖い。
当時は「前略プロフィール」「リアルタイム」の全盛期だったので(それぞれFacebookとTwitterの前身のようなもの)みんなこぞって更新しては友達リストを作っては誰を外して誰を追加して…ということは繰り返していた。(自分の前略プロフィールに友達として登録できるのは5人までだったので、だいたい友達のプロフィール集を作るのが普通だった。たまに親友だけ直接リンクにすることもあり、「親友」であることを示す人もいた)
リアルタイムはTwitter同様に自分の気持ちや状況を書くことができ、アクセス数の増減で一喜一憂することもままあった。なお、前略プロフは基調となるデザインを選んで答えたい質問に回答を入力するだけで完成したので、「病み期」が訪れると真っ黒にしてリンクをすべて外し、「病んでいる」アピールをする人もままいた。
外から見れば私は完全にマイルドヤンキー化していたが、お勉強できたことが違いだったかと振り返れば思う。高校で学区からは遠く離れた都心部の高校に通うことになり、自然と離れていった。タバコもお酒も試す気にならなかったし、何より大学に行きたかった(行くのが当然だと考えていた)
マイルドヤンキーとの決別
マイルドヤンキーであることを非難するわけではない。地域のイベントに積極的に参加したり、生まれ育った故郷にとどまって過ごしたりするのも選択の一つだと思う。いつもの友達とケータイ一つですぐに集合できるし、恋愛のこと、家族のこと、兄弟のこと、なんでも話せるのは精神的にも健康だ。
問題を挙げるとすれば閉鎖性、回顧癖ぐらいだろうか。よそ者に対する不信感、身内で集まることに対する執着、集まると必ずといっていいほど小学校・中学校時代の話をする。そして自分たちのグループにいなかった人々を(無意識かもしれないが)ランク付けする。「いけてない」と「陰キャ」扱いになる。
「陰キャ」だった人たちは卒業してもずっと「陰キャ」のままだから「〇〇だったのに」とか、「変わったね」みたいな評価をする。そう、評価をしているのだ。高校に入学して数か月はそれなりに付き合いがあったが、次第に自然と合わなくなった。大学入学後は、顕著に話が合わなくなり、集まりにも呼ばれなくなった。高齢だった土手での年越し(初日の出をみるために夜に集まってずっと話す)や花火にも呼ばれなくなった。
成人式で再会したときはさすがに一緒に楽しんだが、
社会人になってからうち一人の結婚式で再会したときには「もう会わないだろうな」と感じた。向こうも同じかもしれない。人間関係の軸が変わっていないのだ。中学校を卒業して10数年を経てもなお。新婦は小学校からの友人で、高校進学、大学入学後も2人で会うくらいの中だったので呼んでくれたが恐らく他のメンバーではないだろう。新郎も小学校から中学校まで同じだったので、幼馴染どうしの結婚に参加したまでだ。
結婚式用に作られたLINEグループも退会したし、個人的に連絡を取る気もない。
悲しい別れか嬉しい旅立ちか
先月、20数年間に渡りいつづけた親の元を離れ、恋人と同棲を始めた。まだ住民票を移せていないが。地元との関係は両親を介してしかない。これを寂しいと取るかどうかはその人次第だと思う。価値観の違う友人を持つことは大切だが、無理に合わない場合に一緒に居続けるのは不要なストレスを生む。
モノと同じく人間関係にも断捨離が必要だし、ある程度の新陳代謝はあってしかるべきだと考える。変わらないものを持ち続けたいなら話は別だが、望んでそうなっていないなら見直す必要があるのではないだろうか。恋愛も会社も、実は全部同じだと思う。
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