エヴァンジェリストの入ってきて “くれない” 問題
何かしらのエヴァンジェリスト的な動き方をやってると、何かしらの場を用意して皆が入ってきてくれるのを待つような場面がいくつかありますね。
イベントごとだったり、オンラインのコミュニティだったり...
そんなときに発生するのが、入ってきて "くれない"、参加して "くれない" です
自分(たち)としては最高のコンテンツを用意したのになぜ、わかって "くれない" 向こうが悪い みたいな自己弁護に逃げちゃうこともままあるかと。
このくれないはなぜ発生するのか、
たとえば私が"くれない"側だったとしてどういう判断をとっているか考えてみると....
たぶん、「よし、やってみよう」と思うまでにいくつかのゲートがあるんじゃないかなと。
例えば、
そこに自分の欲しいものがありそう
そこのフロントマン(に見える人たち)に好意を持てる
コンセプトや活動内容に共感する
ターゲットは自分たちであると思う
求められると思われるスキルを持っているといえる
他にやらないといけないことはないか、あっても何とかできる
上司や同僚に許容してもらえそう
そこに近しい関係の人がいる
ここまで来ると入る判断の可能性が一番高まりそう
そこに近しい関係の人はいない
上司や同僚に許容してもらえなさそう
やりたいが、他にやらないといけないことがある
求められるスキルを持っていると言えない
ターゲットは自分たちではないと思う
コンセプトや活動内容に共感しない
そこのフロントマン(に見える人たち)に好意を持てない
そこに自分の欲しいものはない
なんて感じ。
だとすれば、できるだけこのゲートを通過するような状況や仕組みをつくるのが、その答えになったりするのかな。
だとすると、エヴァンジェリストとして、慰めるヤツがいなくなるほどくれないに染まってダークサイドに落ちる前に、何かできることはありそうだ!
といったことを考えるきっかけになるかもしれない小田中さん、蜂須賀さんの「くれない」ワークショップは10/14開催です!ぜひご参加あれ
https://devlove.doorkeeper.jp/events/127192