40歳のタイムカプセル
この記事はDevLOVEアドベントカレンダーの22日目の記事です。
書いてしまって思いますが、登壇にしろこういう場にしろ毎回自分のことを自分視点で自分のために書いちゃいます。その傾向は自覚してます。
今から10年前というと2009年。その頃、わたしは社内の基幹システムの再構築プロジェクトにいました。主要なドメイン毎にいくつか分けて、そのなかの1ドメインのリード的な立ち位置でした。
それぞれのチームはドメインの業務設計とそれを踏まえたソフトウェア設計と実装みたいな役割で構成され、わたしはどちらかというとソフトウェア設計や実装のような開発の技術ややり方に期待されていました(おそらく。ずっとそういう評価をされているようにも思える)
逆にドメイン知識はてんで弱いんですよね、わたし。これは自覚もしていて、たぶん他の人の評価もそうだと思います。開発に期待ってのはそれを踏まえてでもあるのかな。
たしかにその期待に沿った動きもやっていて、ちょうどredmineが1.0になるかならないかあたりの頃、当時はソフトウェア開発に特化していない普通のグループウェアで進めることが多かったのですが「redmineとsvn連携させたらソフトウェアの実装の経緯が永遠に管理される!これはかっこいい!」と導入しました。
さらっと「導入しました」で終わってるのはこの時点ですでにこういう事をやるときにそれを信じて貰えるような下地(いわゆる信頼貯金)が貯まってはいたのでしょう(だとしたらそれはいつ貯まったんだろう?と思うともっと深い過去の旅に出ることに...すでに記憶は薄い)
で、このredmineはそのプロジェクトだけで使っていましたが、稼働させていたサーバが貧弱だったのでもっと強いサーバに移そうとしたときに「このプロジェクトだけでなくもっと広く使えるようにするならいいよ」的な話をうけたんですよね、たしか。
で、当時、開発ツールの開発元の会社さんをお招きして社内で(固めに)講演をするようなスキームがあったので、そこに社内の人間として「redmineつかってTiDDやろうぜ!ホスティングサービスやるからさ」な講演をさせてもらいました。
社内の(うちとしては若手な)人が喋ることはほとんどなかったんじゃないかな。せっかくなのでその場で他のプロジェクトでredmineつかっている人やtrac使っている人も呼んでそれぞれの使い方や機能の差異なんかを話すような場にしたり。
そういえば、そのときのスライドに「楽しくなければ仕事じゃない!」みたいなフレーズを入れたら当時の上司(だったっけか?)がレビューのときに「そういうのはやめようよ、会社なんだからさ」とか言われたりもしたっけ。
もしかしたら「すきなことをみんなに広めて楽しくしていきたい」みたいな思いを外に向けて表した機会として、これが原点の出来事なのかも。このときのスライド見返したくなってきた。どこにあるっけ...
ほかもIDEのアドインだったりDBの自動テストのライブラリだったり、かゆいところに手が届くとか、用意されているものの隙間を埋めるようなものをつくっては効率化することに楽しさを感じてました。そこにかっこよさを感じてたんだよね。
この再構築プロジェクトが終わり、2015-16年くらいにわたしは次のところに放流されるわけですが、次にたどり着いたのがこれまでに全く経験したことがないドメインで、かつ技術的には今ドキの(いわゆるDX的な)アプローチが必要とされるプロジェクト。
さらにここはドメインの特性上、知識の質と量が発言力にものを言うような環境(一方的な見方かもしれないけど)で、かつ、登場人物も多く、全社的な取組みでもあったので、なかなか具体的な始めの一歩を踏み出すことが難しく、1年くらいずっとやきもきするような状況のなかにいました。
これっていわゆる大きな組織での計画主導のアプローチに関するアレコレですね。今となっては、ドメイン知識がないにしても、話の組み立て方とか共通認識のつくり方とかプロジェクトのファシリテーションの方から入って良い関係性をつくるみたいなアプローチができたような気もしますが、このときはそのやり方も知らなかったし、何より自分がそれをやるだけの能力がないと思い込んでいたのかな、と。
という経験で不満を抱えていると、ドメイン知識に長けているビジネスの方ありきで開発者は二の次みたいな雰囲気を勝手に感じ、立ち向かいたくなってくるわけです。
それはビジネスになれなかった憧れから生まれる反発でもあり、開発者としての矜恃でもあり、まあ、複雑なものです。いろいろ混じってるんです。
この頃の感情を端的に書くと「つまんねえ」と表現しちゃいますが、どうにかして自分のフィールドから活路が見出せないかに足掻いてました。自分のフィールドってやっぱり開発的な何かですね。今の状況を打破するようなことを、開発者としての動きで何かをやりたいと思ってくるわけです。
で、この頃から社外の勉強会にめっちゃ行き出します。2016年の秋から冬くらいだったかな。
そんな感じでいろいろ行ってるなかで、2017年春の明日の開発カンファレンス2017で8habitsと出会い。
これは衝撃的でしたね。当日その場でもそうでしたが、後日ネットで見返したりしていくなかでどんどん強化されて。
ここから「本当に大事なことだけをやる」「小さく失敗しながら探索する」「それを可能にするために会社は社員を信頼し、社員は自ら動いてその期待に応える」みたいな考え方が自分のなかに軸として出来てきて、なおかつ、それは自分のなかで開発者としてのかっこいい動き方像にばっちりハマりました。
それと、持ち帰って社内で共有したときに、8habitsを既に知っている人もいたし、この考えに共感してくれる人もいたし、上層部も理解してくれたしと、ここに限っては人生の幸運をこのタイミングに使い果たしたかと思われるくらいの状況でしたね。
それで、この考え方を踏まえた社内コミュニティを立ち上げました。スキームとしては、組織横断的にチームを短期結成し、そこでプロダクトをつくるような形です。このときのスタンスは、開発者としての反撃の狼煙。
8habitsの"従業員への信頼"に則って、会社からの指示は何も入らない場とさせてもらったので、自分なりの問題意識を主張したり、同じような問題意識を持つ人たちが繋がったり、自分たちだけでチームをハンドリングしていく経験ができたり、現場のしがらみで使えない技術もつかえたりできる場として機能し始めていました。
そんな流れでこの社内コミュニティを運営していると、同じ目的を持って、自分たちで考えて、自分たちで行動を選択して、自分たちで何かしらの結果に昇華させるという様を見たり関わったりする機会が多くなり、不思議なことに、自分のなかで開発者として技術的な観点から現状を打破する何か新しいものをつくってそれを会社が取れる選択肢まで持っていくという想いよりも、このチームの在り方を現場に持っていきたいという欲の方がつよまってきたりするわけです。
この熱量と姿勢を普段の現場に活かせたら。会社全体をこういう在り方に変えられたら。ここからはプロダクトよりも人とプロセスをどうしていくかの方に関心が向いてきました。
カイゼン・ジャーニーが発売されて、その流れでDevLOVEにJOINしたのもこの頃です。カイゼン・ジャーニーの物語感とチーム像、DevLOVEでの同じ方向を見ている社外の仲間との共通体験も、その要因のひとつですね。
で、そのプロジェクトからも離脱し、2018年春くらいからは会社全体の働き方や社内の情報の流れに関わる基盤づくりのプロジェクトにいます。現在進行形。これまたDX的なやつ。
このあたりから関心だけでなく本業としても、企画やサービス設計や対ステークホルダーとのあれこれが主要な仕事になってきて、開発者としての色合いの薄まりに後ろめたさを感じています。
今いる会社はとーっても大きな組織なので、会社全体をスコープにするのはユーザが多くやりがいがある反面、想定ユーザをどのラインにおいてどういうアプローチをしていくかの線引きだったりバランスだったりがとても難しかったりするんですよね。スケールされたところからスタートみたいな。
それと、個人的には社内コミュニティで掴んだ、人とプロセス的なアプローチを実践する場として捉えていた面もあり、始めは意気揚々ともしていたのですが、うまくいかなかったり、うまくいったことの効果が他に伝わりづらかったりで辛い時期もありました。
ここ1年の読書傾向が人の認識やコミュニケーションに関わるものが多いのはまさにこの影響ですね。
ただ、そうした辛い状況で自分を支えてくれるのは社内コミュニティの活動だったり、それを運営していることから生まれる自信だったり、社外コミュニティの人たちとの繋がりだったり。同じく辛い状況にあるなら今の現場や会社以外にも自分の居場所を複数つくるというのはやった方がよいです(もしアテがなければ連絡くださいね!)
そういう支えがあると、辛いことも(たまには)ラーニングゾーンにいると捉えられることもあります。
それと、このプロジェクトを担当したことによる副次的なリターンですが、会社全体を対象にしたサービスを担当していると、いわゆるスタッフ系の組織機能にあたる人たちとの繋がりができてきます。
大きな組織でそういった人たちとの繋がりがあるのとないのではとれる動きでだいぶ選択肢が変わってきますので、これはかなり良かったことです。
なので、脇道に逸れる&手前みそですが、もし会社で何かしらのコミュニティだったりイベントごとをはじめようとしているのであれば、そういった情シスの人を巻き込むのはとても良い手なのでお勧めです。
と、良いことがありながらも、この社内コミュニティの運営もうまくいったり、停滞したりで一筋縄ではいかない状況なのはこちらに書いているとおりですが、
今もってるイメージとしては、最初に掲げていた反撃の狼煙みたいに敵と味方がいてそこで戦うような世界観よりも、その場にいる人が望む結果を得られるように対話を重ねて一緒に未来をつくっていくような世界観の方がつよいです。
この気持ちの変わりようは、今のプロジェクトでのうまくいかなさや社内コミュニティの停滞を経験したからこそ生まれたものでしょうね。
というわけで、わたしのこれまでをふりかえると、以前から芽はあるにしろ、やっぱり社内コミュニティを立ち上げてからようやく自分のハンドルで動き出したんじゃないかなと思います。
自分でハンドルを握ったことで、自分の目の前の現実の捉え方や人との関わり方が変わってきたんじゃないかな、と。欲を言えば10年早く、あるいは5年でも早くでもここにたどり着ければよかったかな。
まあいいか。
そして最近よく感じるのは、すきなことをすきにやってるとそれをすきなひとと出会いやすいってこと。実は大きな組織って自分ひとりで孤独になってしまうことはそうそうないんじゃないかなと思ってます。なぜなら、人が多いから。
ただ、自分の行動範囲を組織や会社の境界のなかに閉ざしてしまうと孤独になっちゃうかもしれません。そういうときは、その境界を少し出てみるとよいです。実は同じ方向を見ている人と出会って何かが出来るきっかけは実は大きな組織ほどたくさんあると思っています。
ということで今。社内での新しい出会いや社内コミュニティの復活にかける想いの共有だったりで自分としては意外だけど希望がもてる状況にいます。
つらつらと書いてしまいましたが、こういった形でことばにする機会があると、あたかもことばで土台を固めて積み上げた階段を一段ずつ登っていくみたいに書いたことばが自分へのアサーションになって自分の行動に影響していくので、自分がこれからどう変わっていくかは楽しみなことです。
それと同じく、人と出会い、その人の変化に寄り添い、それぞれの変化に立ち会えれば、それはとてもしあわせなことだなーと思ってます。
そして、変化はやっぱり何かのはじまりに一番現れますよね。そういう意味で、これからの10年は、人と何かをはじめることをやっていきたいな。そういう意味で、今もこのイメージでいます。
それが未来をつくることに繋がり、どこか一点でもこの世界の未来に貢献することができれば、10年後にふりかえったとき、誇りを持ってその10年を語れるんじゃないかな。
10年後の自分(50歳というと気を失いそうだけど!)、これまでの10年どうだったかな。すこしでも今思い描いている未来をつくれてることを期待してる。
実は、ここで語ってない裏のエピソードがこの話の全般に背骨として通ってることに書きながら気づいてて気づかないふりをしてますが、それはまたどこかで。