#るーつ。
(今夜も過去配信のAI記事ちょい編集verです)
今日は自分の子供の時の話をしたいと思います。
なんでそんな気持ちになったのかわからないんですけど、急にそんな気持ちになりました。
私には兄の中で一人、自閉症っていう障害があって。自閉症って一般的にスペクトラムで、重症度っていうのは本当に個人差があって、できること、できないことっていうのの、特徴がかなり差があるんですけど、うちの兄は、中~重度なのかな。喋ったり、自分の身の回りのことをするっていうのも難しいし、多分自己管理とかも難しい。 こだわりも強かったり、20代くらいまではパニックもすごいあって、生まれた時からそういう家族がいるところに、生活してました。
■兄の障害の特徴と日常生活
兄は、私が小さい時はボタンを押すのがこだわりの一つであって、あと水を流すこと、それから噛むこと、あとは声を、うまく喋れない代わりに、ウォンウォンウォンとか、独特な声を出す。集中している時とか特に。 人からは奇異な目で見られるような特徴がいくつかありました。
家の中で一緒に生活していると、CDとかビデオとか、ゲーム機とか、おもちゃとか、ありとあらゆる使うものは噛み跡があって。もちろん鉛筆とかも、ビデオテープとかは、テープがめっちゃ出てきちゃってて、よく絡まるんで、ハサミで切ってセロテープで繋げたりしてました。
■ 物事に対するこだわりと影響
なんでそういうことが起きるかっていうと、テレビとかもボタンじゃないですか。チャンネルをすごいたくさんいじるから、絡まったりするんですよね。 取り出したり取り入れたりとかいろいろやって。大事なものっていうのは大体、ちゃんと隠しておかないと噛まれちゃったりとかしますよね。
私はすごい幼すぎてそんなに支障はなかったかもしれないけど、姉はよく大事なCDとか、大事にしてるものとか噛まれてて嘆いてました。けど仕方ないっていうか、それが自分の日常の風景。
トイレに入るたびにトイレはすごい、水が溢れてきたり、掃除が必要だったりとか。 電話も知らない番号にかけちゃうから、ボタンが好きなので、救急車が来たりとかするときもあったし、知らない人から怒られたりとか、電話してくるなみたいな、いろいろですよね。
あとは、お風呂とかも家族が入れて、一緒に入って洗ったりとかもするんですけど。フォローが必要だったりとか、出かけるときは、ボタンが好きでエレベーターに乗ってどっか行っちゃうんで、家族総出でいつもエレベーターで見失っちゃったら、何階に行った!って言って、各階に探しに行ったりとかしてました。その当時は携帯も今みたいに便利になかったので、そんな日が日常でした。
私は、自分が末っ子で可愛がられる一方で、サポートが必要な家族がいて、当たり前に、自分の持ちは自分でしっかりと守ってないといけないみたいな、そんな感じがありました。
あと、何が起きてもそれに驚かない、っていうか「大抵のことは大丈夫、大したことない」みたいなのも。
■ストレスとパニック
あとは何だろう…パニックがね起きちゃったりするんですよね。パニックって、何か想像つきますかね?
ご存知の方、ご家族にいたりとかしたらすぐ分かると思うんですけど、家族で止めても、結構興奮してて、家族で本当に体を抑えて落ち着くまで、フォローしたりとかも必要だったりしましたね。父とかもシャツが引きちぎれるぐらいの本当に本当にすごいパニックになって。思い出すと、すごい壮絶だったな。
人の感情の大きな揺れみたいな、本当の喜び、本当の悲しみ、苦しみ、怒りみたいなのを、むき出しで、やっぱりうまくしゃべれない分、エネルギーで出すので。もう、ただただサポートに徹するみたいな必要があるので、みんな、私の他の兄弟はお利口さんみたいな、感じでしたね。静かにパッて、気が利くみたいな。そういう特徴は、どうしても生まれた気がします。
大抵のことに、あんまり大したことないっていうか、忍耐力がついてしまっているっていうところがあって、それが、いいところでもあるんですけど、時々、あんまり良くなかったりするなーって思います。
例えば、私は離婚してるんですけど、結婚したときにいろんな問題があったんですけど、一般水準的に見たら、そこでアウトでしょ!みたいなところでも、自分の中であんまりピンときてなくて。自分がなんとか頑張ればいいんだ、みたいなマインドになって、頑張るところがあったなって。振り返るとそういうのも自覚するし、どうしても、生まれ育ってきた環境を適応するために身につけてきた術っていうのは、自分に染み付いてるんですよね。今も染み付いてるから、自分の特徴になっている。
よく小さい頃から、子どもっぽいところっていうのをいっぱい持ってて、何振り構わずふざけるみたいな部分、無邪気さみたいなのもすごい大事にしてる。でも、そういうのは、だってカッコつけようと思ってもカッコつけられないじゃん、みたいな、そういう兄弟の姿を見てきてるから、内心フェイクみたいなことに対して嘘っぽさを感じるというか、もっと人間の壮絶な、生々しさみたいな、喜び、悲しみ、いろんな感情があるけど、何だろうな、ぶっ飛んでるところがありますね。
(世間に対して)羨ましいなって思うんですよね。 例えば最近、SNSとかで、すごい華やかにして、華やかな一面を見せるみたいな、魅了させるみたいなのが多くなってきてるけど、なんか作り物だなみたいなって思う自分もいるんですよね。やっぱり、なんか、自分はそこまで作り込めないというか、頑張れないですね。嘘っぽくなっちゃうな。
こういう経験、体験って、実は周りには、あ、そうだったんだ、みたいな、やっぱり、分からなかったり、見えない、なんか知らない世界って、たくさんあるなって思うんですよ。自分が今話してることっていうのも、別にすごい特別なことだと思ってなくて。みんないろんなことを経験してきてて。だから知らないだけで、自分ので想像力が及んでないだけで、本当にたくさんいろんなことがある。だから一部の情報で何かジャッジしてしまいたくないなっていうのは、すごいありますね。
そんなまとまりで、今日はこの辺にしたいと思います。
聞いてくださってありがとうございます。
今日もいい夜になりますように!
Mariaでした。