「25歳のときなにしてた?」vol2:高校教員を経て新たなステージへ向かうりっきーさん
-プロフィール
神奈川県横浜出身、大山力也(おおやま・りきや)あだ名はりっきー。
親の仕事の関係で、幼少期の6年間をブラジルで過ごす。
7歳から日本に帰国し、高校からは大学付属の私立男子高校へ通う。
今まで小中高と「教員に向いているよ」と言われたこともあり、早稲田大学教育学部に入学。3年生まで教員免許を取得していなかったが、「教員って面白いかも」とふと思い立ち教員になることを決意する。だが単位をとるために1年では足りず留年という形をとって5年生まで大学に通う。教員免許を取得し、2年間で教員になるのは経験が少ないと思い、さらに勉強するために大学院に通う。大学院卒業後、1年目は山梨県の私立高校で非常勤講師として働き、その後、鳥取城北高校で5年間働く。教員の傍ら地域コーディネーターとして活動を行う。現在は、教員を辞め新たなステップに踏み出す準備をしている。
第二回となる今回は、りっきーさんに「25歳のときなにしてた?」と尋ねてみました。
不完全燃焼。だから自分が咲ける場所を探し続けていた
すべては「場所」で変わる
-りっきーさんが25歳のときはなにをしてましたか?
りっきーさん :25歳だと、大学院の2年目ですね。
教職大学院っていうのは、1年とか2年とかの範囲で学校に実習しに行くんですよね。
当時実習しに行っていた公立の学校が、いろいろと実習生に対して厳しかったんです。大学生の実習生ですら授業を10数個持たせてもらえるのに対して、半年の中で数コマしか持たせてもらえなかったんですね。
そこからだんだん認められるようになって、総合って授業で卒論指導とか自分でやってみたかった授業をさせてもらえるようになった時期でしたね。
-それは結構辛い時期ですね。
りっきーさん :「あ、自分ここで必要とされてない」って言う感じがすごくて、自分で仕事をどんどん作ろうとすればするほど、訳わかんない仕事を振られてしまう。
しんどかったのかな?むしろ分析に入ってましたね。
「なんでこうなっちゃうんだろう?」って。
-冷静にみてたんですね?
りっきーさん :冷静にならざるおえないですよね。もがいてもしょうがないですし、ダメなものはダメって言われちゃうしね。
-気持ち的にはりっきーさんはどう感じていたんですか?
りっきーさん :まぁでもしんどいっていうか、「自分はもっとできるぞ」と思いながらそれをうまく使ってもらえないモヤモヤ感はありましたね。
なんか変な話、自分に点火するってことはなかったですね。
自分を責めるとか、なんで自分はこんなにできないんだとかじゃなくて、
俺はこの場所にあっていないし、ここは俺のいる場所じゃないんだってポジティブ変換していました。
だから自分に自信がなくなるというよりは、なんか本当に「場所だな」って思いました。
自分が咲けるか咲けないかって場所で変わるんだろうなっていう仮説がそこで立ちましたね。
-教員の実習以外には何かしていたことはありますか?
りっきーさん :実習生以外にはいろいろバイトをしてて、自分の高校の母校でティーチングアシスタントをしてたり、港区の児童館で働いていたりしました。
児童館では、本当にオールエイジでいろんな子たちを見れて、自分がどこの年齢の子供たちに適性あるのかなとか、1番どこの層を支えたいのかなといろいろ見ていましたね。
-いろんな環境、場所に身を置いていたんですね。
りっきーさん :そうですね。小学校の引率バイトもずっと続けてましたしね。コミュニティーはいろいろあったけど、自分がやりたいことが全身全霊でやれてたかっていうとそうでもなかったですね。バイトなんでそこの域をでれないから、消化不良みたいな感じはずっとありました。
-なるほど、やりきれない感があったんですね。
りっきーさん :責任取れないことに対する欲求不満みたいなものはありました。バイトだから責任ある仕事ができないし、これはまだ任せられないんだよねと言われてしまう。バイトだとやりたくてもやれないってところが多いから、あと一歩のところでしたね。
自分に合う場所を求めて
-将来に対してはどういう風に考えていましたか?
りっきーさん :実習でいろんな場面を見たたこともあって、自分は公立に行ったらダメだって感じて、極力そうじゃない枠組みを探していましたね。だから新しい教育とか自由な教育をやっているところに行きたいなと思っていました。たとえ公立校にいくとしても2年とか3年とか積んでといったキャリアを描き初めてたって感じでしたね。
-高校生の教員になろうと思ったきっかけはあったんですか?
りっきーさん :はじめ臨時免許で小学校の先生になりかけたんですよ。
でも社会に出る直前期とかどこの大学に行くとかのタイミングって1番インパクトあるなと思ったんです。それで社会に近いところでいろいろ働きかけたいなと思ってたのがきっかけで「非常勤講師だけど私立の高校行くか」って思って動き出したのも25歳のときでしたね。
-私立の高校に行こうと思ったのはどうしてですか?
りっきーさん :私立高校の方が自由があると思っていたんですよね。やりたいと思ったときにやれそうな環境を選びたかったのもあります。コミニュケーション力には多少自信あったんで、先生がみんなが転々と移動していく環境よりは、「家族だから」みたいな環境の方が自分はやれるかもしれないって言う仮説があったんです。
修業期間だった鳥取
-25歳の自分が今の自分をみて、1番予想していなかった出来事はなんですか?
りっきーさん :鳥取に行くとは思ってなかったですね。
Facebookで「鳥取城北高校の募集があるから誰か働いて見ませんか?」って投稿見つけて、「なんか面白そうですね」ってコメントしたら見に行くことになり、面接をしたら合格したので鳥取に行くことになりましたね。
せっかくなら誰もいかないようなところに行ってみてもいいなと思って。
2、3年くらいやってまた何かの教員に転職すればいいかなと思ってたら、5年もいちゃったんですよ。最後の2年間は専任教員にもなれたのでよかったですね。
3年目からは、教員をしながら地域コーディネーターで人と人を繋げることをしていたら、いろんなところからお声かけいただく機会が増えて、次のキャリアも見えてきました。
-最後に、今年で25歳になる私にメッセージをいただけますか?
りっきーさん :人の能力が生かせるかどうかって、本当に環境次第だなって思うんです。自分がブラジルとか日本とか環境の振れ幅のある世界をいろいろ見てきたからこそ、すごく感じるところがあります。
場所も変われば、人も変わるしルールも変わる。
だからこそ「咲きたい場所は自分で選べ」と言いたいですね。
僕も今まさに咲きたい場所を選んで、そこに向かっているところです!
話し手:大山力也
聞き手・書き手:増井結花
※文中の記述はインタビュー当時の内容です。
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