「25歳のときなにしてた?」Vol.3:地域メディア「とっとりずむ」運営者 さっけーさん
-プロフィール
鳥取県岩美町出身、酒本勇太さん、あだ名はさっけーさん
鳥取県環境大学に入学。大学在学中にマジックに没頭し、通算50回以上各地でマジックを披露する。大学卒業後は、大阪で宅配の牛乳の飛び込み営業をし、約1年で仕事を辞め地元鳥取の魅力に気づきUターン。日本1周の旅、セブ語学留学、北海道のリゾートアルバイトなどを経験する。その後、地域に特化したWEBサイト「とっとりずむ」をスタートさせ、30歳で「株式会社とっとりずむ」を設立させ、現在経営者として活動している。
ー歩みを止めず進み続けていた、激動の25歳ー
20代は好きなことをする
-さっけーさんが25歳のときはなにをしてましたか?
さっけーさん:実は、25歳の誕生日に日本にいなかったんです。
-えぇ!どこにいたんですか?
さっけーさん:フィリピンのセブ島にいて、5月から8月の3ヶ月間、語学留学してたんです。ちょうどそれが25歳の誕生日のときとかぶってました。
-セブ島に語学留学に行こうと思ったきっかけはなんですか?
さっけーさん :日本一周の旅先の宿で出会った人が、ブロガーだったり、エンジニアだったりとか、「パソコン1台で食べてます」みたいな人がいたんです。
それで「じゃあ自分がなにやろうかな?」ってなった時に、たまたま旅先で出会った人が、Facebookでセブ島の「エンジニア留学」のことをいいねしてて、英語も学べるし、プログラミングも学べるし、どっちも身に付けられたらいいなって思ったのがきっかけで3ヶ月間セブ島に行きました。
-実際に行ってみてどうでしたか?
さっけーさん:結果的に言うと、英語もプログラミングも初心者だったから、どっちも中途半端に終わってしまって。原因の1つがマジック好きでやってたから、なんか現地の人とマジックを使ってコミュニケーションがとれてしまって、語学がまず伸びなかったんですよね。良くも悪くも「マジックでコミュニケーション取れんじゃん!」なってしまって。
-マジックの効果絶大ですね!
さっけーさん:それが楽しくなっちゃって、ストリートマジックをやったりとかして、ある種「マジックは世界で通じるんだ」って言う謎の自信がつきましたね。
あと、逆に初めての海外だったから日本がいいなって言うのに気づいて鳥取に帰ってきてました。
-鳥取に帰ってきてからは何をしてたんですか?
さっけーさん:まずセブ島から帰ってきて、英語もプログラミングも上手くいかなくて「なにしようか?」って、常に模索しながらとりあえずやらなきゃって思って、とにかく止まらずにいろんなことにチャレンジしていましたね。
-どんなことをチャレンジをしてたんですか?
さっけーさん:模索して考えてた時に、旅先で出会ったブロガーさんのことが頭に浮かんきたので、「自分もライティング業務をやってみよう」ってなってやってました。
それと同時並行で県外出たりとか海外出たりとかしたことで、鳥取の良さって言うのをすごく自分で気づいたので、それを発信したいなって言う想いがあったんです。当時住んでいたシェアハウスは地域に関心のある人が多くて、情報交換しながら地域サイトの運営をしていました。
やっと見つけた自分の武器
-将来に対してどんな風に考えていましたか?
さっけーさん:30歳になるまでに個人で結果を残せなければ会社員になろうと思ってました。20代のうちは自分の好きなことやろうと思ってて、30代になってうまく行かなかったら、自分の嫌なことも生きるためにやっていこうと考えてました。
-30歳でという年齢を決めていたんですね。
さっけーさん:うんうん。もちろん地域サイトの運営「とっとりずむ」をスタートさせて最初から稼げる訳でもないので、どんどん貯金が減っていく中でやっていたときに、役場の臨時職員が募集やっていたのでそれで受けたんです。
そうしたら、とっとりずむで地域に関わってたりしたので、地方創生に関わる部署に入れてもらえて、最低限の生活のお金はそこでもらえるようになりました。そこを定時で上がって、帰ったらひたすらブログをやるみたいな生活が2年ぐらい続きましたね。
-途中で諦めずに続けられたのはどうしてですか?
さっけーさん:大学で学んだことが社会人、フリーランスの知識で何かに役立つってものでもなくて、やっと鳥取の地域サイト運営って言う武器を見つけて、今まで武器がないって状態からこんだけいろいろ試して結果が出なかったからにはもうこれにかけるしかないってなったのはありましたね。
それに結構地域サイトとか出てくるんだけど、続かずに終わっちゃうからそこを「誰にもできないくらい継続してやろう」って、とにかく続けようって言うモチベーションでしていました。
-みんなと違うことに対して不安になることはなかったですか?
さっけーさん:もちろんそれはすごくありました。
1人で実家で作業していたら、プレッシャーがあったなって思うけど、鳥取大山の、のまど間(当時さっけーさんが住んでいたシェアハウス)と言うコミニティーがあったから、みんな先行き不安ながらも頑張ってるって人が結構多くて、そう言う環境にいたのがよかったと思いますね。
-一緒に声をかけ合える仲間がいたのは大きかったんですね。
さっけーさん:それも大きかったし、地元に帰って来たらネガティブな意見「それ大丈夫なの?」みたいな声もあったんで、それも逆によかったと言うか、いい方向にじゃなくて、悪い方向もみれてバランスがよかったです。「その人たちを見返してやろう」と思えたしね。
歩みは止めない
-25歳の自分が今の自分をみて、1番予想していなかった出来事はなんですか?
さっけーさん:元々は個人事業主として、ずっと生きて行こうって言う想いはあったけど、自分の強みを生かして独立するって言うのしか考えてなくて、まさか会社を作ってガッツリやって行こうとは思ってなかったので25歳の自分からしたら全く想像できないですね。
-最後に、今年で25歳になる私にメッセージをいただけますか?
さっけーさん:今伝えられるのは「とにかく動き続けること」だと思ってます。
今までいろんな経験をしながらも悩んで立ち止まったことってなくて、ダメだったら次行こうって感じで、とにかく足を止めずに進んできたんです。
その中でいろんな人と会って、いろいろな行動を起こすことで自分の未来が切り開けるのかなとすごい思うので「悩んでる暇があったらとにかく動く」ことですね。
話し手:酒本勇太
聞き手・書き手:増井結花
※文中の記述はインタビュー当時の内容です