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「思い出」は自ら作るものなのかという問い

私には4人の子供がいる。
そのうちの1人は先天性疾患があり、重度心身障害児だ。2年前彼の病気が大分進行し、医師から余命宣告を受けた日に思ったことを今日は書いていこうと思う。

あの日先生は言った。
「いつ何が起きてもおかしくない状況です。それは明日かもしれないし、もしかしたら1年後、5年後かもしれないけれど、いつその日が来ても後悔のないように、残された時間に楽しい思い出をたくさん作ってほしいと思っています」

「楽しい思い出をたくさん作ってほしい。」

その時、思った。
それは誰のための思い出なのだろうか。と。

彼は言葉をもたない。だから、私たちが明確に彼の意図を汲んであげることは難しい。

多分彼にとっては、私たち家族や彼に関わってくれる人たちと日常を生き、学校へ通い、先生やお友達に囲まれて過ごすことが、1番の幸せなのではないかと、私は想像する。その積み重なりが、いつか思い出になるのだろう。

でも、先生の意図は少し違うと私は察した。多分先生が言いたかったのは、私たちにとっての彼との思い出なのではないだろうか。

彼自身の体調が良いので、ここ数年彼と共に外出をする機会が増え、そういうところに行くたびに私は写真を撮る。

そして、その度に思う。
「これは彼との思い出のため?」と。
その瞬間ものすごいスピードで、気持ちが後ろ向きになっていく。

いつか彼がいなくなったあとに、今日と同じ場所を訪れて、何年か前にここに来た時は彼も一緒だったなと、彼がいないことを確かめながら私は泣くのだろうか。

そう思ったら、旅に出て彼のいた風景を心に刻むこと。彼の写真を撮ることが急に恐怖に感じられるようになった。

彼がいなくなった後、私の後悔を減らすために、私は今を生きているのだろうか。

そんなことはないはずだ。
だって、私たちは「今」を生きているんだから。未来の思い出のために生きているわけではない。

でも、あの日からずっと私の中で、あの問いが回り続けている。

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