手放せない「〇〇すべき」を楽にしたい!
こんばんは、けいみゅです。
近頃ライター業務が忙しくて自分と向き合う時間がなく、
noteとも離れてしまっていました。
もっと自分と向き合う時間取りたいな。
今日は手放せない「〇〇すべき」を楽にする方法です。
最近ミニマリストブームもあり、「〇〇すべき」という考えは
手放していこう!という言葉をよく耳にします。
わたしもこの考え方には賛成で、自分を苦しめてしまっている「〇〇すべき」
は手放したいと思っています。
しかし、わたしにはどうしても完全には手放せないものが2つあります。
それはこの2つ。
「ご飯は手作りであるべき」
「部屋は片付いているべき」
文字にすると「簡単に手放せるんじゃない?」「手放した方が楽になるよな」
と思うのですが、どうしても手放せないのです。
わたしはなぜこの2つが手放せないんだろうと考えてみたところ、
わたしにとって大切にしているもの、価値観なんですよね。
「ご飯は手作りであるべき」は母親の影響が大きいです。
わたしの母は仕事をしていましたが、ご飯は必ず手作りでお惣菜や冷凍食品だった
ことが一度もありません。
外食も少なくファーストフードを初めて食べたのは高校生になってからでした。
こういう母のもとで育ったわたしは、成人して一人暮らしをしても食生活が乱れることがありませんでした。
「昨日は魚だったから今日はお肉にしよう」「昼は外食で濃いものだったから夜は家でさっぱりしたものを食べよう」など自然に体のことを意識する生活をできていました。
わたしにとって手作りのご飯は「食生活の土台を作るもの」として大事にしていることだったんですよね。
ふたつ目の「部屋は片付いているべき」は叔母の影響が強いことに気づきました。
うちの叔母は片付けが苦手かつ諦めていて、とにかく家の中が荒れています。
その家で育ったわたしの従兄弟が3人いますが、3人の子供たちも片付けることができず1人暮らしをしている部屋は荒れに荒れています。
それを見た時に「やはり荒れている部屋で育った子供は、それが普通になってしまうのか」という考えに至ってしまったのです。
片付けなくたって死ぬわけじゃないし…と思おうとしたこともありますが、どうしても叔母の家の腐海の森ルームが脳裏から離れないんですよね。
そういう理由で手放せないこの2つですが、本当はもっと楽にしたいと思っています。
料理を作り始めるのが遅くなって焦ったり、部屋が散らかっていてイライラしたり…そんなふうになるなら手放したい。
でも手放せない。
そこでどうにか楽にできないか考えたところ、
「まぁいいか」を増やすことにしました。
「1週間のうち1日くらいお惣菜でもまぁいいか」
「夜に片付ければまぁいいか」
まぁいいかを増やしていくと心に余裕ができて、イライラすることも減ったように思います。
完全には手放せないけど、自分の中で徐々に許せる範囲を広げていく。
自分の価値観を大事にしつつ、できない瞬間を許していくという行為は自分を大事にできている気がして苦しくありません。
おそらく完全に手放せる日は来ないと思います。
なぜならわたしにとっては大切にしていることだから。
今度は楽しく「〇〇すべき」を考えられるような方法を考えていこうと思います。