毒親って言葉嫌いだな
毒親って言葉嫌いだな。
確かに毒親はいるし、そうあからさまな呼び方をしなくても、多少の毒持ちもいるだろうけど。
ネットでそういう考えに対して反論的返信の人がいて、投稿主に毒親を理解できてないだけだろうと言わんばかりに否定的な内容から文章を並べてるのは、何故か違和感しか感じられなかった。
その主はおそらく、安易にそう位置づけて言葉を使う前に、毒親に本当にあてはまるか疑問視しているのと、そうやって安易に使うことの警鐘を言ってるんだと思った。
それに対して、先のような反論は、おそらく毒親を持ってるだろう人の反論かもしれないけれど、ならばそのせいなのか認知の歪みもあるし、されたって言いながら、主を真っ向から否定するところから入ってる。
毒親のせいかもしれなくても、親のこと言えないね。
人格は別だと言うなら、いやそう思うから、その人も実はバリバリ毒持ってる。
毒を抜いてから話さなきゃ。
そこを気づかなければ、毒親だと文句言っても残念だと思う。
自分が変わらなければ、これだけは解決の道が得られないと思うんですよ。
そして世の中には、何も考えないで適当なことをいう人間もいるもんです。
嘘つきなつもりがあろうとなかろうと嘘つきはいる。
毒親の話を進めるのは、確信を得てからしか言えないと思う。
中には、さほど毒親呼ばわりするような親でもないのに、思い込んで、何かされたとか、縁切りだ、自分が正しいと、物の前後は押しのけて考えもせず主張する人は確かにいる。
ただの自己愛性なんちゃらのチヤホヤされるだけが望みなだけで、無条件に賞賛されたいだけで、そうしてくれる存在がひたすらに大事で愛おしいだけであって、良い事につけ悪い事につけ、どこの親にでもある足らなさはあれど、毒呼ばわりしなくちゃいけない程度のものではない些細な日常の出来事や、その時の親の態度や対応にさえ、悲劇として周りを引き込んで、親や親族も平気でぶった切って、都合の良い人だけに取り囲まれて生きようとする人もいる。
毒親を語る前に、本当に毒親かって疑問は、事件で言う冤罪なくすじゃないけど、それくらいしっかり物事を見つめて考えてからいってほしいと私は思うし、傷つかなくて良い事で傷つく人を増やさないことは大事と思う。
ただ結局は本当に毒親と呼ばれるようなタイプの親に違いないのであれば、そこは徹底的に逃げるか、関係を遮断して遠ざけるのは仕方のない方法であると思う。それは確かにそう思うんですよ。
でも、一時受けた負の部分がどの程度のものなのか。それを考えたとき、愛情深く人を思いやる人間性をちゃんと持ち温かさはちゃんともっている、それに相当することとまではいえない親やその周囲の親族にさえ、そう決めつけられて大きな傷を負うこともある。そこまで家族の憩いや団欒を奪われなきゃいけないほどでもないのに、罪人のように遮断されてきた親や周囲の親族もいるのも確かです。
まあ、そういうのはどんなに何を言おうと変わらないだろう、気づけないだろうから、血を分けた存在であろうとも、もう諦めて捨ておくしかないのでしょうね。家族に恵まれない運命だったなと。
その代わり、必ず別の光があると信じて生きていけたらそれで充分だと思います。
私にも親子・親族の関係で何もないから語ったのではなく、色々あったから思うことなのです。