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長い長い自己紹介(スルー可)

こんにちは、牛(うし)と申します。

牛というのは動物ではなく、人間でございます。

本名は牛王田(うしおだ)と変わった名前であり、字面が長いので周囲の人たちからは牛(うし)と呼ばれているというわけです。

変った名前なので自分でも出所を知りたく、探したことがあります。すると岡山県に同じ表記の「牛王田B遺跡_牛王田B散布地」というのを見つけました。祖父は淡路島出身で、その昔は赤穂にいたということでした。

全国文化財検索

なので西から今の神戸市に辿り着いたという経路が予測出来ます。なので、一度自分でもその「牛王田B遺跡_牛王田B散布地」を調査に行こうとしましたが、宮内庁から止められました。牛王田古墳というのもその近辺にあり、古墳というのは国家的な墓なので、一般人が勝手に立ち入ってはならぬ、ということだそうです。

許可が下りぬなら仕方ない。が、余計気に掛かる。「牛王田B遺跡_牛王田B散布地」のBってなんやんねん、Bって。BがあるならAもありCもあるんかい。とか思う。

死ぬまでには一度訪れたいと思っています。

僕自身は神戸で生まれました。1961年4月桜の頃に、兵庫県の神戸(かんべ)という所で産婆さんに取り上げられました。僕が生まれたのは入学式の日だったらしく、産婆さんも着物で駆け付け着物姿で僕を取り上げてくれたと母親から聞きました。

なので今では60を超えたただのオッサンです<(_ _)>

なぜゆえ60を超えたオッサンが、このnoteで何を表現したいのか、ということをここでは書きたいと思います。なにせ半生記からの紹介となりますので、かなり長い文章となります。なので、興味が失せた人はこの辺りでどうぞ離脱して貰っても結構です。

それでも興味がある、という奇特な方はどうぞお付き合い下さい。

人は誰でも生きていれば、いくつかのターニングポイントなる時期があると思います。何かの出来事でそれまで生きて来た形態が、変わる時期とでも言うのでしょうか。当然僕にもいくつかのターニングポイントがありました。

僕の最初のターニングポイントは中学生のある日でした。

僕の親父は僕が26歳の時に他界したので、大人になってからそう会話したことはありませんでした。なので、今では少し後悔しています。

放任主義だった両親からは怒られたという記憶はほとんどありません。なので何かを教えられた、という記憶もそんなにありません。

だけど、その中で唯一親父から教えて貰ったのが「映画」のおもしろさでした。

それは僕が中学生の頃だった。

僕が明日行われる試験勉強をしていると、僕の元へ来た親父が「今から良い映画あるので観ろ」と僕はテレビの前に座らされました。

おいおい、明日試験がありその勉強をしている息子にテレビを視さすのか。とんでもなく迷惑な親だ、とその時は思ったのを今でも覚えています。

夜の9時からはじまる洋画劇場だった。

その見せられた映画のタイトルは今でも鮮明に覚えています。

映画「眼下の敵」

第二次大戦におけるアメリカ駆逐艦とドイツ・Uボートとの戦いを描く戦争モノ。タイトルは「眼下の敵」というもの。

主演は駆逐艦の艦長にロバート・ミッチャム。敵対するUボートの艦長には、ドイツの名優クルト・ユルゲンス。

海上の駆逐艦と海中のUボートの壮絶な一騎打ち。互いの艦長は知力を振り絞って、相手を追い詰め合っていく。

最後は上昇してきたUボート目掛けて駆逐艦が体当たりする。

炎上する互いの船の上で、乗組員を救助していたUボートの艦長クルト・ユルゲンスは敵艦を見上げたそこに相手の艦長ロバー・ミッチャムの姿を捉える。瞬間見つめ合う男二人。瞬間的に目の前の男こそが、それまで闘っていた闘将だと知る。

次の瞬間、Uボートの艦長クルト・ユルゲンスが静かに手を挙げた。それを確認した駆逐艦の艦長ロバート・ミッチャムも相手にならい挙手をする。

互いに敵将に敬礼をし、敬意を表したのだ。

次の瞬間、駆逐艦の艦長ロバー・ミッチャムがUボートの艦長クルト・ユルゲンスにロープを投げた。傷ついた部下を、ロープにむすびつけるUボートの艦長クルト・ユルゲンス、これを引く駆逐艦の艦長ロバート・ミッチャム。

その後は、両艦に生き残る船員たちが敵味方に関係なく救助し合う。。。

僕は強制的に親父にこの映画を見せられた次の日、どんな内容のテストを受けたのかは全く記憶にない。というより中学時代、とくに記憶する授業や何を学んだかも定かでありません。

でも、テスト前に観たこの映画のことは鮮明に覚えているし、その後数え切れないほど繰り返しこの「眼下の敵」という映画は視聴しました。

この映画からは、男の美学のようなものを学んだと思います。

それ以降も、常に映画は僕の生活の中にあった。

それは今も同じです。

僕は高校は普通科の高校へ通っていました。ほとんどが大学へ進学する高校でした。

当然僕も途中までは大学へ行くものだと普通に思っていました。

ところが高校3年生の夏休み、図書館で受験勉強していると突如「あ、自分は映画やドラマを創らなくてはならない」という感覚が、突如自分の内面から湧き上がってきました。
それは衝動とでもいうような凄い感覚で、間違いなくその感覚に従わなければいけない、という感覚も同時に到来しました。

僕はその後、高校在学中から大阪にある脚本家の養成学校に通い始めました。

そこでドラマを創る、ドラマツルギーを学びます。

そしてプロの講師の先生について、数えきれない程の原稿を書きました。当時はまだワープロも無い時代だったので、原稿用紙に手書きです。

アルバイトをしながら、ひたすら原稿を書いてプロを目指していました。が、そんなに簡単に入れる世界ではありません。

そんな中、僕はある一冊の本と出会います。

今から思えば、その本の内容は今でいう「引き寄せの法則」が書かれていました。でも当時はまだ「引き寄せの法則」という言葉も無く、その本の中では「信念は必ず実現する」みたいな表現でした。

最初は疑心暗鬼でしたが、プロの世界に入りたいという藁をも縋る思いでその本に書かれている事を1カ月間実行してみました。

すると、1カ月後思わぬ形で芸能界という世界に入れたのです。

商業劇場の演出部に、事も無く簡単に入れたのでした。

僕に多大な影響を与えた一冊

20代は舞台の演出、30代はシナリオライターで自分が当初やりたかったドラマを創るという仕事が出来ていました。

ここで僕が描いていた自分の夢が一つ叶ったということです。30代僕は地元のFM局で深夜番組のドラマを書いていました。深夜番組なので受験生などがよく聞いてくれていました。

1995年神戸を襲った大震災で当時地元でしていたドラマ脚本の仕事も、親戚も、友達の多くも無くして、全てを一瞬で失いました。

あの神戸の大震災も僕の人生を大きく変えることになった、ターニングポイントだったと思います。

当時のあまりにもインパクトがあった出来事は、以下の投稿として綴っています。

そんな禍の中で出会ったのがインターネットという新しい仕組みでした。

まだモニター画面も白黒の時代、ニフティサービスがBBSを提供していた時代。僕はモニターの中で文字だけだけど、人々が交流する姿を見ました。とても興奮したのを今でもよく覚えています。

これからの時代、きっと個人でも番組なんかを作れる時代がきっとくる。

それ以来僕は独学でインターネットというものを覚えました。

そして企業が必要なHPの制作や、企業のインターネットを活用するコンサルティングの仕事をフリーランスでするようになります。

インターネットはそれまでの仕事よりも数段おもしろかった。

それまでは自分が表現したいことを電波や紙媒体を通じてしか表現出来なかった。ドラマを創るにしても脚本、演出家、役者、ミキサーなどの分業を必要としていた。しかしそれらがインターネットの仕組みでは、技術さえ覚えればワンストップで出来る。

僕は新しい玩具を手に入れたように、その技術をどんどん覚えていき仕事に活用していきました。

神戸の震災で僕だけでなく、多くの人がそれまで築いてきたほとんどを失いました。失った一つに仕事があります。それは僕だけでなく、ほとんどの人が仕事なんて出来なくなったのです。仕事が出来ないと、収入が途絶えます。収入が無くなると、たちどころに生活が出来なくなります。

この時、心底考えさせられたのが自分の仕事の形態です。

生きていれば、それこそ何が起こるか分かりません。

しっかりした企業に勤めていても、不況や会社のトラブルに突如見舞われリストラや人員カットで職を失う可能性もあります。

例えるなら、人が造った船に乗船させて貰っているようなものです。人の船なので「降りてくれ」と言われたなら、従うしかありません。

解決策は、、、

自分自身の船を持つことです。

誰にも「降りろ」と命令されない、自分自身の船です。

この時から、自分の収入源の形態をとことん考え抜き、最終的には自分のビジネスモデルを作り上げました。

どんな時代になろうとも、出来るだけ安定する形で継続出来るモデルです。自分が止めようと思わない限り、永遠に続ける事が出来る収入モデルです。

そしてそれは2000年にほぼ完成しました。

そのビジネススキームを使い、店舗の営業、会社営業に活用しました。そしてそのビジネススキームは現在も使って、全国的なマーケティングを形成しています。

僕と縁あって何かの形で繋がってくれる人にお伝えしたい事の一つが、僕が習得したビジネスモデルの作り方を教えてあげたいということがあります。

生きていく上での最も大切となる手立て、自分の経済を自分で作るという知恵と力です。

僕は現在仕事上、講師と言う仕事もしています。これは自分で意図したものではないのですが、必要上しています。本来人前で話すことは下手くそなのですが、要望がある為に仕方なくしているふしがあります。そのセミナーで、今まで記述した部分を述べている動画ありますので、よろしければ視聴下さい<(_ _)>

上記の動画で話しているように僕は二十歳の時、ある本を通じてこの世には「目には見えないけど、何かの仕組みがある」ということを知りました。

その本は今でいう「引き寄せの法則」的なものが書かれていました。まだ引き寄せの法則という言葉も無い時代だったので、強い信念は自分が描く現実を創り出す、みたいに表現されていました。

今もAmazonで購入できます

僕が得た三つ目のターニングポイントは、仕事でしている中で「ケイ素」という元素を知ったことです。2007年の頃で、僕がベンチャー企業を立ち上げた当初に商材の一つとして知ったものでした。

ケイ素とは地中にある鉱石から抽出されるミネラルとして知られています。ミネラルは当然人間には必要なものなので、様々な形態のミネラル製品が既にあります。

そのケイ素という元素を、完全に水溶性(水に溶けている状態)にしたものを日本で初めて製品化した社長が、僕のまだ小さな会社に営業に来てくれたのです。今思えば奇跡のような出逢いでした。

ケイ素は英語でシリカ、シリコーンと呼ばれ、今は清涼飲料水で「シリカ」という名前で一般に知られているかと思います。が、僕が取扱いし出した当時は、まだ世に「ケイ素」も「シリカ」も全く認知されていませんでした。なので、販売し出した当初は全く売れず、何度止めようと思ったかしれません。

何処へ営業に行っても「眉唾もの」「怪しい」の一言で、話しも聞いてくれませんでした。その結果、経費も尽きて僕は会社から家までの電車賃すら無くなりました。仕方が無いので会社の小さな倉庫で、フェイシャルベッドに寝泊まりしておりました。1年半ほどです。

寝床は倉庫なので見れば、在庫となったケイ素の製品が山積みとあります。

恨み節ではありませんが、寝る前そのケイ素製品たちに向かって「お前たちのせいで、オレはとんてもないことになってしまった」と、思わずぼやきました。

するとその翌朝、不思議なことが起こります。

朝まだまどろんでいる時に、僕の頭の中で「ケイ素はインターネット」という言葉がインスピレーションのように響きました。

何かの錯覚かと思いましたが、明らかに「ケイ素はインターネット」と認識出来ました。しかし、ケイ素はインターネットとはこれ如何に?

まだケイ素の知識も少なかった僕には、すぐにその意味が分かりませんでした。暫くほっておきましたが、やけに気に掛かります。そこでその意味をインターネットの検索を使って調べました。

すると、、、

ケイ素はパソコンやスマートフォン、家電、自動車、飛行機などに備わっているあらゆる機器の中にある半導体の元がケイ素だという事が分かりました。

アメリカでIT企業が密集している地域に、シリコンバレーという地名があります。それもケイ素が半導体である、ということを示唆しているのではないでしょうか。

僕はそれを知って、不思議に思いました。

あの突然僕の頭の中に入って来た「ケイ素はインターネット」という閃きは、一体何だったのだろう。閃いた時には、僕の知識の中には「ケイ素はインターネット」という知識はなかった。だから疑問に思って調べた。すると、ケイ素はインターネットを動かす半導体だということが分かった。

ということは、その「ケイ素はインターネット」という情報は一体何処からやってきのか。そのインスピレーションが来た前後の事を僕は思い浮かべました。

あの前夜、僕は二十代の頃から日課にしている瞑想をしている時、思わず在庫のケイ素製品に向かって「お前たちのせいで、オレはとんてもないことになってしまった」と、思わずぼやいてしまった。

そして眠りに就いた。

すると、その翌朝にあの「ケイ素はインターネット」という直感的な閃きを得た。僕はそう思うと、在庫にあるケイ素の製品群を改めてしげしげと見たのを覚えています。

ケイ素が教えてくれた。

これもまさしく直感的に感じました。

摩訶不思議なことですが、僕はそれ以来そのケイ素との会話(僕はそう呼んでいる)を意図的に使うようにしました。

寝る前、瞑想の途中でこれから行った方が良い仕事上の事をケイ素に聞きました。もちろん声に出して人に言うみたいなのではなく、心の中で問いかけるのです。

すると、やはり翌朝目が覚めるとどこからかやってくる直感のように、その前夜に聞いた答えが閃きとして現れる。

その結果、僕の会社は短期間でV字回復をしました。

僕はそれ以来そのケイ素とのやり取りを「珪素瞑想」と名付け、あらゆる事に応用しました。それは今でも続いています。

水溶性ケイ素の原料は、地中の石英という鉱物です。その石英から透明な水晶が生まれます。水溶性ケイ素はその水晶を高温で焼き、再び再結晶として水溶性のケイ素として生まれます。これが原料です。

透き通るようなブルーで、とても神秘的です。

ブルーシリカ
神秘な石ブルーシリカ

ケイ素という元素は知れば知るほど奥が深く、魅了されます。魅了されてその時から、すでに18年が経ちました。それでもまだ興味が尽きることはありません。

その底知れぬ面白さを伝えているのが、今の僕の仕事だということです。

ケイ素は僕の体験のように、人間の精神に影響を与えます。そこがとても面白いところです。もちろん肉体に必要なミネラルでもありますので、飲めば体の機能を高めます。

そしてケイ素は、それを知り使う人を幸せにしてくれます。

ケイ素と付き合う中で、さらにケイ素が教えてくれたことがあります。ケイ素が教えたくれたというよりも、亡くなった僕の親友が教えてくれたケイ素の本質です。

仮にその親友をAさんとします。

Aさんは僕より5歳年上で、享年60歳でした。

ケイ素と言うものは人間にとって必須ミネラルです。正しく摂取することで、人間が持つ機能を正常に戻します。人間というものは、本来強く出来ていますのである程度の病気には打ち勝つように出来ています。

なのでケイ素を補うことで、様々な症状が改善したという事例のは枚挙に遑がありせん。

しかしケイ素を扱い出して、僕には解けない大きな謎がありました。

それは身体に不具合がある人で、ケイ素を摂取するようになり劇的に改善する人もたくさんいます。しかし、その反面同じようにケイ素を摂取しても病状はなんら変わることなく、死んでいった人も多く見てきました。

この違いが僕には謎で、分からなかったのです。

それを教えてくれたのが、僕の親友であったAさんです。

Aさんは僕がすることを常に応援してくれる人でした。それは仕事であっても遊びであっても、全てにおいて協力してくれました。僕にとって、それは天使のような人でした。

Aさんとはもう10年以上の付き合いでした。

当然プライベートでもよく飲み食いを一緒にしました。

彼の早期退職が決まった時、お祝いに一緒に食事をしていました。その時に何気に僕がAさんに、今一番したい事して欲しい事って何?と聞きました。

当然退職後フリーになって、自分が一番したかった事をすることだと僕は彼の答えを期待しました。

すると彼は少し考えてから、

「僕が日曜日外出する時、奥さんから何処へ行くの?って聞いて欲しい」

と答えました。

全く予期せぬ答えだったので、僕はその時その意味が分かりませんでした。彼特有のジョークかなにかだと思いました。

その時は冗談で笑い合い、それ以上の会話はありませんでした。

しかし、その彼が言ったその言葉の本当の意味が解ったのは彼が亡くなってしばらく経ってからのことでした。

Aさんはその年末から体調を崩していきました。

食欲が無くなり、見る見るうちに瘦せ衰えていきました。

そして翌年すぐに病院に入院したということを知りました。

癌に罹患したのです。

彼は10年来の僕の親友です。当然彼も常にケイ素を常飲していました。ケイ素は癌の症状をこれまでも、数えきれないほどの改善を見せていました。その彼が「なぜ」という強い思いが僕にはずっとありました。

当然僕は時間があれば、彼の病室を訪れました。

僕が見舞に行くと言った日、彼は朝から「何時に来るの?」と何度も何度もLINEで訊いてきます。元気な時はあれほどアバウトな人だったのに、入院して気弱になったのかな、くらいにしかその時は思いませんでした。

これも彼が亡くなった後に知ったことですが、彼は僕が見舞に行く2時間前に痛み止めの注射を打っていたのです。

きっと僕に苦しい姿を見せないようにとの、彼の配慮だったと思います。

それほど優しい人だったのです。

僕が当初見舞に行った時、彼はカバー付きのペットボトルを僕に嬉しそうに見せ「僕が癌と分かった時以来、奥さんがスムージーを作ってくれるねん。そして娘たちが夕方代わる代わる持って来てくれるねん」と、Aさんはさも嬉しそうに僕に話します。

彼には当時年頃のキレイな娘さんが三人いました。

まぁ年頃の娘の多くは親父を疎んじることは多いのですが、彼の場合も例外に漏れず三人の娘さんとはこれまでほとんど会話もなかったようです。親父は娘と交流を持ちたいのに、と言ったところだったのでしょう。

以前彼から聞いた「僕が日曜日外出する時、奥さんから何処へ行くの?って聞いて欲しい」と言わせた奥さん然り、SNSの友達リクエストをずっと無視し続けた娘たち然り、入院した今、幸いにも彼が望んだような交流が出来出したのが、Aさんはとても嬉しそうでした。

翌年の7月、七夕の時期、facebookを見ているとAさんが投稿している記事が目につきました。投稿の写真には七夕の短冊の写真がアップされていました。短冊に彼が何を書き綴っていたのかは忘れてしまいましたが、僕はその彼の文字を見た時咄嗟に「これは彼の辞世の句」ではないか、という直感じみた思いにかられました。

僕はすぐに彼の病院に電話を入れました。

入院中のAさんを呼び出して欲しい、と受付に言付けると「Aさんという患者さんは当病院にはおられません」と言う意外な答えが返ってきました。

「ちょっと待ってください。先週僕はAさんを訪ねてお見舞いに行ったのですよ」と、何度言っても返ってくる答えは「生憎Aさんという方は、当病院にはいません」との繰り返しでした。

僕は電話を切ってから、極力冷静に考えました。

先週見舞に行ったのに、すでに今は病院に居ない。

考えられることは2通りです。

病院を移転したのか。もし移転するならば、先週見舞に行った時、その旨を必ず僕に伝えるはず。では、残りの可能性は、、、

僕はそれを確かめたく思い、電話を持ちました。が、彼の自宅の電話番号も彼の奥さんの電話番号も何も知らないことに気付きました。

男同士、10年以上も密に付き合う仲なら当然何処かで自分の妻や娘たちを紹介する機会も普通はあると思います。だけど、それは無かった。

そして1週間過ぎた頃に、友人から彼の死を知らされました。

僕たちAさんの友達仲間だった者たちは結局お葬式に参列することが出来なかった為、彼を慕う友人知人が集まり「お別れ会」を開きました。Aさんを偲ぶ、多くの友人が集まりました。

僕はそれ以来、彼の事ばかり数か月考え続けました。

そして至った結論は。

彼は最期、何も思い残すことなく幸せに逝ったんだと。。。

Aさんは真面目な人だったので、仕事は途中辞めもせず定年までやり通しました。完結したのです。

そして最後、彼がどうしても手に入れたかったものは、、、

家族愛だったのだと思います。

家族との交流を一番欲したのではないかと思います。

その自分が一番愛する家族との交流が持てる手立ては、自分の死期が決まった時にしか無かったのではないでしょうか。

だから彼の意志は「死」を選んだのではないか。

強い意志が芽生えれば、それを邪魔するものは何もありません。

そう考えれば、僕が疑問に思っていた事柄の説明は全てつく。

癌改善の多くの事例を見せたケイ素が、なんの効果も果たさなかった。という理由も解ります。ケイ素は最終的に、その人の意思を最優先させるからです。

Aさんとの思い出を忘れたことは、今もありません。

そして彼が教えたくれた事は、僕に4番目の大きなターニングポイントを齎してくれました。

人間、生きる上で一番大事なもの。

それは「意識」であり、さらにその奥の「潜在意識」であること。

をAさんへの感謝と共に、それから生きる僕の糧となりました。

僕は仕事柄、自営をされている女性にビジネスを教える機会も多々あります。比較的女性はビジネス、と言えば苦手意識を持っている人が多いものです。

同じように教えても、それを実行し出来る人もいます。それに引き換え、何度教えても出来ない人もいます。個人差がある、といえばそれだけですが、僕は出来ない人は何が問題になっているのだろうと長年考え続けていました。

当初は「やる気が無い」のかと思っていました。が、よくよく観察するとヤル気以前にその人が行動することにブレーキを掛けている、何か内在するものがあるのだと気付きました。

いわゆる「潜在意識」というものです。

それに着目してから、多くの時間を掛けて多くの人を観察しながら徐々に潜在意識の本質が分かって来ました。

潜在意識には過去にその人が体験した記憶と、それに伴う感情が組み込まれている。これを僕はプログラムされている、と表現しています。

潜在意識のプログラムにはプラスに作用するプログラムもあれば、逆にマイナスに作用するプログラムもある。主にマイナスに作用するプログラムを「カルマ」とか「業」と呼ぶのではないかと思います。

私たちは常に自分の頭(脳)で考えたように、言葉を発したり行動しているように思われますが、それは間違いです。(という事が長年の研究で分かりました)

私たちは思考で行動している訳ではなく、潜在意識に蓄積されたプログラムの反射によって言葉を発したり行動しているのです。そしてその発した自分の言葉、行動した理由を脳が後付けて意味を加えて納得している、というわけです。

例えば「水が怖い」という人がいるとしましょう。

その原因を探っていくと、幼少の頃に海で溺れたという事実があるのが解ります。これによってその人は水の中に入れば溺れて苦しむという記憶と、溺れる時は物凄く怖いという感情が潜在意識にインストールされます。

するとその人は、後の人生の中で「水」というものが目の前に現れると、過去にインストールされた「水は怖く自分を苦しめるモノ」というプログラムが作動して、目の前の水に対しての恐怖心が蘇り、そこから逃げるという行動を無意識にとるのです。

これが潜在意識にあるプログラムによって、動かされている仕組みです。

自分の過去を探り今を生きる上でブレーキになっている部分の原因、上記の例では「水が怖い」というプログラムの原因が自分が生まれた時から今の間にある経験なら、なんとかその原因が分かります。

しかし、その原因が今世ではなく過去世にある場合は厄介です。

そお、潜在意識のネガティブなプログラムの原因が今世ではなく過去世に由来する、という事例も実は物凄く多くあります。(これは僕が接した人を分析した経験則で分かったことです)

では、今を生きるに邪魔するものは潜在意識に仕組まれたネガティブなプログラムなるものが原因だ、ということは分かった。

そしてそのネガティブなプログラムが起因した時期は、今世のこともあるし、または過去世という時代に遡るものもある、ということも分った。

では、その生きる上で邪魔となるネガティブなプログラムは無くすことは出来るのか?ということになります。

潜在意識に潜む、ネガティブなプログラム(自分で作ったものですが)除去することは出来ます。(キッパリ)

今世でインストールしたネガティブなプログラムであっても、それが自分の記憶にはない過去世でインストールされたプログラムにしろ、取り除くことは出来ます。

人間の心身の仕組みというモノは、人間が作り出したコンピュータに非常によく似ています。コンピュータもインストールされたソフトは、逆にアンインストールする事も可能です。

潜在意識に組み込まれたネガティブなプログラムも、ある方法でアンインストール出来るものです。

その方法は、そのネガティブなプログラムがインストールされた時の状況を思い出せばいいのです。そしてその思い出した事象に対して、その意味を知り、そしてもう「今は必要でない」と、強く意識さえすればそのネガティブなプログラムは取り除くことが出来ます。

おいおい、生まれてからの記憶は思い出されるけど、生まれる前に作った経験など思い出せるものなのか?

という訳ですが、これもある方法で思い出すことが出来るものです。

瞑想という形で思い出すことが出来ます。

過去世という言葉が出てきました。

過去世とかいうと、なんかスピリチュアル的でフワフワした取り留めのない話しとして受け止める人もまだ多いかと思います。

要は自分の今世で出来た潜在意識の断片ではなく、それ以外の理由で潜在意識にインストールされているプログラム(記憶と感情が伴ったブロック)が、在るか無いかが需要なわけです。

量子力学的に云うと、宇宙の量子場に存在するあるエネルギー情報が、自分の潜在意識に何らかの理由によりリンクされている、または共振共鳴の状態にある、ということです。
良い情報ならいいのですが、今世を生きる上で邪魔をするプログラムである場合は、除去しなければいけない、ということです。

在るか、無いか。存在させるか、除去するかが重要ということです。

僕は説明する上でネガティブなプログラムが出来た理由を、過去世という概念に基づいて説明しています。その方がドラマティックなので、受け入れやすいかと思うのが理由です。

なので、ここでも潜在意識に存在するネガティブな原因は過去世に由来する、という形で説明を進めていきます。

「潜在意識に存在するネガティブなプログラムは、そのインストールされた体験と理由を思い出し、意識することで除去出来ます」

僕のセミナーに来てくれたTくんは、多くの人の中に入るのが苦手で初参加の時はお母さん同伴で参加してくれました。対人恐怖症みたいなところがあり、学校も不登校の状態でした。

彼は僕のセミナーで学び、瞑想の仕方も覚えました。

その瞑想の中で、彼は過去世で兵士であった時代を思い出しました。

彼はまだ若く、戦場という地獄の中で極度の恐怖を覚えます。

それが現在の対人恐怖症に繋がっているのではないか、と感じました。

また彼は極度の緊張で、しばし気を失うこともありました。

その原因も、過去世の戦闘の中で人を殺す事も自分が殺される事も拒否する行動で、よく死んだふりをしていた記憶も蘇ってきました。

気を失うという行為も、自身を守る為の自衛行動だったのだという事も自覚出来ました。
そういう自分の中のネガティブな部分を理解することで、極度の対人恐怖の部分はみるみる改善されていきました。

そして今では自分の経験を語るなどして、講演会の講師をしたり、YouTuberとして活躍するまでになりました。

「潜在意識に存在するネガティブなプログラムは、そのインストールされた体験と理由を思い出し、意識することで除去出来ます」

また女性のYさんの場合は、極度に男性に対して反射的に嫌悪感を抱くという傾向がありました。

美人だったYさんは若い頃からから、自然と男性からの誘いも多くありました。でも好意を持ってくれた男性に、悉く嫌悪感が湧き上がるのです。

そしてその嫌悪感は、怒りの感情までを引き起こします。

特に男性が自分のことを褒めてくれた場合など、反射条件的に怒りが爆発したと言います。

Yさんはなぜそんな感情が湧き上がってくるのか、自分自身でも理解出来ませんでした。

彼女も僕のセミナーで、過去世を思い出す瞑想を受けました。

当然最初は、自分にはそんな過去世をリーディング出来るわけはないと半信半疑でした。

しかし、セミナー終了後ある程度の時間が経った時、彼女はあるストーリーを持ったイメージが鮮明に湧き上がり見えたと言います。

畑の中の畦道と見える中を着物姿で歩いている自分のイメージが浮かび上がってきました。左隣にはやはりボロ布のような着物を来た、やつれた男が連れ添って歩いています。右隣には幼年の子供が、俯きながら付いてきています。

左隣の男性は、自分の夫であり、右隣の幼子は自分の子供なんだと分ります。

三人はやがて、大きな屋敷の前に辿り着きます。

門番のような男に三人は導かれて、屋敷の入り口に案内され、中へ通されます。

屋敷の奥にある居間のような広い部屋に案内されたYさんは、その奥の上座に座っている男を見ます。きっとこの屋敷の主なんだということは分かりました。

年配の主は、高価な着物を来て鎮座し、入って来た三人をジロジロと値踏みするかのようにしばらく眺めます。

そして、自分の主人である男に「お前は裏へ廻り、薪を割れ」と命じます。自分の旦那である男は、首を垂れて召使のような男たちに連れ去られます。

そして主の男は、自分の幼子を扇子で指さし「お前は厨(くりや)に行き、皿でも洗ってろ」と命じます。幼子は女中たちに手を取られて、部屋からやはり連れ去られます。

主は残った自分を、さらに値踏みするような嫌らしい目つきで眺めます。

そしてニヤリと笑い「お前はワシの横に来い」と、手招きしました。

これがYさんが最初に思い出した、過去世でした。

昔は普通に人身売買などが行われ、多くの下層の民は一度はそういう経験をしているのだと思います。

Yさんが、今世で男性に極度の嫌悪感を持つのも、こういう過去世で出来た嫌な思いが感情と共に潜在意識に残っているのかも知れません。

Yさんも、前述したTくん同様、自分が影響を受けたかも知れない過去世のイメージを何度も回想することで、怒りは徐々に治まってきたと言っていました。

その他には、生贄にされる時の過去世を思い出した男性がいました。

これから生贄にされる棺のような暗闇で、彼の意識は目覚めます。生贄とはこれから自分が死んでいくというのに、心は穏やかで幸せを感じていました。なぜなら、自分が死ぬことで多くの人たちを救える、という充実感の方が圧倒的に大きかったからです。

彼はその記憶に今の人生でも強く影響を受け、常に自己犠牲的な生き方をしていました。自己犠牲で生きることはしんどく辛いものです。

彼も自分の過去世を知り、理解することでそれらの呪縛から解けることになりました。

また盲目の女性が、なぜ自分は視力が無く生まれて来たのか、という問いを持ちながら過去世瞑想をしました。

彼女は古代に、奴隷の身分で何度も何度も鞭で打たれているシーンを見ました。主人のような人に何度も何度も、誤ってもけっして許してくれることなく彼女は鞭で打ち続けられました。

辛い過去世です。

なので、彼女は辛い世の中を「見ない」という意図でこの世に生まれて来た、という自分の意図を知りました。

それを思い出してから、彼女は心が晴れたと言います。

僕が行ってきた過去世瞑想というワークで、こういう事例は結構ありました。

「潜在意識に存在するネガティブなプログラムは、そのインストールされた体験と理由を思い出し、意識することで除去出来ます」

確かに自分の潜在意識にあるネガティブなプログラムがインストールされた体験を知り、そしてその体験からの意味を理解することで、潜在意識にあるネガティブな記憶と感情は癒されて消滅します。

これは経験則で分かっています。

けっして間違いではないと思います。

でも、大きな問題がありました。

それは手法に汎用性が無い、ということです。

潜在意識にあるネガティブな記憶の原因を思い出す、と言ってもけっして誰もが出来ることではありません。と言うより過去世を思い出す、なんて出来ない人の多いのです。

これでは、推奨する意味がありません。

と、僕の方法はここで座礁に乗り上げてしまいました。

今の人生を良くするために、潜在意識にあるネガティブなプログラムを書き換えることが最大の問題解決である。

しかし、それはそう簡単には出来ない。

その上で、もっと何か簡単に出来る方法はないのか。と、思っている時、ある動画をYouTubeで見ました。

そう、この方はご存じの方も多いかと思いますが、日本を代表する映画の白鳥哲監督です。この監督の映画は、ドキュメンタリーでどれも凄くいい内容なので、これまで僕も白鳥作品はほぼ全て観ておりました。

その白鳥監督が、この動画で何某かの波動アイテムをお勧めしている。

聞けば数霊REIWAという波動修正装置で、自分の波動を測定し修正波動を水に転写して飲めば心身ともに不具合が改善する、というものらしい。

波動修正装置・数霊REIWA

僕はすぐに、潜在意識のネガティブなプログラムの書換えの事であり、これを使えば僕が問題にしていた潜在意識の修正も簡単に出来るかもしれない、と直感しました。

そう思えば、すぐに使いたいものです。

そして即、この数霊REIWAというアイテムを購入し使ってみました。

自分だけではなく、僕と取引があるビジネスパートナーの女性たちにも1年間使って貰って、その効果を確かめました。

すると僕が思っていた以上の効果を、この数霊REIWAという機械は叩き出しました。

本当に驚きました。

「波動」とか「潜在意識」などは、もう40年も掛かって探求して来ましたのである程度の知識はあります。が、それが実際に目の前で、こうも瞬時に変わるものなのか、と改めて驚かされました。

そして2021年と2022年には、この数霊REIWAの開発者である吉野内聖一郎先生を大阪に招聘し、講演会も開催しました。

僕の元にはこの数霊REIWAを使い、変化を招いた体験談が日々来るようになりました。

この動画の森本くんの場合は、致死量レベルのアルコール中毒の改善、人間関係の改善などがまず起こりました。

僕のセミナーに来て、周囲が激変した方に鷺岡めぐみさんという方がいます。この方は僕を通じてケイ素(シリカ)と、波動(数霊REIWA」を知りました。

そのきっかけは、めぐみさんの娘さんにも波及し、3次元的思考では考え及ばない状況を作り出しました。

宇宙の法則に乗っ取た数霊コードは、僕たちの遥かに超える変化を齎してくれます。

量子力学という科学の進化によって、私たちの身の回りの全ては波動(周波数)というエネルギーで構成されている、という事が証明されてきました。

物質であるモノも身体も、そして人間の感情、思い、意識、人の運、縁なども全て波動というエネルギーで出来ているということです。

なので、それらが持つ周波数を整えることで、全てのものを変えることが出来ます。

数霊REIWAは使い方によっては、無限の使い方が出来るものだ、という事をすでにお使いになった方々の声でより知ることが出来ました。

数霊REIWAを知って、今の現状を変える重要なものが人の「意識」であり「波動」だと知ったのが、僕が得た5番目のターニングポイントでした。

僕は自分の人生の多くを費やして、自分の人生を良くするものが「シリカ(ケイ素)」「意識」「波動」だということを知りました。これは僕の中では確信です。

僕が得たこれまでの知識といくつかのアイテムを駆使して、僕と縁ある方の「今」をよくする、というのが僕がしている活動の大テーマです。

具体的にはセミナーという形で、日本全国へ要望があれば行って、僕が知っているあらゆることをお伝えしています。

そして「今」をよくするアイテムは、販売という僕の仕事の中で普及しています。

それらの知識とコツをマスターすれば、僕はどんな人でもその人の「今をよくする」ことが出来ると思います。

最後までご購読ありがとうございました。

出来ればいつか何処かでお会いしましょう!


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