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117あの日のこと
自宅
倒壊は免れた。
そう思ったのはその事態が何かと知った数時間後の事だった。その真っ最中は一体何が起こっているのかさえ分からなかった。
1995年1月17日午前5時46分59秒。
当時僕は原稿を書く仕事をしていた。
仕事は集中を必要とするので深夜の時間帯にする事が殆どだった。そして完成を出来るだけ日の出に合わせて、出来上がった原稿を局に送るために郵便ポストに投函する。朝の清々しい時間に書き切った原稿を自分から手放すのが、その時の僕の充実する一時だった。
1月17日もいつものように深夜自分の机に向かって原稿を書いていた。当時はまだワープロ専用機を使いリボンカートリッジでガシャガシャと印刷していた時代だ。
その日はまだ深夜の暗い時間に布団に潜り込んだ。おそらくアイデアが煮詰まっていたのだろう。
深く微睡んだ頃に、それは来た。
遠くから響き渡る地鳴りのゴーッという轟音を、夢の中で聞いた。地鳴りは遠くから、そしてジワジワと近づいて来た。でもその感覚は今となれば時間が経ち記憶がそう作り出しているのかも知れないし、時間的にはもっと瞬間的なものだったのかも知れない。
そして真下から突き上げられるような衝撃と共に、部屋全体が巨大な何者か、例えばキングコングのような怪物によって力任せに揺り動かされているような衝撃に襲われた。
思わず布団に潜り込んで身体全体を丸めた。人は咄嗟の場合、本能的に体全体で防御の姿勢を考えずに取れるものだ。
激しい激震は体感的には数分続いたように思えた。ひょっとしてこの揺れは永遠に止まる事は無いのではないかと恐怖の中で考えた。
布団の中で丸めた身体に色々な物が落ちて当たる感覚を覚えた。頭から腹、足までに何かが落ちて当たった。後で見ればその多くは本棚から落ちた本だった。
とにかくその動きには何も出来なかった。例えば遊園地にあるスイング系のアトラクションのあの揺れが数秒で往復するような高速且つ過激な横揺れが何分も続くのを想像してくれたらいい。
とにかく揺れが止まるのだけを祈った。
どれほどの時間が経過したか分からないが、揺れは収まって来た。
そして止まった。
そこには何も音が無かった。
でもまた再び突如揺れ出すのではないかという恐怖は拭い去れない。
と、突然僕の名前を叫ぶ声が聞こえた。
一瞬何処で何を叫んでいるのか分からなかったが、よく聞くと間違い無くそれは僕の名前だった。
完全に強制終了されたプログラムが再起動しても、画面が暗いままのような状態の思考だったが、現状を出来るだけ把握するように努めた。
その声は母親の部屋からだった。
それが分かった時、短距離走のランナーがスタートを切るような勢いで僕は起き上がり母親の部屋まで行き、襖を開けた。
その時震災用ではなく、停電用に常に枕元の戸棚に入れておいた懐中電灯が役に立った。
そこで見えたのは複数の洋服ダンス、テレビ、棚、仏壇が部屋の中央に重なり倒れている光景だった。足を踏み込む隙間は無い。壁際の家具が全て中央に寄せ集まり倒れている。
母親の姿はそこには見えない。が、確かに母親は毎晩この部屋で寝ているのだ。
足の踏み場が無い状態で、現状を探るように見ていると再び「マサアキ」と僕の名前を呼ぶ声が微かに聞こえる。
声があまりに小さかったので、キッチンへ入って行ったがそこには誰も居ない。再び母親の部屋に戻って来て、残骸化したその空間を注意深く見ていると再び「マサアキ」と僕の名を呼ぶ声が聞こえる。
母親の声がこの残骸の中から聞こえるのだ。この中に本当にいるのか。
声がするという事は生きているのだろうが、相当に酷い怪我をしている事は間違い無い。先に救急車を呼ぶ方がいいかどうか考える前に、部屋の端からある家財道具を僕は急いで廊下に出していた。
気は急ぐが慌てて上の大きな家具が変に動けば、小さな母親は圧迫死する事も考えられる。僕は洋服ダンスに収納されている衣類を全部取り出した。中身を軽くして動かせるようにするためだ。
衣類といえどもまとまるとかなりの重量となっている。母親はこの下敷きになっているのだ。
とにかく僕は母親を押さえ付けている、母親が長年愛用し続けてきた洋服ダンスを渾身の力で窓側に動かした。丁度相撲でいえば上手出し投げのような格好だった事だろう。
しかし、そこには母親の姿は無かった。
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第一報
平成7年1月17日5時46分に震源淡路島北部で起こった「阪神・淡路大震災」は、当初震度6と伝えられたが、その後神戸市須磨区鷹取、長田区大橋、兵庫区大開、中央区三宮、灘区六甲道、東灘区住吉、芦屋市芦屋駅付近、西宮市夙川付近等では、震度7であったと訂正された。
冬の早朝に起こった激震は、暗闇の中でのある種死闘だった。
母親の部屋で家具が雪崩状態で崩れている中、昔ながらの重い洋服ダンスをやっとのことで脇へかわすことが出来た。今の組み立て式の家具とは違い、昔の一体型の家具はやたらと重い。
洋服ダンスを取り除いた瓦礫の中に、母親の姿はなかった。
何か縦長の家具の背面が見える。
家具も黒っぽかったので、それが何か咄嗟には分からなかった。が、位置関係からしてそれは仏壇であることが徐々に分かってきた。
もしお袋がこの下にいるとすれば、親父の仏壇がお袋の上に覆いかぶさっているのだ。
僕は仏壇を元あった位置に出来るだけそっと戻し立てかけた。周囲に散乱している引出しとか、小物が崩れて来ないようにと。
仏壇をのけ、懐中電灯で仏壇が圧し掛かっていた下を照らす。
母親の顔が見えた。
眼は閉じている。
死んでるのか、と咄嗟に思った直後お袋は両の目をパチッと見開いた。
僕はその場に尻もちをつくくらいに驚いた。よくゾンビ映画で死んでいるのかと思えば、突如目玉を剥くというあの恐怖演出のように。
「何してるねん!早よ出してんかいな!」
お袋は怒るように、そして偉そうに僕に怒鳴った。
僕はお袋の腕を掴み、彼女が潜り込んでいたコタツからまるでチンパンジーを摘まみだすようにしてお袋を引き出した。
「イタイッ、イタイッ!!」
そう叫んだお袋に「怪我でもしてるのか」と聞いた。
「あんたが掴んだ腕が痛いねん!もっと優しくしいッ!」
こんな時でも憎まれ口はいつも通りだ。全然恐怖を抱いていないのに、僕はいつもように驚く。さすが親の死に目にも実家に帰らず40年間家出していた女だ。根性だけはある。
お袋の体のあちこちをチェックしたが、怪我をしている風はない。いたって無傷だ。
早朝の明かりで部屋が少し明るくなり、母親の部屋の破壊的光景が浮き彫りになってきた。その時、僕が検証して分かったことはこうだ。
僕のお袋はその時、夜はコタツに入りチャンネル片手にテレビを見るのが日課だった。そして眠くなると、そのままコタツで寝入る。TVは付けっぱなし状態。
そういう寝方をしていると体が休まらないので、布団を敷いて寝ろ、と何度となく言っていたのだが一向にコタツスタイルを母親は改める風はなかった。
1月17日も当然コタツに入り、眠っていた。
そして早朝の激震が起った。
おそらく、最初の一撃でお袋の頭の上に位置する親父の仏壇が衝撃でお袋の上に倒れてきたのだ。だからお袋は仏壇の下にいた。
そしてその仏壇の観音扉は開いたままで倒れてきたので、コタツの天板に仏壇の最上部が引っ掛かり、仏壇の両扉がお袋の両腕の外側に、まるで人間が腕立てをするような恰好でカバーしたのだ。
そういう状態でお袋は、丁度コタツの天板と仏壇本体、そして仏壇の両扉で四方を守られた格好の中にいたのだ。
まるで仏壇と化した親父が、お袋を上から包むように守った形だ。
実際後々、お袋はあの時はお父さんに守られたと言っていた。
僕もまさしくそうだと思う。
こういう大きな地震に見舞われた経験者は少ないであろう。
なので、一つ忠告をしておくなら、、、
大きい地震では家具も食器棚も粉砕される。そうするとそこに嵌っているガラスはすべて割れ、床に散乱する。
同居人を案じて無我夢中で動いていると、必ず足をガラスで切ることになる。これはとても致命的なことになる。動かないといけないのに、痛みのため動きが制限される。
怪我をして手当をしようにも、救急箱や医療品がいつもの場所にある、ということはまぁない。どこかへ飛んでいってしまっているのだ。
スリッパも駄目だ。
倒れ込んだ家具や、木材を大股で跨ぐときに脱げ落ちてしまう。しっかり足元を固定出来るシューズがいい。
30分もすると、外で人のざわつきが聞こえてきた。
そして「余震があるかもしれないので、部屋にいる人は出てきて下さい」と誰かが大声で叫んでいる。
僕とお袋は駐車場にある車の車内に入り、ラジオを付けた。
ニュースを読んでいるアナウンサーも興奮している。
まだこの時は、負傷者が数名出ている模様です、みたいな情報しかなかった。
辺りに陽が差してきた。
僕は車から出て、東の空を見た。
そこには遠くで黒煙が細く、3本天に向かって上昇している。
火事かな?
と、僕は少し不思議に思った。
地震など全く経験した事がなかったので、この時点では地震と火災が結びつかなかったのだ。
でもそれは、これから起こる灼熱の地獄のような3日間のはじまりだった、ということはまだこの時点は分からなかった。
(注)
もし僕のお袋が几帳面で就寝する時は、きちんと布団を敷いて寝る生活様式なら重い洋服ダンスの下敷きに間違いなくなっていた。ちゃらんぽらんで、TVも消さずにグーグー寝る横着な性格ゆえにこの時は助かったのだ。人生本当に何が幸いするかわからないよ。
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破壊された状況
激震の直後から電気、ガス、水道は全て止まった。比較的早く回復したのは電気だった。
関西電力の中央給電指令所では、急きょ揚水発電所の運転を行って電力需給バランスを保つ一方、停止中の火力発電所の立ち上げ、送電系統切替を実施して、停電箇所の復旧につとめた。
僕の住む地域は比較的被害が軽かった為、送電設備のダメージはまだ軽傷だった為に復旧が迅速的だったのだと思う。
周辺の明るさが増して、もうおそらく強い揺れは無いだろうと推測したのか、外に出ていたマンションの住人たちはめいめいに自分たちの部屋へ帰り出した。
僕と母親も自室に帰り、テレビをまず付けた。部屋はまだ廃墟化していたが、一体今何が起こっているのかをまず知りたかったのだ。
おそらく地震発生後2時間で電気は復旧したと思う。テレビは全ての局で神戸で今起こった地震のニュースを映し出していた。
各地の様々な状況が次第に明らかになっていく。
しかしその中でも一番驚いたのが、阪神高速神戸線の高架が635メートルに渡り横倒しになっている映像だった。
そしてニュース映像は次々と新たな被害状況を映し出して行く。
阪神高速道路が倒れる、、、
ビルがV字に割れている、、、
道路がすごく陥没している、、、
マンションの一階が無い、、、
線路が波状になっている、、、
これまでの自分の思考概念の中に全く無かった現象を、まるで言葉を知らない幼児に一つ一つ丁寧に教えるように自分の新たな概念を自分の脳に植え付けていく作業を僕はしなければならなかった。
今神戸ではかつて無い酷い事が、広範囲に渡り起こっているんだ、いう認識がやっと沸き起こって来た。
これらの映像から見るに僕が住むこの辺りはまだ軽傷で、絶望的な地域は予想を超えてある。だから僕は今、何をしなければいけないんだ。と、頭を高速で巡らせた。
そう思うとダウンジャケットを羽織り、「寺を見て来る!」と母親に言い残し表に飛び出した。
自宅より1キロも離れていない処で、母親の兄が住職をしているお寺があったのでした。街の小さな真言宗のお寺だが、半年前に檀家の協力の元で改装を済ませたところだった。
瓦は淡路島から取り寄せた別注のものだと、住職の叔父が自慢していたのを思い出しながらひたすら駆けた。
南へ下る坂を一丁ほど下がると、山陽電鉄という路線の線路が走っている。
そこまで来るとほぼ平地となるのだが、線路を越えた街並みを見て僕は愕然としたものだ。
「なんでやねん!」
戸建の家の屋根は道路にずり落ち、電柱は電線を絡ませながらトタン屋根を割り、二階部分が一階部分の駐車場にある車を押し潰していた。
それが一軒や二軒でなく、見渡す限りが、それこそ「壊滅状態」という言葉通りの有り様だった。
線路沿いに西に向かって、お寺のある方向に再び走り出した。
運よく改装したばかりの寺だ、丈夫に大工が立て直していたから寺だけは無事なはずだ。
心の中で叫び続けたが、僕の願いは叶わず、叔父の寺も大きな屋根が一階部分へと落ち、一階部分は消えていた。
このあたりの日本建築は古来より、重い屋根の瓦で風から守るように建てらている。という全く地震のことを考慮せず、それまでの建築工法のままリニュールした重い屋根の瓦のため寺は全壊していたのでした。
幸い叔父と叔母は母屋にいたため無事だったが、母親の妹が住むその裏手の家では、叔母は下敷きになりすでに亡くなっていた。即死だったらしい。
そうこうしているうちに、さらに東の手に煙の筋が増えてきた。
倒壊状況からみて、南へいくにしたがって酷くなっている。
南には長田で一番の繁華街がある。
そこには幼い頃遊んだ友人たちがいっぱいいる。
そう思うと、何人かの顔が浮かんでくる。
という思いに突き動かされて、さらに南へと駆けていった。
神戸と言えばみんなオシャレな街というイメージかもしれないが、それは神戸の三宮、元町周辺を語る言葉で、この長田と言う街は神戸でも下町にあたり、まだ当時は木造作りの長屋みたいな街並みが多くあった。
通称僕たちは「バラック」と呼んでいた。
あんな規模の地震から見ると、そんな安易な木造造りの家々なんて、マッチ箱のようなものだ。
南へ向うにつれて、街は「木端微塵」という表しがたいこの世の最期みたいな景色だった。
倒壊した家屋の中には当然即死した人もいたろうが、うめき声や助けを呼ぶ叫び声のような悲鳴もあちこちから聞こえくる。
街の全面的な破壊で、何処が道路かすらわからない状態だ。
家から飛び出した人たちは今度、様々な場所から助けを呼ぶ声の元へと走りまわっている。
「なんでやねん・・・」
どこへ行ってよいやらわからぬまま立ち竦んでいると、フト忍ちゃんの顔が浮かんできた。
忍ちゃん、名前はかわいく聞こえるが、僕よりも二つ年上のオッサンだ。忍ちゃんに僕は最初にパソコンの事を習った。忍ちゃんはオタクだったので、すでに自作のコンピュータを持っており、僕に色んな事を教えてくれた人だ。
忍ちゃんには6才離れた妹がいる。千佳ちゃんは忍ちゃんとは全然似てない、童顔で可愛い顔をしていた。愛想はいいがとても無口だった。
僕はパソコンを習う為に一時期忍ちゃん宅を随分訪れていた。
その兄妹が住む住宅も、絵に描いたような古い二階建て屋だ。
僕は忍ちゃんの家の方向に自然と足を向けて、走った。
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兄妹
神戸の長田という街はケミカルシューズの産地として有名で日本のシェアの7割を占めるほども昔はあった。
当然街はシューズメーカー、問屋、下請けのミシン場、張り子などがひしめき合うようなゴム工場の街だ。
東から起こった火災は48時間西へ燃え移り、僕たちの街を火で覆い尽くしました。
TVニュースはその火事の拡散していく様子を、上空のヘリから撮影し、リポーターが、「なぜ火は消し止められないのでしょう!」と叫び続けていた。
当然外部から来た人たちには理由はわからないだろうがが、この土地に住む者だったら誰でもわかる。
靴を製造する過程ではゴムや皮を貼り付けるのに、ラッテクスなどという強力な特殊ボンドやシンナーを多く使う。
そしてそのボンドを大量に置く工場という工場に引火したのだから、少々の水をもってしても消えることはないんだ。
そういう理由から、長田地区の全焼棟数は4,759戸、神戸市全体の全焼棟数の68%に上る。また、家屋の倒壊率も57.2%と、全市平均30.8%の倍近くになる。
焼失及び倒壊家屋が集中している地域は大正末期に建てられた築80年近い長屋が軒を連ねており、路地は人は通れるが、車は入ることができない。神戸は1945年、米軍によって3回の空襲を受け、市街地は壊滅したが、震災による発生した火災で焼失した地域はいずれも空襲で焼け残った結果、老朽家屋が密集していた。
僕の家があるのは長田区でも比較的北の方であり、どうやら地震断層は南側を通ったようで南下するほどに被害は酷くなる。
言うなら、家がバラバラになりペシャンコになっている家もある。
中途半端に崩れ落ちている家の木材を、数人で動かそうという人たちもいた。きっとあの中にまだ生存している人がいるのだろう。
辺りは怒号が飛び交い、若い男たちは走り回っていた。
僕は忍ちゃんの家に向かって走った。
途中、幾人かから「手を貸してくれ」と呼ばれたが「すみません、急ぐところがあるんで!」と、本当に申し訳ない思いで振り切った。
忍ちゃんは、常時「フォッフォフォ」みたいな妙な笑い声でいつもにこやかに笑っていた。彼はこんな状況でも、いつもの様な笑顔を絶やしていないんだろうか。それとも僕がこれまで見たことが無い、真剣な表情をして動揺しているのだろうか。それ以前に、ちゃんと生存しているのだろうか。
忍ちゃんのあのかわいい年頃の妹千佳ちゃんも無事でいるのだろうか。そろそろ彼氏でも作らないとな、と僕が言った時「いい人に選んで貰えるようにがんばります」と、とても謙虚に答えた千佳ちゃんの顔を思い出す。
今時の子とは違い、えらく謙虚な心得をしている女の子だな。というのが僕から見た千佳ちゃんの変わらぬ印象だった。
遠くで黒煙と共に深紅に辺りを染める炎が見えた。
忍ちゃんの家がある老築化した木造屋の並ぶ、細い路地まで来た時「あッ」となった。
記憶では路地があった道がない。その替わりその道には家がぶつかり合うようにある。よく見ると路地にある家は、本来二階建ての二階部分に当たる部屋が激震で揺れ、一階部分が押し倒されて滑り落ちて来た恰好なのだ。
中に生存している人を助けようとする男たちが、激しく声を掛け合い瓦礫を取り除いたりしている。
僕はその群衆から忍ちゃんを探した。
そして人ごみに立っている縦じまのパジャマ姿の忍ちゃんを見つけた。髪の毛は怒髪天となり、裸足姿だった。
「忍ちゃん!」
僕は大声で忍ちゃんを呼んだ。
僕の声に気付いた忍ちゃんは、これまで見たことの無い泣きそうな表情で僕を見て「うし」と呼んだ。忍ちゃんは僕のことを「うし」と呼んでいた。
「千佳ちゃんとお母さんは!」
と聞くと「まだ中や」と忍ちゃんは動揺して言う。
「この中か!」
僕は一階が完全に崩れ落ちて、その上に二階が被さるような忍ちゃんの家を指して叫んだ。
忍ちゃんの指さす方を見ると、二人の男が素手で瓦礫を取り除いている。もう一人の男は破壊された家屋の中に上半身を突っ込んで下半身しか見えない。内部の邪魔な物をおそらく手で取り除いているのだろう。
「消防隊員は!」
と僕が忍ちゃんに聞くと、消防署にはもう人も車もいないんだと言う。おそらくこういう数えきれない現場から救助要請があり、総出の状態となっているのだろう。
「オレも手伝うから」
と瓦礫の中に入ろうとした時、忍ちゃんの素足が見えた。
何か履くものや軍手でも持って来ればよかった、とその時になって思った。
紅い火の粉を舞う黒煙が、先ほどよりも迫っているように思えた。
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救出不可
「早く出して!」
背後でも同じような状況で生き埋めになっている女性の叫び声が聞こえた。こちらも二階部分に押しつぶされた一階部分から声がする。
「わかった!もう少しの辛抱や!元気出せ!」
と数人の若い男たちが、励ますように声を掛ける。
その時、また余震に見舞われた。
辺りから叫び声が聞こえた。
家屋の中に頭から突っ込んでいた若い男が、こちらに身を引くようにして出て来た。短髪で顔は砂だらけだった。下半身は職人が着るニッカボッカに地下足袋を付けている。おそらくこれから仕事現場に出掛ける朝の支度をしていたのだろう。鳶職人だろうか。
その職人風の若い男は、瓦礫の中から出てくるなり屋根に登ろうとしている数人の男たちに叫んだ。
「アカン!屋根に登るな!下に二人おるんや!崩れたらペシャンコになる!」
屋根の上から救助しようとしていた男たちは、その静止を聞いて足を止めた。
「大丈夫か!生きてるか!」
僕はそのニッカボッカの若い男に大声で聞いた。
「オカンと娘や。50センチほどの隙間に居る。生きてる。天井の大きな梁が邪魔して入られへん!」
「梁を切るか!」
と僕が聞けば「そんな時間はない!」とニッカボッカは言う。
「何か掘るものがいる。隙間を空けて、そこから引っ張り出すしかない。オレの車に道具がある。取って来るから作業がし易いように、細かな瓦礫を外に出しておいてくれ」
と言うなり、ニッカボッカの男は駐車場がある方向へ走って行った。
彼に手渡された懐中電灯を手に取り、彼が掘って作った空間に僕は頭から突っ込んだ。懐中電灯を当てても、目が慣れないのか暗闇だった。
確かに大きな天井を支える梁と土壁のようなものが邪魔をして、先が見えない。これも彼が作った空洞からかに、懐中電灯の明かりを差し込んで中を伺う。
懐中電灯の明かりで少しずつ体をほふく前進させる。この時僕はダイハードのジョン・マクレーンが狭い排気口の中をブツブツ文句を言いながら進んでいくシーンを思い出していた。
やはり暗闇で見えないが、よく見ていると砂山のような物陰がある。
「千佳ちゃん!」
と僕は忍ちゃんの妹の名前を力いっぱい叫んだ。
「はいッ!」
聞き慣れた透明感のある千佳ちゃんの声がした。やっぱりその砂山のように見えたのが、千佳ちゃんなのだ。
「お母さんは!」
と僕は聞いた。
「ここに一緒にいます!」
「お母さんも無事か!」
「お母さんは怪我をしてます!動けません!」
「キミは怪我してないか!」
「私は大丈夫です!でも足に何かあって動けません!」
おそらく距離にして1mもないのではないか、という場所に千佳ちゃんとお母さんはいる。そしてお母さんの方は怪我をしているという。
「安心しろ!これから助け出すから!」
と励ますように、僕は言った。
確かに上から作業すると、崩れた場合二人は完全に生き埋められて圧死するかもしれない。だからここの横穴から助けるほかはない。それにはもっと空洞を大きくする必要がある。ニッカボッカの男の判断は正しいと思った。
その時僕の足首を引っ張る力があった。
僕は暗闇から後ずさりして状態を起こすと、さっきのニッカボッカの男がいた。そして手にした左官コテとバールのような道具を僕に見せた。
その後すぐに、そのニッカボッカの男は千佳ちゃんとお母さんがいる暗闇の入り口に再度頭から入っていった。
頼もしく思えた。
その時、路地に入る入口の方から声がした。
「お~い、火事が薬屋まで来てるぞ!」
薬屋というのはここから一町ほど先の距離にある。
もう目と鼻の先、ということだ。
その声で俄然その場の怒号は大きくなった。
火の手はまだここからは見えないが、時間の問題だ。
僕も入口の瓦礫を死ぬ思いで取り除け続けた。
熱風が頬を打った。
熱い。
炎はまだ見えないが、かなりの熱風が唸りと共にその場を覆った。
「まだか!」
「もう少し!」
と言ってから、ニッカボッカの若い男は「あッ」と言った。
いきなり頭上に強烈なライトが照らされたように一面明々とした光に包まれた。
炎だ。
いきなり灼熱の温度に体が包まれる。
ニッカボッカの男は、苦しそうに身を悶えさせている。空洞をさらに広くしているのだ。
「逃げろ!」
とその時背後から大声が聞こえた。
廻りの者は炎から逃げるように、その場を離れていく。
瓦礫があちこちで崩れる大きな音がする。
そしてその瓦礫の中から、キャーともギャーとも言えない叫び声があちこちから上がる。
僕の肩に大きな衝撃があった。誰かが僕の肩を叩き「もう無理だ。逃げろ!」と叫びながらその場を走り去った。
熱い。もう限界だ。
でもまだニッカボッカの若い男は出て来ない。
このままでいると僕たちもここで焼け死ぬことになる。
今もう目の前にいる男を穴倉から引っ張り出さないと、あと数分で彼も焼け死ぬ。だからもう猶予はない。でも彼を引っ張りだすということは、中の千佳ちゃんとお母さんの命を絶つということになる。
おそらくこれから先僕が生き延びたとしても、これほど苦しい選択はおそらくないであろう。
僕は次の瞬間に、穴から出ている男の二本の足を力一杯引っ張った。
「もう無理だ!出てこい!」
そこにいた後二人の男も、彼の足を掴んで力任せにこちらに引きずった。
ニッカボッカの若い男は、顔を真っ白にして穴から出て来た。
そこへトタン屋根の破片みたいなものが、何枚も吹っ飛んできた。
「危ない!逃げるぞ!」
道にへたり込んで髪を搔きむしっている忍ちゃんを無理やり立たせて、広い道路の方へ走っていった。
走る間も、背中から炎の中で壮絶に死んでいく人たちの声が絶え間なく聞こえた。
火事場から離れたコンビニエンスストアの壁際に、僕たちは息を切らせてしゃがみ込んだ。火事の遠景はかなり広範囲に渡って、炎を増している。
あと1分逃げるのが遅かったら、僕たちも炎に巻かれていたかもしれない。
僕の横には懸命に彼女たちを助けるべく最後まで尽力した、ニッカボッカの男が座っていた。彼は自分の右手をただ虚ろに見ていた。
そして一言呟いた。
「この手で、あの子の指に触れたのに、、、」
そう言うと、彼を頭を深く垂れた。
彼の足を数人で引き出そうとした時、彼が短く「あッ」と叫んだのは、きっと瓦礫の中で千佳ちゃんが懸命に伸ばす手の指先に触れたのだ。
僕は忍ちゃんの横に座り、彼の肩を抱いた。忍ちゃんは嗚咽を漏らしながら、髪の毛やら顔を気が狂ったように撫で廻している。
僕はその時の忍ちゃんを慰めてやる言葉が無かった。
ただただ背中を摩り、肩を抱いただけだった。
彼はこの先、母親と妹の顔は二度と見ることはないのだ。
目の前の狂気の舞いのように燃え盛る炎は、天を突きさすような勢いでさらに燃え盛っている。
火事場から逃げる時聞こえた絶叫は、しばらく僕の耳の中にしっかりと残響として繰り返した。いや、きっとこれから何十年経とうが消えることはないだろう、とその時僕は思った。
僕はジョン・マクレーンにはなれなかったし、これは映画でもドラマでも無かった。あまりにも残酷過ぎる現実を経験しているだけなのだ。
※以下のページは震災直後に長田消防署の隊員が記録的に綴った手記である。
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時の流れ
神戸市長田区は阪神・淡路大震災で最も大きな被害を受けた地域のひとつである。
その最大の特徴は火災による住宅の焼失が多かったことで、全焼棟数は4,759戸、神戸市全体の全焼棟数の68%に上る。
また、家屋の倒壊率も57.2%と、全市平均30.8%の倍近くになる。
後日、焼け跡から見つかった千佳ちゃんとお母さんの遺体はしっかりと抱き合った格好をしていたという。
その光景を想像する度に、僕はあの炎の中から聞こえた声が耳中で蘇る。人間が生きたまま焼け死ぬ時には、想像を絶する声を発生するものだ。
僕の友人たちでもこの震災で何人かは命を落としたり、傷ついた。
BARを経営していた俊ちゃんは、朝方まで客と店で飲んでおり、店のソファーで寝ていた為炎に巻かれて死んだ。
酒屋の立石は自宅で寝ていたところ、家が一気に倒壊して即死だった。おそらくなぜ自分が死んだのかさえ分からなかったことだろう。
近々挙式が決まっていた村上は、東京からフィアンセを呼んでいたところに被災した。フィアンセは神戸に来るのが生まれて初めてだったらしい。幸い二人は無事だった。
風俗嬢の直美は、丁度客とホテルに宿泊していたので難を逃れた。自分のアパートなら間違いなく死んでいたと言っていた。
後輩の袖山はその夜好きなプロレス番組があったので、コタツでそのまま寝ていた時に激震が起った。驚いてコタツに潜ったので助かった。コタツから出てくると、古い二階建てのアパートは一階がスライドする格好で倒壊したので、彼がいた一階は天井がいきなり夜空になっていたと漫画みたいな事を言っていた。
こう見ると、人間の運なんて何も分からない。
死ぬやつは死ぬし、助かるヤツは助かるのだ。
言っておくが震度7以上の激震がくれば、どうしたところで逃げることなんて無理だ。吹っ飛ばされ、叩きつけられるだけだ。
もし運よく生き延びた場合に、僕の経験から少しは役に立つこを最後に記しておく。
まず咄嗟の場合、必ず誰かと一緒にいることだ。
一人ではどうしようもないところ、複数人でいると助かる確率は間違いなく高まる。一人暮らしなら、そういう場合を想定して頼れる人間を誰か近距離に作っておくこと。
ライフラインが遮断されて、まず必要になるのが飲み水だ。
だから普段からミネラル水は常備しておく方がいい。出来れば1週間ほど家族で事足るような量が望ましい。1週間もすれば必ず給水車は来てくれる。
水でも困るのが生活水だ。
水洗用のトイレの水。食事後の皿を洗う水など。トレイの使用後に流す水が無くなると、とても困る。
その防御として、風呂の湯は必ずいつでも貯め置いておくことだ。その湯だけでも、生活水にはとても役立つ。
スマホはすぐに手に取れるようにしておく。
健康の為、電磁波予防にと出来るだけベッドから離しておくように、とか言われるけど緊急の場合連絡手段が途絶えるのは致命的だ。まして揺れが大きいと、小さいスマホなんかは必ずどこにいったか分からなくなる。
サランラップも多めに買い置く方がいい。洗い物が出来ないので、皿にラップをして食事すると、その後ラップを捨てるだけで水洗いが不要なので水を温存出来る。
僕は親戚や知人に頼まれて、遺体が安置されている中学校や高校の体育館を何度も訪れた。それまでは子供たちが体育の時間や休憩時間にバスケットなどして遊んでいた同じ場所が、今は遺体が数知れず並べられた巨大な棺となっていた。
飲み水が足りなくなり、大阪まで6時間かけて歩いたこともある。
道路や鉄道は破壊され、まだ通れなかった頃だ。
40km離れているだけなのに、そこは別天地だった。
大阪の人々は何事もなく通勤し、飲食し、仕事をしている。
僕たちは食べるものも少なく、水も足りないという状況なのに、パチンコ店では人々が普通に遊戯しているし、主婦たちも普通に買い物をしている。
僕があるスーパーでミネラル水を持てるだけ買っていると、隣に来た主婦は「兄ちゃん、そのお水そんなに美味しいの?」と聞いて来た。僕がそのミネラルウォーターが美味しいから、たくさん購入しているとその主婦は思ったのだ。
いやいや、水がないんだよと心で思ったが口にはしなかった。
やれやれ。
テレビなどのメディアでは報道されているはずだけど、テレビというフレームを通じて見る惨劇はどこか遠くで起こっているであろう絵空事なのだ。
この震災で6,434人の人が亡くなった。
中には最初の一撃で即死だった人も多かろう。
死というものを意識せず、あの世に行ったわけだ。
逆に普通は死んでいたはずであろうにも関わらず、なぜかその日だけいつものローテーションとは違うことをたまたまして助かった人もいる。
そういう事を考えた時、僕の死生観は変わった。と、いうより神戸でこの震災でダメージを受けた人の多くは、何か心の中が必ず変わったはずだ。きっと。
何かのはずみで、僕はその6,434人の中に今回は入らなかったということだけなのだ。
28年前の激震で即死した人も、みんな必ず明日という日は来ると当たり前に思っていたことだろう。
でもそれは来なかった。
命が絶たれた時、それまでの人生を十分満足していた人はどのくらいいたろうか。
おそらくまだまだこれから「やりたい事」一杯を胸にしていた人の方が多かったと思う。
でもその日以降の明日は来なかった。
先の事なんて、とにかく分からない。
だから、今を十分良くしていつ死んでも後悔しないような生き方をしよう、と僕は心底思った。
そして、その考えは今もしっかりと意識的に受け継いでいる。
そういう経験があるので、僕はセミナーでも常に「今を良くすることだけが大事」と説いている。
僕の今回の手記が、誰かのお役に立てたならと思います。
28年前に神戸で犠牲になった方々へ、深くご冥福を祈りながら終わります。
最後までご購読ありがとうございました。
2023年1月17日
≪追伸≫
僕の今住むマンションの前の幹線道路を隔てたビルには壁時計がある。
先日信号待ちをしていると、後ろのカップルの女の子がその時計を見て「あの時計壊れてる」と彼氏に何気に言った。その彼氏も何気に「ほんとだね」と言った。
もうあの時刻を忘れている人も多くいるのだ。
それだけ時が経ったということか。
その時計が指し止まっている「5:46」の意味を。
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