私がInstagramでポートレート写真を投稿する時にフィーチャータグを付けるのをやめたワケ
そもそも"フィーチャータグ"って最近の私にとってあんまりきゅんと来ない。
前はぼけーっと眺めてるだけでもオムニバスアルバムを見ているみたいな楽しさがあって好きだったのだけれど、
最近はテーマに沿ってないように思えるアカウントによく出会うようになってしまった。
検索の方法が悪いのかなー?とかも考えたけれどそのしっくり来てないフィーチャーアカウントだって私なんか足元にも及ばないようなフォロワー数抱えてるアカウントなわけですし…。
そんなアカウントがあるかは知らないけど例えば「素敵な夜フォト集めました」アカウントが昼間の写真ピックアップしてたらバグかな??ってなるし
「フィルム写真集めました」アカウントでフィルム風加工したデジタル写真流れてきたら哀しい気持ちになるし。
私っていう人間、多分ちょっとセンシティブなのよね。
でも解釈違いって基本的にはこっちが勝手に期待するから起きるものじゃない?
裏切られたーって気持ちになるの。
なりたくないからさ、まず見るのやめたのよ。
これが理由①。
本当は理由②の方が自分的に大切なんだけど
理由①で如何に私が厄介かを知ってもらった上で見て欲しいからこの順番。ね。
許してね。
あとこれから書くことに思い当たる節があるからって別にあなたのスタイルを変えなくてもいいと思うよ。
仮に私のお友達がやっていたからってそんなことで嫌いになったりはしないから。
あのね、片っ端からあらゆるフィーチャータグつけてるのって苦手なの。
特にちょっと大人なやつとかね。
最初から「あのタグっぽい感じ目指してみようよ」って被写体さんとカメラさんとの間でやり取りがあったなら良いじゃんね。
フィーチャーされたら嬉しいし、喜ばしいし
でもさ、なんの脈絡もなく大人なタグ付けられてたらびっくりしない?
取り上げられたらもっとびっくりするじゃんね。
そんなつもりで写ってないけどもねーって。
結局人それぞれだけどね。
嫌だなと思う人もなんでも嬉しい人も感情にこうあるべきってないから。
でも私は撮影者側としてタグつけるならその見極めはちゃんとしたいと思うのね。
ポリシーってやつです。
これが理由②
カメラで食ってる立派な人のSNSがみんながみんなフォロワー大量に抱えててフィーチャータグつけまくってってしてないし
善し悪しはそこで決まらないと思う
ましてや選んでる側も必ずしもコンテストみたいに有名な人が運営してるわけでもないしね。
誰に選ばれるのが嬉しいかってそこは自分でなんとなく決めてもいいじゃない
写ってくれた人が後々見返した時にいいじゃん?って思い出と共に振り返ってくれる時とか
そういうのが私の喜びの素だって気付けたのでやめました。
以上
私がInstagramでポートレート写真を投稿する時にフィーチャータグを付けるのをやめたワケ
p.s.フィーチャーをフューチャーって書いちゃう人かわいいよね。
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