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擬態と自己開示
スペインに住んでいた時の話になるのだけれど、マドリッドには橋脚のない歩道橋があった。
その他にも、正面から見てハの字型に建てられたビルや、ロの字型のマンション(こちらも正面から見て)など、奇抜なデザインの建築物が街のアチラコチラにあった。
日本の建築基準から言えば、恐らくどれも許可されないのではないかと思う。
「地震は起こるものだ」という、ごく当たり前のような前提のある自分からすると、硬い岩盤に守られた地震の少ない国における規制や制限の無さ、そしてその発想の奔放さは、驚きを通り越して奇異ですらあり、行く先々でそういった建物に出会う度、呆気にとられ、アイデアのままに自由を謳歌するその在り方に、私はよく羨望の眼差しを向けていた。
ある種の制限の中で生きるのが当たり前になっていると、自由な発想を打ち消すようになる。
また、時間の経過と共に、打ち消していること自体を忘れてゆき、自由な発想そのものを想起しなくなる。
そして、生きることの幅を狭め、自分を小さなものとして扱うようになってゆく。
私がしていた擬態とは、そういうものだった。
私の内面には、擬態をしていた間ずっと、自由への渇望があったような気がする。
自分自身を、思いのままに解き放ってみたいという欲望にも似た理想があった。
だけど、擬態をして生きれば生きるほど、自由への道は、より細くより険しくなっていった。
学生から社会人になり、妻になり、母になりしていくうちに、乗り越えるべき前提条件は増えてゆき、自己の在り方の定義は益々厳しいものになっていった。
精神的な自由とはかけ離れていた。
そうなってしまった最大の理由は、心理的な安全が希薄だったから、だと思う。
擬態をしていたその裏には、世界という外界に対して、内奥の自己を押し出してゆける自信もなく、世界は「揺らぐもの」という前提を作り上げている自分がいた。
自分を、ちょっと変わったものとして捉え、もっと言えば、異常なものとして規定し、世界に対しそれを恥じて、極力それを見せないよう細心の注意を払って生きてきたし、そうすることが当たり前だと思っていた。
自由とは、安全や安心が確保されて初めて、望めるものなのだろう。
自由になりつつある今だからこそ、それが分かる。
そして、自分の中に心理的安全を築くためには、自己開示しても受け入れてくれる、信頼を基盤とした安定した人間関係の構築が必要となる。
私に対しては、ギフテッドの友人が、それを担ってくれた。
同じ類いの神経を持っているその人の前では、自分がひたすらに隠していた内面の葛藤を素直に開示することができたし、また深い理解と共感を示してもらえたことで、自己を異常なものとして位置づけていた思い込みや、心の奥底にあった世界に対する不安感を徐々に取り除いていくことができた。
今までの自分の在り方を壊すキッカケを得ることができたのは、ギフテッドという同じ前提を持つ人と一緒になって自己を掘り下げたからこそ、だったのだろうなと思う。
誰しもが、長年抑え込んだものを容易に自己開示できるとは限らないだろうし、擬態をしているということは、その難しさの表れでもあるのだけれど、それでもいつか、信頼し合える誰かとの出会いを通して、一人でも多くの人がその壁を取り払うことができたら、と思わずにはいられない。
おしまい。