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暗雲を抜けたらHAPPYを振り撒く人がいた

すこし前、身内に厳しい苦難が降りかかった。
それでわたしはしばらくの間、嵐に巻きこまれたようなその家族のもとに行っていた。
「何もしなくていいから、ただそばにいて欲しい」とSOSを出してくれたから、すぐに一目散に飛んでいった。
そうして、その恐怖や不安すべてを自分も同じように感じて一緒に分かち合うんだという気持ちだけを持って、影みたいにただずっとそばについて過ごした。


そんな数週間の非日常の中で、わたしは音楽をまったく聴かなかった。
正確にいえば一度音楽をかけてはみたのだけれど、ずっと緊張状態で自衛のために心が硬くなっていたのか、外側の分厚い皮の上をすべり落ちるみたいな感じで、心の内側までは一切染み込まなかったからやめたのだ。
なくてはならない生活の一部だと思っていた音楽なのに、そこにつながる回路自体が完全に断たれてるような感覚で。
いつどんな時でも、たとえ明日で世界が終わると言われたって、音楽を聴きさえすれば自分は救われるはずと図々しくも思い込んでたけど、よく考えたらわたしはそういう芸術に魂ささげてる的な人間では全然なかったんだった。
わたしが好きなものの良さをきちんと味わえるのは、自分と自分の手の届く人たちが何にも脅かされることなく平穏に暮らせている時だけなんだってこと、いつのまにかすっかり忘れていた。



ともあれ、ありがたいことに状況は好転して、わたしは自分自身の日常へと戻ってきた。
関わってくださった方々全員が懸命に奇跡のリレーを繋いでくれたおかげで、わたしの大切な家族たちはまた希望ある未来を描くことができるようになった。
それがジンさん初のソロアルバムのカムバ直前のことだった。
聴ける日をずっと待ち望んでいたアルバムを、心でちゃんと聴ける状態で受け取ることが出来たのだ。
いやもう、各方面に対する最上級の感謝の気持ちを抱きつつ受け取らせていただいたなぁ。
アルバムタイトルの『HAPPY』という古典的ポジティブワードが、なんとストレートに身に沁みたことか。
兵役そして転役を経たジンさんの心情に沿ったコンセプトだったのだろうけど、個人的にわたしにとっても本当にタイムリーで、まさに今欲していたニュアンスそのものだったんだよ。


さて、重たい回想はこれまでにして。
ジンさんの真骨頂といえば情感あふれるバラードや美しいハイトーンボイスという定説にはもちろんもろ手を挙げて大賛成なんだけど、その一方でわたしはジンさんはかなりロック好きなんじゃないかと思ってもいた。
Coldplayが元々お好きという既出情報で確証もあるけど、それ以前にライブの時にちらほら見えるジンさんの動きやリズムの取り方とかが、なんていうかロックを聴く人のノリを持っている気がしていたのだ。
どこがどうって具体的な説明はできないんだけど…同じものを聴いていても好む音楽ジャンルによって身体の示す反応というか動きが違うというのは、なんとなく想像できますでしょう?(めんどくさくなって丸投げ)
だからジンさんのこのソロアルバムは、わたしにはまるで幻の隠し球をいきなり本気で投げてもらったみたいな、驚きと喜びと興奮をもたらしてくれるものだった。
バンタンの誰もやってなかったカラーの曲ばかりで、めちゃくちゃワクワクした。

その上ジンさんは、『’HAPPY’ Special Stage』と銘打ったショーケースをプレゼントしてくれた。
どこまでもジンさんらしいブレないまっすぐさで、微笑ませてくれて爆笑させてくれて、泣かせてくれた。
画面の前で、わたしはずっとHappyだった。


そのステージを演奏で魅せて支えてくれたのが、去年のD-DAYツアーを共にしてくださったあの4人のミュージシャンの方々だったっていうのも、やっぱりうれしかったなぁ。
彼らは〝バック〟バンドなんかではなく,それぞれが独立したミュージシャンで、バンタン以外にも著名なアーティストの方々と国をまたいで飛び回ってステージを共にしているし、自分自身のバンドも持っていたりもする生粋の音楽畑の人たちだ。
そういうバンドマンたちがあんなに生き生きと演奏してくれてるっていうその姿が、なんか本当に幸せだった。
バンドのヴォーカル(※ジンさん)があんなに歌うまイケメンで、しかもそのヴォーカルさんやステージに関わったスタッフの人々は、観客を楽しませる術をよくよく知ってるときたもんだ。
そりゃ一緒に演ってて楽しくないわけがないよなぁー。
リアルタイムでこういうシナジーの幸せを味わわせてもらえることは、心からありがたい。
本当にオルペンでよかったよ、わたし。


配信が終わって笑顔で画面を閉じて、ふと考えたことがある。
バンタンは自分たちを愛し応援してくれるように、アミ自身の人生も愛し大切にしてほしいってことを何度も言ってくれていた。
バンタンの姿やその音楽からなにがしかのポジティブな力を受け取れる感性を持って生まれてきたのなら、彼らを愛するほどの熱心さで自分自身や身の周りの人達、縁を結んだ世界を熱心に愛して生きなくては、おそらく片手落ちなのだろうなぁ…、なんて。
そう考えると、その姿を追ったり音楽を聴いたりしていなかった期間であっても、わたしはバンタンからの教えというか助言を実行していたとも言える。
するとやっぱりわたしは、どんな日も彼らと共に生きているってことなのかもしれない。
あら素敵。
もう勝手にそう思うことにしよう。
わたしはわたしだけの方法で、わたしなりの距離感で、彼らと共に精いっぱい生きていこう。









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