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ユンギペンであるわたしの近況


数日前までスライム人間だったわたしだけど、今はちがう。
文にして書いたことで頭の中が整理された途端、自分の輪郭がはっきりしてきたし、それと同時に心の奥底からものすごいエネルギーが湧いてきた。
自分がどうあるべきか、何をすべきかがはっきりわかった気がした。


…結局のところ、一番最後までわたしが引っかかっていたことは、6人のメンバーに対する申し訳なさみたいな部分だったみたい。
ユンギさんの行動が迷惑をかけたことを、なぜだかいちペンに過ぎない自分が6人に申し訳なく思っていた。
そしてまた、メンバーそれぞれのペンさんに対するいたたまれなさもあった。
勝手にそんなふうに思って、勝手に苦しかった。
でもこれは本当に、わたしの思い上がりと信じる力の弱さのせいなのだと気付いた。


わたしは自分がユンギペンだというだけで、ちょっと身内感覚を抱いてしまっていたんだと思う。
無意識にうちのユンギさんがすいません的な、思い上がりも甚だしい距離感バグった感覚を持っていたのだろう。
でも、わたしはあくまでいちファンに過ぎず、あちらさん方が本物の家族なのだった。
その事実を冷静になって思い出せた。
家族というのは、間違った行動をとった者に対して怒ったり責めたりはしても、その間違いを理由に人格を否定して見放したり手を離したりなんてことは出来ないものだと思う。
出来ないというか、思いつきすらしないレベルで。
仕事で集められた人たちではあるけれど、苦楽を共にした今ではそういう家族のような関係性になっていることは、外側から見ているだけでも充分わかっていたはずなのに、混乱して一瞬見失った。


それから、他ペンさんに対して抱いた申し訳なさというのも、なんていうかすごく思い上がったものだったと思う。
7人であることに強くこだわる彼らを推してるアミという存在は、理屈に則って考えれば、どう考えてもオルペンにしかなり得ない。
どのメンバーが最推しだとしても、その最推しにとっての他の6人は、決して失えない特別な存在なのだから。
そんな真のアミさんたちが、最推しの悲しむようなことを考えられるはずがない。
だとしたらみんな、自分ごととして、いちユンギペンであるわたしとまったく同じ気持ちでいるのだと気付いた。




最大の懸念が消えたところから、雑念も消えて肝が据わった。
スライムでいる時間が必要だったとはいえ、我にかえったなら即刻闘わなければならない。
大切に思っている人たちを失わないことが、何よりの最優先事項だから。
そのために自分ができることを考えて粛々とやっていかなくてはいけないと、錆びついた頭をフル回転させだした。
SNSで発信をしないから、わたしには直接的な発信力がない。
だから、既に出されたものへの反応という形で発信する方法を取る。
署名、通報、公正と思える記事には賛同。
曲を聴くのもDL済みのものでなく、ストリーミングで需要のアピールにも貢献したい。
唯一の発信は、伝えたいことを思いつく度にweverseに書くファンレター。
これはご本人に読んでもらえなくても構わない、これだけの数が届いているという数字のひとつになれれば御の字だと思って(書くこと自体にかなりの癒し効果があるし)。
できること一つ一つのささやかさに気が遠くなるけど、そんな感傷なんぞはまるまる無視して、とにかくやるだけ。



一方で、わたしはどうしても幸せでいなければならなかった。
フリでなく、本物の幸せを感じて笑っていなければならないのだ。
だって、彼らはいつだってアミにそれを望むから。
幸せに笑うアミを想像することが彼らの幸せならば、わたしは悲壮な顔をして額に青スジ立てて闘ってはならないのだ。
これはちょっと難題だった。
大至急、体の中に綺麗な空気を取り込まなければ成せないことだと思った。
とりあえず、このタイミングで夫がミニチュアアートのアーティストさんの展示会の招待券をもらってきたというから、おう!行こうぜ!と言って、よく知りもしないのに遮二無二見に行った。


田中達也さんの『みたてのくみたて』展。
めっちゃ可愛くて面白くて、
知らず脳みそが微笑むのを感じた。


それから、美味しいプリンを作って食べたし、ひとっ走り車を飛ばして綺麗な景色の見える立ち寄り温泉に入りに行った。
義父のお墓参りに行って、花をたむけて大好きだった義父に話しかけた。
頭の片隅にずっとこの一件があるのは間違いないけど、意識してスイッチを切る時間を作る。
そして少しでも体があけば、署名・通報・賛同・スミン&ミュス・ファンレター…。



わたしは人を簡単に信じられない分、信じた人には絶対的な信頼をおく。
そうして、これまでの人生で親に面と向かって褒められた唯一の記憶は、「おまえの他人を見る目は確かだと思う」という言葉だった。
会ったことのない人を信頼するという経験はバンタンが初めてだったけど、細かいことは知らなくても人としてざっくりホールで信頼することは出来るのだと、バンタンに教えてもらった。
わたしの信頼は、欠点がなく落ち度も作らない完璧な人として礼賛することとセットじゃなくて、人としての根本的なあり方が自分の価値観とおおむね同じ方向を向いているということのみで成り立っている。
だから、証拠もない出処のわからない話が目に入ってきても、しっくりこなければ信用しないし動揺もしない。
本能的に違和感を感じるものは、何かしらの脚色が加わっているせいだと思うから。 
そうやって、ブレずに闘っている。




もうこの件でここに書き残すことは何もないと思っていたのにまた書いているのは、アミさんたちみんながどうされているのか気になったからだ。
自分以外の人が何を考えてどう過ごしているのか知る機会がなく、ひとりで息継ぎもうまくできず、眠れない夜を過ごしているようなアミさんがいたら、簡単ではなくても、多少強引めな力技を使ってでも、なんとか自分にちょっとした幸せを感じさせてあげてほしいと痛切に思う。
闘い続けるにはエネルギーの補給が絶対的に必要だから、手にした画面をちょっとの間閉じて、その外にある自分のエネルギー源になりそうなことを手当たり次第に試してほしい。
決して主流派ではない珍種アミかつ初老でもあるわたしのことは、参考とかにはならないだろうけど、一応〝こうやって過ごしてる者もいるんだな〟というのを知っても損にはならないんじゃないかと思って、ただ書いてみた。



あと、こんなことを自分が人さまに頼もうとする日がくるとは思わなかったけど、わたしにもアミさん方自身のことを教えて欲しい。
みなさんが今をどうやって過ごされているのか、わたしが考えてやっていること以外に、アミとして出来ることにどんなことがあるのか。
もし同じような気持ちでいる方がいたら、あなたのことを教えてもらえたら本当にありがたいです。
ものすごくネット内人見知りな人間だから、必要以上の絡みはしたりしませんので、怖がらずに一度投げかけてみてくださいませんか?
どうぞよろしくお願いします(。>人<。)



今日は奇しくも終戦の日。
世の中のありとあらゆる争いも諍いも、いまだに無くならない。
今回のことで、たとえ悪意まみれの攻撃でもふっかけられたらこちらも闘わずにいられないのだということを考えさせられたりもした。
人類はトータルでみて、賢くはならない。
似たところで永遠に足踏みする生き物なんだな…。
そんなことを思う終戦の日だ。






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