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マイケル・ケンナ写真展、からの…

写真展を見に行った。
マイケル・ケンナさんというその写真家の存在を知ったのは、多分18年くらい前。
雑誌に写真集発売の小さな記事が載っていて、それに添えられていた写真になんだか惹かれて、記事を切り取りノートにはさんでいた。
長いこと強風に吹かれ続けて、自分も風になった気持ちでいるんじゃないかと思うくらい斜めに傾いて伸びた枯れ木が、雪原にぽつんと立っている写真だった。



いつか作品を見てみたいなと思ったものの、そのまま長いこと忘れていた。
そうして今年になって、断捨離のまねごとでもしようかと持ち物の整理をしていて、その記事の切り抜きを見つけた。
ふと、どこかで個展的なものでもやってたりしないかしら〜と検索してみたら、ちょうど4月に代官山のヒルサイドフォーラムで写真展が開かれるという。
なんという偶然。
行くしかない。



(ちなみにわたしは写真を撮るのがどちゃくそに下手で、撮った食べ物の写真はもれなく食欲が失せるやつだし、目の前のどんなに美しい風景もやたらとのっぺりさせることができる。
ていうかそもそも画角とかのセンスが欠落してるから、基本的にいつも構図が変という写真音痴である。)


マイケル・ケンナさんの写真はすごくシンプルで、音のない世界に被写体とケンナさんしか存在していないみたいに見える。
シンプルだからこそ、その関係性を強く感じてしまうというか。
モノクロで雑味がなくて、一貫してクールに見えてもおかしくないはずなのに、中にはなんとも言えない愛らしさを感じるものがあったりする。
それって、ケンナさんがこの風景に可愛さを感じ取ったからなのかな?なんて想像したりして。
同じところで同じ機材を使って写しても、他の人には撮れない写真だろうだなぁ…と思う作品の数々だった。
いろんな感覚を刺激されながら、じっくりと拝見した。


作品を撮影して投稿しても良いとのことだったので、
好きだった作品のひとつをおすそわけ。





最後、作品を見終えたあとのスペースで、ケンナさんがこの展示会に向けて書かれたというエッセイが掲示されているのを読んだ。
これがまた、すごく素敵な文章だった。


以下、抜粋してみる。

写真を撮るという作業は孤独な探求になりがちだ。
素敵な私の家族、友人、仲間たちには申し訳ないのだが、実は僕は暗室にこもったり、何時間も外を歩き回ったり、風景の中でシャッターを切ったり、そして教会、寺、神社といった神聖な空間でじっと座ったり・・・、こういった一人の時間が楽しい。
同時に、写真というものは、不思議な、錬金術のような力を秘めていると思っている。
たとえ無言であっても、写真家は被写体と会話をすることができ、写真とはそれを社会と共有するプロセスだから。


…わぁー、すごい。
ケンナさんは写真家だから写真について語っておられるけど、これは作品というものを作り続けるすべてのアーティストに通じることなんじゃないかと感じた。
アーティストと呼ばれる人々の心の芯を、すごく的確に言葉にされている気がしたのだ。



ふっふっふ…。
そうしてもちろん、わたしはこれを読みながら連想してしまったわけですよ。
わたしの愛する7人のことを。
写真家が被写体と無言の会話を交わし、写真に封じ込めて社会と共有するように、彼らは音と無言の会話を交わして音楽に編み直し、わたしたちに共有してくれているじゃないか。
おんなじなのだな!


さらに続けて、ケンナさんはこう書かれている。

その意味では、写真集にある100枚の写真は、個人的なつながりを紡いだり、協力関係を築き上げたり、友情を育んだりしたことを目に見える形にした記念品ともいえる。
僕の友人の作家、ビコ・アイヤーの「写真は祈り」という言葉にも同意するけれど、ここに掲載された写真は、大切な最愛の人に対する個人的な恋文のようなものと思ってもらってもおかしくない。


作品は、作り手の人生に起こる様々な関係性や、その人生の軌跡を形にした記念品。
そしてそれを差し出すということは、恋文を読ませてくれることと同じ意味なのだ。
バンタンでいえば、彼らの人生の中で大きな意味を持つであろうファンの存在は、当然ながらその作品中のそこかしこに香っている。
甘かったり辛かったり、時には苦い香りとなって。
やっぱりどんなものであれ、彼らの差し出してくれる作品はすべて恋文(あくまで広い意味での、ね)なのだなと、改めて確信した。


ずっと思っていた。
すべてのファンの言葉や行動は、いずれ時間差で作品に還元されて、わたしたちに戻ってくるのだろうって。
彼らが嬉しく感じた幸せな気持ちも、残念な思いをして荒む気持ちも、すべて。
わたしは彼らの作るものを楽しみにして、いつでも待ち望んでいるから、彼らに対しては愛しか表現したくない。
そうして、7人でひとつの運命共同体だと言うんだから、こちら側も全員に愛を注ぐ気持ちでいるのが当然のことだと思ってもいる。
作品を心底愛したら、それがどんなに必要で大切なことかが明確にわかる。
彼らと音楽とわたしたちファンは、決して一方向ではなく、循環しているのだから。


うん?
何の話だった?
ケンナさんの言葉で、心の底で思っていたことにアーティスト側からの正解をもらったような気がして、嬉しくなってものすごい脱線をしてしまった。



マイケル・ケンナ写真展、代官山のヒルサイドフォーラムで5月5日までやってます。
びっくりしたことに、入場料は無料。
太っ腹!




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