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ケーブルとガジェットの迷宮
気がつけば、現場にはケーブル・機材ケース・資料の紙モノが息をひそめ、まるでどこかの美術館にあるインスタレーション作品みたいに倉庫に鎮座している。
エントロピーが増大する──熱力学の第二法則を思わせるほどに、とりとめもなく積み重なっていくそれらは、一体何を訴えかけているのだろう。「これは最先端の現代アートなのか、それともただのごちゃ混ぜ状態なのか? 誰がここに積んだの?」と自問自答が止まらない。いや同僚の場合も多い。
そんなエントロピーの親玉である僕自身を振り返ってみれば、周囲からは「捨てればいいのに」と的確なアドバイスを頂戴するのだが、「でもこのケーブル、別の現場で使えるかも…」「予備のマイクスタンドはいつか急に必要になる運命だ」と、どうにも諦めきれない。
そもそも簡単に捨てられるルールでもないのだ。「これ、実はアートなんだよ」と言い張ってしまえば、どれだけ気が楽になるだろう。実際今更テープメディアが必要になることも往々にしてあり、捨てるわけにもいかない。
朝イチで現場に行き倉庫をのぞくと、ケーブルたちは静かに出番を待ち、機材ケースたちは陣取り合戦に夢中だ。資料の紙モノたちは山積みになって「次に私たちを使うのはいつ? ねえねえ、いつ?」とささやき合っている。
結局、どれも片付けられないまま日にちだけが過ぎ、僕の現場はますます混沌のインスタレーションへと近づいていく。業務過多なのだ。倉庫整理に棚卸しまで手が回っていない……..
ここまでくるともはや、「もうエントロピーの暴走は止められないんだ」と、どこか諦観の境地に至りつつある自分がいる。僕が一大決心をして整頓を始めるその日まで、ケーブル・機材ケース・紙モノたちを芸術作品として認定してあげようではないか。そう、これ無自覚に制作し続けている“カオス・インスタレーション”なのだ。
いつか本当に誰かが「これすごいね!」と褒めてくれる…かもしれない。いや、どう考えても難しそうだが、夢見るのは自由だろう。過去に取っておいた資料が、いつか必要になって“あってよかった”と思う瞬間がある。まぁなかなか日の目を見ないのである。