心のドアを開けよう(日記2006年8月4日)
2022年9月15日に想うこと
人から見られて恥ずかしいのは、見られた人から評価されるのが
いやだからなんですよね。
人の評価を気にして人と触れ合うことを避けてしまうのではなく
人と触れ合うことで、面白いことが始まるんだ。
その入り口で自分を着飾ってもそのあと辛いだけだよね。
だから、最初っから開いちゃおうよ。
ということですね。
これ、今もすごく思うことだけど16年前から
こうやって私は思っていたんだね。
いまとあんまり変わらない16年前の
高野倉さんに
タ~イムスリップ
心のドアを開けよう(日記2006年8月4日)
『入り口のドアを開けっ放しにすると非常に
雰囲気(気分)が良いです。』
東京の売り上げ報告にM君が書いていました。
これは僕もそう思います。
入り口のドアを閉じて
興味があったら入ってきてね
と、いうやりかたもあると思います。
でも、閉じてあるところに入るのと
開いているところに入るのでは
入ろうとする人の気持ちは明らかに違いますよね。
入り口のところで心を閉ざし
人の侵入を拒めば
そのトビラをあけて中に入ろうとする人の
数は確実に少なくなります。
どうして入り口の扉をあけないのか?
怖いのも判るし、
恥ずかしいのも判ります。
全部見られてしまいそうで
今までの自分の恥部もひけらかさなくては
ならないようでたしかに辛いです。
でも、トビラをあけなければ
トビラをあけてハダカの自分自身で
いらっしゃいませをしなければ、なかなか人は
入ってこないのではないかと思います。
かたく閉ざしてしまった自分自身の心のトビラを
勇気を持って開いてみてはどうだろう。
きっと新しい出会いと沢山のあかるい
『いらっしゃいませ』からはじまるストーリーが
あるに違いないし、
僕はそうやって面白いことと出会ってきたのだと思います。