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エドウインとファクトリーギア


エドウインとファクトリーギア

先日、ジーンズのエドウインさんとミーティングする機会がありました。
ファクトリーギアは工具の仕事をする会社です。
エドウインはご承知の通りジーンズの会社。ワークというカテゴリーで考えれば親和性は高いです。

いつかはエドウインと仕事をしたい。
親和性というだけではなく、私にはもう一つ、エドウインさんと仕事を作りたい理由が
ありました。

日暮里時代のこと

私は5歳まで荒川区で暮らしていました。
そして親族の多くが荒川区にいました。

実は日暮里を創業の地とするエドウイン。
その創業期、私の母、叔父、叔母、祖母、祖父は
家族総出で米軍払い下げの古着を仕分けし販売するお手伝いをしていました。
と、いうのも、エドウインを創業した 常見米八さんは私の祖母の弟に
あたる極めて近い親族だったからなのです。

https://edwin.co.jp/company/history/

幼い頃、私たちは創業者の常見米八さんを日暮里のおじさんと呼んでいました。
米八さんの息子さんたち(のちのエドウイン社長)とうちの母は兄弟姉妹
同様に育ち、一番年上だった母は「かずこねえちゃん」と呼ばれていました。


ど真ん中には祖母、母、祖父も叔父叔母もいる。

子供の頃の記憶にあること

幼少期の私も常見家の皆さんとの想い出は少なくありません。

本当にまだまだ子どもだったある日、私は祖母に手を引かれて晴海埠頭に
行きました。

アメリカに奨学生として留学する常見の
お兄さんのお見送りに行ったのでした。
よく響く祖母の声。

紙テープが舞う客船に向かって祖母が大声で、
「がんばれよ〜〜〜〜!」
すると、同じような声のトーンで
「がんばるぞ〜〜〜」
と、声が返ってきました。

それを聞いた祖母が
ガハハハ
と笑って
「返事きたね」
「まさとも大きくなったらアメリカに行かないとね」

たくさんの人混みの中で響き渡ったあの2人の声が
今も耳に残っています。

本当の江戸っ子ではないのですが、この一族は江戸っ子気質で
よくしゃべり、大声で笑い、宴会が好きでした。
常見の親族は体が大きくて、酒もよく飲んで、大声で話していた印象です。
子供のころは、この大男たちが黒服で大騒ぎする法事に行く
のが怖かった覚えがあります(笑)

いつかは親族とビジネスがしたい

エドウインがドンドン成長し、テレビ番組で、白いギターとエドウインの
ジーンズがプレゼントされるシーンを見て、とても嬉しくなって
小学校の友達に自慢したこともありました。
さらに、ジーニストコンテストでは有名人を表彰する
プレゼンテーターを親族が務める姿がテレビに映るのを見て憧れの気持ちは
深まっていきました。

1996年にファクトリーギアを始めてから
工具とワークウエアの各々の
企画コンセプトが繋がれば面白いと考えていました。
いつか必ずエドウインの役に立てるような会社に
なりたいとも思ってやってきました。

今から10年以上前にエドウインさんと取引が
ありました。
でも、その時はまだまだ自分の会社としての力では
とてもなにかをご一緒させて貰うというような段階ではなく、
自分が親族だと言うことは誰にも話すことはありませんでした。


Wrangler、Leeもエドウイングループ

そして今回、たまたまご縁を頂きエドウインさんとミーティングの機会を
頂きました。

すると、ミーティングの席にいらっしゃった方の多くが、私の親族が
かなり親しくしていた当時の部下の皆さんだとわかりました。

懐かしそうに話をされるエピソードは
知らず知らず自分が大切にしていた事と重なることが
ありました。

もしかしたら同じような歴史なのかも


創業期、アメリカの古着を仕入れて販売したエドウインは
後に自分たちでジーンズを作りメーカーになりました。

創業期、アメリカからスナップオンを輸入したファクトリーギアは、
後に世界の工具ブランドと共に自社開発の工具を世に出しました。

メーカーがメーカーになったのではなく、
販社がメーカーになる。
このルーツがものづくりの理念、思想で
親しさを感じる点なのかもしれません。

そしてお互いのモノが生まれる背景には
アメリカのカルチャーがあります。

お話を伺ううちに鳥肌がたつようなエピソードだらけでした。

ここから先、どんなドラマが生まれるのでしょうか?
私も楽しみにしたいと思います。

そしてあの世で見守る親族の皆さんに恥じない志ある仕事を
していこうと思います。


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