ざっくり日本映画史①
1896年11月
神戸神港倶楽部・・・日本で最初の映画上映(キネトスコープ)(鉄砲商人 高橋信治)
1897年1月
京都電燈株式会社・・・日本で最初のスクリーン上映(シネマトグラフ)(稲畑勝太郎)
1897年2月
大阪 南地演舞場・・・日本で最初の映画興行(シネマトグラフ)(横田永之助)
1897年3月9日
横浜市 港座・・・関東地区初の公開(シネマトグラフ)(吉沢商会)
1897年?月
浅野四郎(小西商店)と柴田常吉(三越写真部)が日本初撮影し巡回興行(寄席や見世物小屋)
日本シネマトグラフ館(浅草)がつくられる。
1899年?月
柴田常吉が広目屋(広告代理店)の依頼で俳優を使って日本初の劇映画「稲妻強盗」を撮影。歌舞伎座の依頼で「紅葉狩」を撮影する。
1903年
浅草電気館・・・日本初の常設映画専門館(東京 吉沢商会)
1906年
梅屋庄吉が東京で映画プリントを興行。
1907年
千日前電気館・・・日本で2番目の常設映画館(京都 横田商会)
1908年
吉沢商店目黒行人坂撮影所・・・日本初の映画撮影所
1909年
東京だけでも常設館が70箇所以上。
全国で活動写真を供給しているのは、
・横田商会の横田永之助(京都 1903年〜)
・Mパテー商会の梅屋庄吉(東京、1906年〜)
・吉沢商店の河浦謙一(東京、?〜)
三友倶楽部・・・大阪で初の映画製作。
1910年
福宝堂(1910年〜)が直営館を8館つくる。三友倶楽部が買い付けた「ジゴマ」を公開し、ヒットさせる。
1912年
4社(横田商会、Mパテー商会、吉沢商店、福宝堂)が「日活」に合併。すべて直営館になる。
1914年
天活設立・・・日活から退社した数人が設立。
1919年
国活設立・・・天活から分離。
1920年
松竹キネマ合名会社設立。
大活設立・映画の輸入製作。
帝国キネマ設立。
1923年
東亜キネマ設立。
1931年
新興キネマ設立(帝国キネマ吸収)
1933年
大都映画設立。
1937年
東宝設立。
1938年
東横映画設立。
1942年
大日本映画設立(新興キネマ、大都映画、日活の製作部門の合併)
それぞれの撮影所が大映のものになる。
戦時中、、映画製作は東宝、松竹、大映のみ。
1947年
東横映画が製作を開始。
1948年
新東宝設立。
1951年
東映設立。
1953年
日活が映画製作再開。
5社協定。
1958年
映画観客数のピーク。
1961年
新東宝倒産。
新東宝興行株式会社設立。
1962年1月
大蔵映画設立。
?月
日本初のピンク映画「肉体の市場」公開
?月
日本シネマ設立
1988年
新日本映像設立(日活を離れたプロデューサーらが設立)
2002年
角川映画設立(大映を買収)