一瞬「般若の顔」になった事への考察
いや~恥ずかしい。
どうして般若の顔になったかというと、お兄ちゃんは勉強をしなかったから。
私自身に染みついた勉強至上主義の名残がたまにふっと出現して、ものすごい勢いで表出します。
それが「般若の顔」
誰しも心あたりがありませんか?
でもよく考えて見ると私の怒りには誤解があって、お兄ちゃんの選択はごく自然なことでした。
なので、ちょっと順を追って説明します。
お付き合いいただけると本当に嬉しい。
今の私たち
双子の息子たちは現在不登校。
歴は3年目です。
これまで自己肯定感を回復させるべく、家では安心安全を心掛けてきました。そうしてなんとなく「ボクはこれが好き」「これをやってみたい」という願望が出てきて、彼らなりのペースでそれを実行しているところ。
お兄ちゃんの趣味
お兄ちゃんはここのところ「釣り」にハマっています。
先日おじさんに話しかけられましたが、お兄ちゃんは無言。1ミリも動きません。固まってしまいました。
でもおじさんは勝手に解釈して「魚は好きか?」と聞くと「小さいけどこれをやろう。好きなら食べてくれ」というとタケノコメバル2匹とキュウセン1匹をお兄ちゃんのバケツに入れてくれました。
お兄ちゃんは「釣り」だけではなくて、捌いて食べることが大好き。
本当は飛び上がりたいくらい嬉しかった。
けど無言のお地蔵様になってしまったのです。
おじさんが去ると、満面の笑みになりました。
帰ってから彼が捌いて、私は煮付けにしました。
お兄ちゃんはタケノコメバルとキュウセンを食べ比べて、とっても満足。
楽しい夕食となりました。私は「たまにこういういいこともあるから、おじさんが話しかけて来たら『こんにちは』とか挨拶するといいよ」と伝えておきました。
それから急に元気に挨拶できるようになったかというと、そうではないんですが、かすかに首をコクリと出来るようになりました。
お兄ちゃんにとって精一杯の挨拶。
おじさんも声は掛けてくれるけど、話がかみ合っているような、かみ合っていないような絶妙な距離感で交流してくれています。
お兄ちゃん、日々頑張っているんです。
「釣り」が及ぼした影響
そうするうちに、双子の弟君もやる気がでたのか、置いていかれちゃあ困るとでも思ったのか、前向き発言連発。
「ボクは大学生になったら一人暮らしする」
「学校に戻るために勉強するってことなのか」
「家で勉強しておくと自信がつくってこと」
私は天にも昇る気持ち。
そうして勉強が始まったのです。
学業至上主義の片鱗
冒頭のお兄ちゃんの「ボクは勉強はしない」の発言。
そう彼は今は「釣り」を頑張っているので「勉強」には興味が向いていないのです。
でもねぇ、一瞬、弟君の発言で期待に胸を膨らませてしまい、同じように勉強しておきなさいよって思ってしまいました。
「なにぃ!」
と思った一瞬、恐ろしい「般若の顔」
幸い一瞬で消えた「般若」
怒りにまかせて般若のごとく振る舞っていたら、また振り出しに戻っていたでしょう。
せっかく弟君が前向きになったのだから。
勉強って楽しい
そう思うように工夫すればいいんです。
「学校での勉強ってね、30人のクラス全員が分かるように45分かけて勉強しているんだよ」
「家で1対1でするんだったら、5分でも大丈夫」
「ただ、小学校って五時間目、いや6時間目まであるから~」
弟君は「5分を6回もするってこと!」「え~~~!」
1日に5分を6回。
実現するには私の努力も必要だけど。
でも5分を3回でもいいし。
公園で遊んだり、お兄ちゃんみたいに「釣り」をしたり、子どもが大人になるのに必要な経験は学習だけではない。
経験値が十分たまったら、今度はお兄ちゃんが勉強してみようかなって思うかもしれない。
そうするためには、弟君と勉強を楽しんでいるとこがとても大事。
もし泣きながら、タスクをこなすだけの勉強法で勉強していたら、100%お兄ちゃんは勉強してみようとはならないでしょう。
私はいつも笑って付き添っていればいいだけ。
「般若」の顔は必要ないのです。
勉強至上主義が染みついているので、前向きになる「キッカケ」を作ったお兄ちゃんの「釣り」にハマるという功績は、簡単にどこかに吹き飛んで、ちょっと5分勉強した弟君の評価の方は爆上がり。
恐ろしい
自分らしく、自分なりに。
私だって評価されることには苦しんできたのに「自分らしく、自分なり」は簡単に手放してしまう。
もっと自分らしくを大事にしよう
そんな風に感じましたとさ。
最後までお付き合いいただき、有り難うございました。