答えのない問いを問うときに、「未来に何が待っているかわからない」は希望なのだ
感染症看護専門看護師さんたち向けにアドバンス・ケア・プランニング(ACP:人生会議)の講演をしてきました。
参加者の皆さんは感染症の専門看護分野において卓越した実践能力を持つと認められた人たちです。つまり感染症看護における第一人者です。これってめちゃくちゃすごいことなんですよね。コロナ禍で本当に頑張ってくださり、今もなお尽力してくれている人たちです。
感染症とACPはあまり関係がないように見えますが、実は感染症が人生の終末期にもたらす影響は大きいのです。コロナ禍はもちろんのこと、高齢者であれば誤嚥性肺炎、それに伴う胃瘻造設の是非は人生の終末期に多く生じる問題の一つです。それは答えのない問題であり、医療・ケア従事者は「答えのない問い」を問い続けることが求められます。
医療機関の強固なシステムの中でこの「答えのない問い」にどう応えるか。そこにはやはりエフェクチュエーションの考えが役に立つと思うのです。エフェクチュエーションは将来予測や目標設定に頼ることなく、現在の手段や状況を活用しながら道を切り開いていく思考プロセスです。それの対となる概念がコーゼーションです。コーゼーションは将来予測をもとに目標を設定しある枠組みの中で計画的にことを進めていく思考プロセスです。コーゼーションは目標・計画から考えますが、エフェクチュエーションはとりあえず走りながら考えると言えるのかもしれません。コロナ禍はまさにエフェクチュアルでないと前に進めない状況でした。講演ではそんな話もしました。
医療は基本コーゼーション的思考で、専門知識による将来予測を基盤にしています。それに基づき強固なシステムを気づいてきました。それが診療プロトコルや看護手順となり、クリニカルパスを生み、さらには診療報酬につながっていきました。だからエビデンスに基づいて予測できないと困るんです。
でも「未来になにが待っているかはわからない」というのは不安でもありますが、希望でもあります。未来の偶然に委ねつつ歩みを止めないこと、その偶然に乗っていくことが思わぬ発展につながる。決まりや枠組みが先行するコーゼーション的システムのなかでどう泳いでいくのか。エフェクチュエーションはそのヒントを見せてくれているように思います。