群多亡羊vs.MOROHA-痛くて優しい言葉たち-【12/15 MOROHA単独2024@GORILLA HALL OSAKA】【バトルレポ】
言葉に刺し殺される、という感覚を味わったことのある者は居るだろうか。
音楽に殴り殺される、という恐怖を味わったことのある者は居るだろうか。
2024年、12月15日(日)。
自宅のある里山では大雪が積もった冬の夜。大阪は住之江、ボートレース場に程近い「人間の始まりの地」にて、人類史上最も野蛮な白兵戦の狼煙が上がった。
スタンドには、キャパシティ1000人を超えるギラついた眼の老若男女。ステージ上の仇敵を、片や腕を組んでは睨みつけ、片や見下すようにほくそ笑む。
対するは、地獄生まれ爆弾育ち、弱者気取りの白Tモンスターこと「アフロ」と、指先で閻魔をぶっ倒す坐禅スタイルギタリストこと「UK」。
彼らこそ、地獄から人間界へと送り込まれた音楽の使徒。またの名を「MOROHA」。
18時。対峙する。
視線の火花がぶつかり合う。雷鳴が轟く。
① 「二文銭」
暗転し、一曲目を飾るのは「二文銭」。
今日ドカ雪が降った自宅の里山へ思いを馳せる。
「何かを成す為にやってきたんだ 誰でもない 自分の話を口走れ」
誰かのせい、アイツこの前こんなことしてた、なんてロクに自分の話もできない人ほど、人知れずバカでかい夢を抱えていたりするもので。だけれど、それを恥ずかしがって口にできない全ての弱虫たちの心をまずは抉り取っていく。
何のために此処に立ってるんだ。夢叶えに来たんだろ?だったらまずは手前の夢くらい手前で語りやがれ!と、身体が裂けるくらいの強さで背中を押すストロングスタイル。音楽の暴力。それがMOROHAお得意のフィニッシュブローなのだ。
「東京は日本の中心 でも世界の中心は自分自身」
このマインドが無ければ、人間は挑戦なんてできやしないだろう。
逆に言えば、このマインドさえあれば人間はどこへでもいける。
自分の世界を創るのも壊すのも全ては自分次第。冒頭からフルスロットルの爆熱で、初っ端から我々の戦力をごっそり持っていった。
②「 一文銭」
先に二やってから一に行くことあるんだ。
意外性という武器。裏切りという罠。
意表をついた卑怯なパンチで、さらに被害は甚大になる。
「正論以外で納得できる瞬間をずっと追いかけてるんだ」
一番痛かったのがここ。
私たちはついつい理屈を求めてしまう。正論だの証拠だのに縋ってしまう。
けれども、時としてそういった「正しさ」を軽々と飛び越えていく納得がある。そして、その納得はいつも情熱を孕み、可能性を生む。
頭 ではなく 魂 が納得したこと。そこに、何よりも大きな価値があるのだ。
すぐに「どうして?」「つまり〜」と、理由を探しては自分の思考を簡潔にして吐き出そうとする私の急所を、見事なストレートで貫いた。
③「俺のがヤバイ」
「たこ焼き食べにきたんじゃなくて、お前らをぶち抜きにきたぜ」みたいな煽り文句の宣戦布告から始まった俺ヤバ。たこ焼きみたいな顔の奴にそんな煽りをされた日には、温厚な私たちとても黙ってはいられない。
ここまでの二曲は前座でしたと言わんばかりの法螺貝曲が圧倒的な存在感を放つ。
だが、正直、この曲はあまり好きではない。
「俺のがヤバイ」と連呼して、弱さを隠し、奮い立たせる。そこに格好良さみたいなものはなく、泥臭くて情け無い姿が映るだけ。
だが、それでいい。むしろ、それがいいのかも知れない。この曲は嫌われてこそ輝きを放つのだ。
人間とは底辺を見て安心できる腹の黒い生き物だ。見栄張って、強がって、泥に塗れるダサい男の姿は、弱っている私たちの心に笑顔で手を差し伸べるヒーローのような存在として映るだろう。
誰よりも嫌われて、誰よりも強がって、そんな存在のおかげで、私たちは今日も明日も生きていけるのである。
④ 「米」
米。冷静になればなるほど、とんでもないタイトルだ。なんだよ米って。
それはさておき。誰しもが思ったことがあるだろう。
「金さえあれば 金さえあれば 金さえあれば」
と。
生きていくにはお金が必要だ。
それは、分かっているけれど、目を逸らしてしまう揺るぎなくも残酷な事実だ。
それなのに、何故だか世の中には、「綺麗事言って、どうせ金のためだろ」なんて嘲笑が後を絶たない。そして、それと同時に「そうだよ!!金のために決まってんだろバーーーーカ!!!」と言える人の何と少ないこと。
だが、彼は違う。この白Tモンスターには、そんな嘲笑、屁でもないのである。
生きるためにお金を稼ぐ。お金のために働く。
誰しもが当たり前に繰り返す毎日の中で、何故か「隠さなければいけない」と思っている魂胆を、無理矢理引っ張り出して晒す。
代弁者として、代表者として、この地獄の化け物は、私たちをある意味で「金の呪縛」から解き放つのだ。
⑤「tomorrow」
閻魔越えの胡座ギタリスト・UKの指が弦を弾き始めた時、私は小さくガッツポーズをした。
もはやこれを聴きにきた、と言ってもいい。全ての言葉が重く、痛い。
しかし、それは鋭利な刃物のそれでも鈍器のそれでもない。強いて言えば万力だろうか。
心臓を強い力で押し潰そうとする、そういう痛みだ。
「焦れば焦るほど道は狂う 僻みや妬みで歪んでいく目つき どす黒い思い そこ知れぬ闇 呪い 怨み 怒り その果てには・・・・・・
お前さぁ!本当のこと言ってみ?お前も腹じゃ笑ってるんだろ?馬鹿にしてんだろ?言えよ?
言えよ!!」
路頭に迷い、絶望の淵に立たされ、全てが自分の敵のように見える。人生にはそんな瞬間や時期が誰しもにあるだろう。
誰かのせいにして八つ当たり。自分は悪くないと逃げ出す。黒くて形のない巨大な渦が心を呑み込み、毎日何かと戦っている。いつ終わるかもわからない痛みや不安が身を焦がす。
思い出したくもないそんな日々を、この白Tは全力で叫びながら、ちょっとだけ嬉しそうに語る。怒りながら笑う人かよ。竹中直人にもちょっと似てるかもしれんな、こいつ。
「本当は一本道の迷路を散々迷って人は歩くよ 理由はなくとも足は出すよ そうすりゃそれが 理由になるもん」
重い。重すぎる。
よく、人生は迷路だなんて言葉を聞くが、それとは少し毛色が違っている。迷路にしてるのは自分自身なんだ、という新たな視点である。
だけれど、それを否定はしない。理由なんて後でいいからまずは歩け。前に進め。迷うことを恥じるのではなく、迷っているのに歩かないことを詰る。
右の壁に沿って全ての道を歩いていけば、迷路は必ずゴールに辿り着くようにできている。遠回りでもいい、迷ったっていい。
その足を、前に出しさえすれば。
エニエスロビーでの、ルッチへ放ったゴムゴムのJET散乱銃を彷彿とさせる連続パンチに、思わず鉄塊使いの私も後方へと吹き飛ばされてしまった。
⑥「Apollo11」
アポロと聞けば、やはり真っ先に浮かぶのが「僕らの生まれてくるずっとずっと前にはもう月に行っていたアレ」だろう。
だが、MOROHAとの戦いにおけるアポロは、そんなに可愛いものじゃない。
何せ、タイトルからは想像だにできない「涙腺崩壊ウェディングソング」なのだから。
「全ての恋は失恋の助走 終わりに向かい走ってる だけどこの世で一人だけ その一人とならどこまでも飛べる
皆が失ってから気付いたことを 失う前に気付けた
二人の未来 照らす薬指 ゆらり光永遠にきらり
星の数ほどの人とすれ違い 月の数ほどの人と出会い」
全ての恋は失恋の助走。
言っていいことと悪いことがあるだろってレベルの暴言。
だけどそれをただの汚ねぇ文句で終わらせないのが彼ら。生きていく中で、すれ違う人は数多。けれども、その中でたった一人だけ、運命のような出会いがあるのだ。
そんな月のような誰かを目指していく私たちが「アポロ11号」なのである。
(ここでリキエルを思いだしたジョジョヲタは今度酒飲みましょう)
「こんなにさみしい日が来るのなら、心底息子だったらなんて思いつつも心から 君が娘でほんとによかった」
全国の新婚さん、お父さん。おめでとう。このリリックで膝から崩れ落ちることができる。
私の夢はこのリリックで泣くことだ。あ~~~結婚してぇなぁ。涙で酸素を奪う姑息な罠にかかり、約半数がノックアウトされた。
⑦「GOLD」
この曲順は法で規制した方がいいと思う。涙腺ぼこぼこコンビ。
ここにきて純粋な優しすぎる言葉の強烈なストレート。先程までの嵐のような我武者羅な連打とは威力もスピードも全く違う。
「あなたが悲しみ暮れる時には困った顔を見せてあげる 何一つできず ただ狼狽える情けない姿見せてあげる」
これがMOROHAの持つ「やさしさ」の本質ではないかと私は思う。
誰かの悲しみに対して、自分も悲しい人間であることで、決して置いていかない。寄り添うでも、突き放すでもなく、同化する、という優しさなのだ。
「大丈夫 大丈夫 きっと大丈夫」
この曲の真骨頂である。トータルで50回くらいは「大丈夫」と言ってくる。
「大丈夫」とは時に「無責任」だ。しかし、だからこそ優しいのだ。
本当の絶望の淵に立たされた時、「その悲しみを背負ってあげるよ」という言葉はどう響くだろうか。強い責任感や正義感は、弱者にとっては猛毒となることもある。
そんな時、無責任な優しさはそっと頬と背中を撫でて帰っていく。「何しに来たん?」みたいな優しさの積み重ねが案外効果的だったりするのかもしれない。
この曲で、会場で一人倒れた。意識が飛んでしまうのも理解できる。
「あなたが強いのは知ってる」
という歌詞に合わせて、倒れた彼をフォローしたアフロの咄嗟の気遣いも素晴らしかった。
痛みと苦しみと優しさの波状攻撃。人間の心を圧倒するには、十分すぎた。
幕間: MC
会話の内容が低俗すぎたため渾身の全カット。
さっきまであんなにかっこよかったのに。どうして。
まぁ休憩を取るにはいい時間であった。
⑧「革命」
私のMOROHAとの出会い。きっと、多くの人がそうだろう。
もはやMOROHAの代名詞と言っていい。強くて弱くて堅くて脆い。まさに魂から吐き出された言葉の数々が、心臓の深くまで突き刺さる。
「今まで恥ずかしかったこと 夢や希望 真顔で語ったこと
今まで恥ずかしかったこと あいつ痛い寒いと言われたこと
今まで恥ずかしかったこと 身の程を知れって言われたこと
何より恥ずかしかったこと それを恥ずかしいと思ったこと」
うんうん、そうだよな。恥ずかしいよな。って寄り添うように見せかけて、最後の最後で甘ったれんなとハシゴを外してぶん殴ってくる。
持久走大会の「一緒にゴールしようね」と同じやり口だ。
「真っ暗闇の未来に書き殴る蛍光ペンを求めて 半径0mの世界を変える 革命起こす幕開けの夜」
「世の中が悪い」とか「環境が悪い」とか、つい口走ってしまう言い訳。一寸先の暗闇に、誰か「大事なことだけ」まとめて蛍光ペンで照らしてくれたらどんなに楽だろうか。
だけど、実際にそんなに都合のいい光なんてない。自分の足元を、生き方を、照らしてくれる他人なんてどこにもいない。
それなら、自分を変えるしかないんだ。
「世界の中心は自分自身」なんだもの。半径0mの世界に、革命を起こしてみようじゃないか。
立ち上がるのは、今だ。
⑨「四文銭」
まずは言わせてくれ。ありがとう。
100点満点中200000000点のパフォーマンスだった。
何がよかった とか どこがよかった とか、そんなことは分からない。分かりたいとすら思わない。
ただ、魂が震えた。魂が叫んだ。それだけのこと。そして、その それだけ が、四文銭の魅力を語るに十分すぎる事実なのだ。
「聴いてください。お願いします。聴いてください。お願いします。じゃなくって、本当は、聞かせてやるぜ!ありがたく思えよ?なんて言えるくらい、俺たちやってきたつもりです。だから、だからこそ、どうか聴いてください。お願いします!!」
という、強烈な語りと共にゆったりとしたイントロが始まる。
冒頭の「二文銭」の中の「ヤバくはなっても偉くはならねぇ 一生若手と強く誓った」というフレーズが継承されていることからも、彼らにとっての音楽の向き合い方とは昔からこうなのであろう。
「億千万の溜息吸い込んで 希望の言葉に変えて吐くんだ
億千万の涙飲み干して 決意の言葉に変えて吐くんだ」
やっぱりこの歌詞何回聴いても憎い。さっきまで弱者代表みたいな顔してたのに、急に私たちの不安を全部吹き飛ばしていってしまう。本当に憎い。
物語の中盤で覚醒するサブキャラみたいなそういう立ち位置。
⑩「salad bowl」
そしてここにきてのバラード。
可愛らしくも喜びと愛しさに満ち満ちた言葉。
「一年生の教科書の初め 五十音順 頭二文字 『あい』ではじまる そんな偶然に 誰かの願いが聞こえた気がした」
なんとも美しいレトリック。初めてひらがなで書けるようになる言葉は「愛」、「I」なのだ。
人はみな、「愛」に生まれる。なんて言えば仰々しく、胡散臭いのだが、こんな風に語られると、無性に心に響いてしまうのだ。
「自分の名前書ければ詩人だ あなたの名前呼べば革命家 日々を愛せたなら芸術家」
深ぇ。マリアナ海溝かよ。
特別な言葉、飾った言葉なんて不要なんだ。ただ自分の名前を綴ることさえできたなら、誰でも人は詩人になれる。愛する者の名前を呼ぶことさえできたなら、誰でも人は革命家になれる。そして、今日という一日に「愛」というタイトルをつけることさえできたなら、誰でも人は芸術家になれるのだ。
「世界」も「あなた」も同じように愛する。
それこそが、「愛」のあるべき形であるのかもしれない。
⑪「恩学」
「『音楽』より大切な人 『音楽』で幸せにしたい」
アフロが冒頭で語った「哲学」だ。
彼の場合はそれが「音楽」であるというだけで、聴く人によってはその対象はもちろん様々だろう。私なら俳句や文学だろうし、数学の人もいればスポーツだという人もいるはずだ。
時には愛情や友情、財産、信用、色々なものを投げ売って打ち込み、のめり込んだ自分の「核」。その陰には必ず、それを支えてくれてた人たちがいたはずだ。
私たちは、彼らに「ありがとう」と言えているだろうか。「核」から生み出したもので恩返しができているだろうか。
「ベタな話、音楽と私 どっち? の問いに対し 仮に音楽を選んだとして 俺に歌える歌はあるのかな」
自身の核にばかり情熱を注ぎすぎた時、その最後に残るものは何なのだろうか。
核も、人も、全てを愛せなくては、本物にはなれないのである。何かを創っている人、何かに夢中になっている人、そんな全ての人々の胸に刻み込んだおきたい格言だ。
⑫「五文銭」
強すぎない?このセトリ。なに?最後のライブなの??(2024.12.21追記:ほんとに最後になるとか思わんて)
緞帳が上がっていくように少しずつ激しさを増していくイントロに胸が高鳴る。
「声を揃えてなんてうたわれてたまるか 誰とも揃わねぇ 俺だけのうただ」
国民性なのだろうか、我々は周囲とついつい足並みを揃えてしまう。出る杭は打たれる、だから出ないように縮こまってしまう。
だが、彼らはこう叫ぶのだ。打たれてもいい、笑われてもいい。自分の可能性を、強さを、押し留めるな。そんな叫びにまた心が震える。
「どこへ なぜ どうして なにをもってそこまで いつまで だれのため? なんのために? 追いかけ続ける問いかけの答えは」
人生とは問いかけの連続だ。
いつまでも問いかけは続く。だが、果たしてそこに答えは必要なのだろうか。答えとはゴールであり、終わりなのではないだろうか。
挑戦と闘いの日々に必要なのは、問いかけを追いかけ続けるガソリンと、それを燃やす情熱だけなのかもしれない。
見つからない答えを必死に探し続ける、その足取りにこそ信念と魂が宿るのだ。
⑬「やめるなら今だ」
(2024.12.26現在 泣きすぎて書けません)
書けるようになったら更新します。