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強制収容所紀行文 -アウシュヴィッツ Part2-

 “ARBEIT MACHT FREI”(働けば自由になれる)というこの文言は、アウシュヴィッツ強制収容所だけでなく、他の強制収容所の門にも刻まれている。収容者は朝早くにここから労働へと出発し、夕刻にこの門をくぐり、一日を終えた。アウシュヴィッツ強制収容所博物館のツアーも、ここから始まるのである。

 アウシュヴィッツには、ヨーロッパ全土から連れてこられたユダヤ人をはじめ、ナチスによって敵性分子と見做された人々が数多く収容された。遠方から貨物車に乗せられてアウシュヴィッツに到着した彼らは「選別」を受けたのち、生けるものと死すべきものとで分断された。生けるものは強制労働へ、死すべきものはガス室へと送り込まれた。無論、生けるものは「現段階」で生けるものとして生かされたに過ぎないということは、いうまでもないだろう。

 アウシュヴィッツ強制収容所博物館は、当時収容者が生活していたバラック内部に資料や遺品が展示されている。アウシュヴィッツ到着時に人々が身につけていた衣類・靴・義足・眼鏡・日用品といった様々なものが当時のまま保存されている。汽車は何も知らない彼らを地獄へと運んだのであった。「別の場所でまた新しい生活ができるかもしれない」という人々の微かな希望は、無残にも散っていった。

 第10棟は見学不可だが、産婦人科医のカール・クラウベルクが「断種」のために不妊手術を行なった実験場がある。ナチスの人体実験が多くの場合麻酔投与なしで行われたのは広く知られている。彼らの多くは死亡、または不随となり、労働不能者としてガス室で殺害されたのであった。収容所内の拘禁所として機能した第11棟との間には中庭があり、銃殺刑が行われた「死の壁」が存在する。

 “ARBEIT MACHT FREI”は、見方を変えれば的を得ているともいえる。「選別」によって「生かされた」人々は強制労働へと駆り立てられる。十分な食事・水分は与えられず、ベッドにすし詰めにされた収容者の睡眠環境は劣悪そのものであった。働けば働くほど身体は壊れていく。その結果、労働不能と見做された者たちは殺害されるのである。煙突から出る煙となって、彼らはついに自由を手に入れることになるのだ。

Part3へ続く

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