「盗作」
小説ネタバレあり。
ヨルシカの盗作を聞いて、小説を読んだ。ある意味ナブナさん自身を投影したその男は、一切名前が出ないまま終わる。
読み終わって思ったことは、既に据わった人には何を言っても通じない、それには覚悟やプライドなんてものはなく、ただ「満たされたい」からやっただけのことなのに、最後の最後で何かに気付いてしまって動けない男が居た。本人自身を投影し、その目的で作ったものにもかかわらず、ただ罵られ議論されたいという欲求を持った男が唯一気付いた「何か」が、鍵盤一つ鳴らしたような衝撃で動かされているのは非常に滑稽な様子だと思った。「何か」はこれまで男が信じえなかったもので、満たしたい穴が埋まっても気づかなかったもの。そしてそのために作られ何度足を運んで帰らせられようが、絶対に「おじさん」を見つけて渡したいものと伝えなきゃいけないことがあった少年に渡されたもの。それに込められている思い。改めて歌を聴くと、遣る瀬無い気持ちになる。
結果的に前作シリーズとの直接的な関連性はなかった。しかし、「前世」という部分と「心に大きくあいた穴」は、絶対に関りがない「とは言い切れない」ものがあった。「前世」には負け犬、そして前作シリーズ、さらには花火と夜行列車。ナブナさんは世界線というよりも共通のコンセプト、考え方でやっているが、いくらなんでも直球しすぎやしないか?と少し思った。どう思っていようがこちらの勝手であるので嗤うのであれば嗤ってほしいところだが、そう思うのが「自然」だと考える。「心に大きくあいた穴」は言うまでもない。ただ言えるのは盗作した男も、エイミーも、何かで満たされない日々が続いたということ。
盗むことは悪いこと。それは誰もがそうだといえることだけど、じゃあなんで悪いことなのか?された側が悲しむのであればそんなのは個人の感情に過ぎず、法で悪いとされているのであれば罪の重さに過ぎない。悪いから皆口を揃えて悪いという。悪いから皆一斉に攻撃する。たとえ謝っても、自分自身が「お天道様」だから叩くことをやめない。この男はそれを望んだ。それを愉快と捉えた。感情と捉えた。感情論になってしまえばなにもかも通用しない。男が教わった師曰く「命を奪う」よりマシだという。肯定も否定もしない、自分自身が満たせればそれでいいという非常に傲慢な言い訳。でも「さよなら以外全部塵」なんて言われたら、もう何も言えなくなる。
改めて盗作の曲1つ1つが小説どおり、むしろ小説から音に変わったそれは、聞き返すと非常に心が重たくなるものである。花人局がエイミーと同じ進行であるのに加え、ただ曲調などをそのままにしただけでなく、歌詞も「それっぽい」ものになっている。あんな男に歌に対する共感の感情が残っているとは到底思えないが、ここまでそれっぽいと不思議と「前世」まで気になってしまう。
自分の文章力ではここまでが限界。でも、確かなことは1つある。
「盗作なんていくらでも代えられる」
この人の人生観、人間観は決して影響されてはいけないし、されるものではない。ただ、音楽観に関して、それだけは、この先一生尊敬に値するものだと感じてるし、勝手に尊敬している。
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