ゆらぎの創業日誌ー2024年を振り返る
もうすぐ2024年が終わろうとしている。会社勤めを辞めて起業したわけだから、人生において大きな転換点になったはずの1年だが、正直そこまでの実感はない。
逆に言えば、それほど順調だったということだ。創業一年目はもっとドタバタするものだと思っていた。金がなくなってヒリヒリしたり、連日深夜まで突貫作業が続いたり、逆に暇すぎて焦燥感に駆られたりということが、ほぼなかった。一緒に創業した仲間がそれぞれの適正にマッチした役割を果たし、それがしっかり噛み合った結果だ。勢いにまかせない「大人な起業」ができたように思う。
YURAGI DESIGNの立ち上げ
改めて1年の軌跡を振り返ってみると、2024年1月に登記し、準備期間を経て実質的な稼働は4月から始まった。社名をYURAGI DESIGNに決め、「学びとコミュニケーションのあり方を変える」ことを主題に置いた。
変化は”ゆらぎ”から始まる。”ゆらぎ”は、個々人の学びとコミュニケーション(意味交換と相互学習)によって生じる。そこから未知の意味や価値が創発されていく。ちょっと伝わりにくいコンセプトかなと思いきや、意外にも行く先々で”ゆらぎ”の評判がいい。多くの人が現状のやり方に息が詰まる思いでおり、なにか”ゆらぎ”を起こしたいと期待しているのだろう。
このコンセプトから一貫して社名、VIに落とし込み、提供サービスへと昇華させることができた。軸となる根と幹から、枝が伸び、葉が茂り、価値が実っていく実感が持てている。思想から一貫性を持ってデザインできている感覚が気持ちいい。そこへの過度のこだわりが今後のスケールを遮る可能性もあるが、今はとことんこだわりたい。
リーダー人財育成プログラム”KAGIROI”
ビジネス的には、自社提供の定型サービスと、テーラメイド型の受託請負サービス(コンサルティング)を安定してまわしていける形が、思ったよりも早く実現できた。
特に、リーダー人財育成プログラムの”KAGIROI”が安定したことが大きい。”KAGIROI”は、「発見・創発型」のリーダーシップとチームコミュニケーションを学ぶためのプログラムだ。この耳慣れないネーミングは、”ゆらぎ”のメタファーとして「揺らめきながら昇る朝日」を思い浮かべ、柿本人麻呂の歌にある「かぎろひ」から取ってみた。日本には、朝の空をあらわすだけでもたくさんの言葉がある。暁、曙、有明…。小さな機微をとらえて言葉をつくる日本的センスは本当に美しい。大切に受け継いでいきたいと思う。
このプログラムの特徴は、いわゆるお勉強・演習型の研修ではなく、参加者が自分のチームや実務にプログラム中で学んだことを実際に使ってみて、振り返りをしながら持論化していくプロセスになっている点だ。リピーターのお客様からは、「OJTに接続するOFF-JTだから意味がある」という言葉をいただけた。
加えて、参加者本人にとっての学びだけでなく、組織への影響を見据えている。運営側から見た参加者の特性や、参加者が抱いている想いと課題感を参加者の上長にもフィードバックする。それによって参加したリーダーの活かし方が変わり、そのリーダーを基点に影響が組織全体に波及していくことを狙っている。人財開発と組織開発の両方を睨んだ設計になっている。
”KAGIROI”のサービス設計やコンテンツには、自分たちが今まで培ってきた思想と知見をぎっしりと詰め込んだ。顧客の課題に自分たちが合わせるのではなく、自分たちが考えるへの共感を基点にしたビジネスがずっとやりたかった。初年度から、僕らのサービスに共感してくださる方々が増えたことが、とてもうれしい。
人財・組織コンサルティング
コンサル事業の方は終始安定はしていたが、ビッグプロジェクトが受注できたわけではなかった。一年目はサービス開発に集中したかったので、結果的にはちょうどよかった。
コンサル事業は、YURAGI DESIGNとしてというよりも、個人売りの側面が強い。では、自分のどこに価値を感じてもらえているかと言えば、専門的な知見よりも、どんなテーマ・ジャンルでも対応できる「情報編集力」だと感じる。これは、単なる整理術とは違うと自負している。情報と情報のあいだから、新しい見方や意味をつくり出すことだ。
仮に情報編集のレベルを3段階に分けてみると、1段階目は「わかりやすく伝わる」こと。2段階目は「人の心を動かす」こと。そして3段階目が「インスピレーションを生む」こと。あたりまえに波紋を起こす一石を投じることで新たな問いが生まれ、議論が巻き起こり、そこから新しい見方が創発される。そんな、「創発を生む情報編集」を目指している。
では、その技能を活かしていったい何をしたいのかと言えば、世界を「にぎわい」のある状態にしたいのだ。今後は、徹底的に標準化されたものと、隙間に生まれる多種雑多なものの二分化がより一層進むだろう。個人的には、多種雑多な側に身を置きたい。「小さきもの」や「変なもの」を大事にしたい。それを生み出す個人や組織を応援したい。そこでは、データとロジックで組み上げる”ゆるぎなさ”よりも、異質による”ゆらぎ”と創発を大事にする編集の力が活きるはずだ。
そんなことを想ったのは、2年前からイシス編集学校で編集術を学び直しているせいだ。編集は方法である。だが、ただのツールではない。それは世界と自分のあり方を再編集するものだ。世界を情報として捉え、情報なら自在に編集可能だと考えれば、自由でいられる。多彩で多様な世界が受容できる。
振り返ると、2024年は学びの多い一年だった。2025年もそうありたい。学びと遊びこそが、最高の贅沢だ。