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GIVEの飽和

書きたいことが無限にあるんやが、わたしが軟弱貧弱なため、更新ができておりません。えへへ。マリエです。

めっちゃ元気なのに夏

めっちゃ元気やねん。めっちゃ元気やねんけど、顔面蕁麻疹、ヘルペス、足の血管が破裂(?)、手首の激痛、過眠症状、いったいぜんたい不調なのはなぜ。

ということで、8月以降、業務委託のお仕事をお休みして、マイペースにマイビジネスをあれしていきます。時間があきますので、みなさまぜひ何かあればお誘いください。キャンプしたいのでキャンプグッズのある人だれか連れてってください。

GIVEの世界で愛を叫ぶ

わたしは、たまに「やさしさアレルギー」みたいになることがある。
やさしさを受けすぎると、申し訳なくて切なくてありがたくて情けなくて愛おしくてつらくなる。不思議な感覚だ。

ここ最近、わたしの世界がやさしさで飽和している。どの方面からもやさしさがくる。やさしさアレルギーのわたしは、それを素直に受け取ることができず、「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」ともどかしい想いになる。まだ、この感情を表現できることばは見つからない。

「やさしさ」の享受には、人それぞれにあった受け皿のサイズがあるように思う。
やさしさをたくさん受け取って「うれし~~もっとやさしくして~~」と思う人もいれば、わたしのように「もうやさしさの許容量がキャパオーバーです!すぐにどこかへ還元しないと!やさしさで押しつぶされる!ぷひゃー」となるタイプもいる。

ということで、エンドレス循環。ギブギブの実。わたしが得たやさしさを多方面に還元させていただきます。まだまだ到底足りないけど。わたしにできることなんてたかが知れてるけど。
わたしの受け止めきれないやさしさを溢れさせてあなたにお届け。何を言ってるんだこいつは。

僭越ながら幸せのシェア

食品セレクトショップをはじめて、等身大にうれしいことがたくさんたくさんある。
自分ではじめないと得られなかったこの喜びが、とても尊くて、でも自分で独り占めしているのはなんだか惜しい気がして。どこに出せばいいかわからないので、ここでぼやきます。

お客様からのうれしいお声

もう、もうもうもう、なんて素敵な方ばかりが、こんなにつながってくれるんだろうと。言葉を尽くして想いを届けてくれる。よろこびを一緒にシェアしてくれる。そんなお客様から直接のお声が届くことが、本当に尊い。
これを「ただうれしい~」と個人の見解で終わらせず、どうやったらこの事業の価値にできるのだろう?せっかくのお客様のお声を、どうやったら個人の喜び以上の価値にしていけるんだろう?と考える。

お客様がたくさんフィードバックをくださる(泣
そしてお心遣いとご丁寧さにまた泣いちゃう
ファンなんて言ってくださる神さまたちよ・・・尊

ちなみに今、ユーザーの2割がリピーター、そして最大オーダー数は5回(オープンして約2ヶ月のあいだに5回・・!!)というミラクルウルトララブリーなお客様たちに支えられている。どんだけ。

そしてわたし自身、お店を始める前から「お客様と同士のような関係」を築きたいと思っていた。「お客様」と「事業者」という区分ではなく、お互い人と人として接したいと思った。

一般的にビジネスにおいては、一人ひとり個別のコミュニケーションが発生するのは非効率だし、一斉に定型的なテンプレ対応したほうがミスも起こりにくく、だれでもできる再現性のあるサービスになる。

だけど、わたしがこのお店をつくったのは、単なる「小売り」をしたかったからじゃない。ちょっと遠回りのように聞こえるかもしれないけど、「ありのままでいいんだよ」ということを体現する場として、このお店を運営している。え、どゆこと。

今を愛そう。自分に素直になろう。

食材も、地域も、人も。何か最新のものを取り入れたり、洗練されたデザインやアイデアで飾ったりする前に、「まずそのまま愛せたらいいな」と思う。
綺麗事かもしれないけど、綺麗事をほざく人種が多少はいてもいい。

人間誰しも、"何者か"になるんじゃなく、「等身大のわたし」で最大限価値を発揮できたら無敵じゃん。
でも、世の中的には「何者かではない私」には価値がないと思いがちである。あんたは、あんたで尊いねんで。(誰や

まずは小売でスタートしたけど、これからもわたしは人生を通して、仕事を通して、「ありのままの価値」を体現したいんだと思う。
マリエはマリエですし、あなたはあなたで尊いです、と。

今のオンラインショップでは、わたしが個人的に好きな食材を取り扱っているけれど、どれもブーム・トレンドなどとは遠く「その地域に根付く、長く愛されるものたち」であり、なーんにも目新しさはない。
それでも、その地域の「あたりまえ」を再度注目して、その普遍的な価値をみえる化する。

「ありのままでも愛される商品」を、そのままお届けする。そして、作り手の人柄や想いを、そのまま等身大で伝える。

お取引先からのうれしいお声

これもまた、わいを泣かせるんや。
ほとんど実績のない、どこの馬の骨かもわからない私に、信頼をして商品を託してくれる作り手さんたちよ。

先日は、商品在庫がないにもかかわらず、お取引をご検討してくださり、わざわざお店にま足を運んでくださった作り手さま。

クマみたいな大きいお兄ちゃんのこのメッセージが嬉しくて嬉しくて

想いを込めてモノを作っている人たちのなかには、仲卸で利益を取られることが「お客さんが損をする」という想いで、あまり肯定的ではない人もいる。
だからこそ、自分で値をつけて自分で直接売るというスタイルを大事にしている人もいる。

そんな中で、わたしがお店のことを話すと
「ちゃんと利益を取らないとだめだよ!」
「あんただったらいくら(の値段でも)いいよ!」
「もっと安くしていいんだよ?」
「値段は高くつけてもらって構いません」

なんて言葉をくださる方々がいる。
あっけなくマリエは泣く。歳とともに涙腺はゆるむ。

だけどきちんと事情を説明して、わたしは安く買いたたきたくない理由を理解していただく。ご説明すると、しっかりみなさん理解してくださる。

日本は今、食料自給率は38%と先進国のなかで最低水準という情報をみた。国の政策で食糧を海外輸入に頼り、自国で食糧生産する能力が減っていく。
そんな中で、食をつくる仕事の人がきちんと儲からなければ、どんどん働く人は減り、結果食料輸入に頼らざるを得なくなる。

自分も含め現役世代の人たちが、食をつくる仕事を担っていけるような産業構造にしていきたいけど、一般流通は大企業がほとんどを握っていて、消費者は大企業が提示した選択肢のなかからしか商品を選べない。

大手の流通に乗るには、資本力があり大量生産ができる企業が有利になり、小規模生産者は価格競争でも勝てず、生き残りが難しい。

わたしたち消費者は、率先して意識的に、大量生産はできなくとも想いをもって良い商品をつくってる人の商品を、昔ながらの製法で人の手を介して作られる希少な商品を、適正価格で買わないと、そのうち本当に大企業の大量生産の商品しか入手困難になる日がくるかもしれない。

だから、「次世代のために適正な価格で卸してください」とお伝えすると、みなさんとてもわかってくださる。そして、たくさんお土産をくださる。(やさしいねん〜

このようなお互いの信頼で成り立つ価値は、お金には換えられない。もちろん、資本主義社会のなかでお金はとても大切なツールだから、それを軽視しているわけではない。
ただ、この「目に見えない価値」が貨幣経済、信用経済、価値経済という複合的で新しい経済活動を生むんだと思う。

そんなこんなで、新しい未来の形を、答えのない道を、いま実験的に歩んでいる。
お取引先様も私のお店の薄利さに「大丈夫!?!?」と心配してくださるけど、なぜか根拠なく「大丈夫な気がします〜!あっひゃひゃ〜」と答えるわたし。

相変わらずおめでたい脳でございます。ほなまた。

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みんなの脳みそマリエ / Schuzlmither
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