見出し画像

「沖」にも「上条」にもなれない。

まずはじめに

このnoteは、3/11~3/20に上演していた「あなたが窓際にいると私には背中がみえる」についてのお話です。ネタバレを気にされる方は、ぜひ劇団晴天さんのほうからご覧になってから、読まれてくださいね。

ご来場いただきました皆様、大変ありがとうございました。

終演してもう10日以上になるんですね。
本当はもっとはやくに世に出す予定だったのですが、まごまごしているうちにこんなに経ってしまいました。反省です。

稽古の話

私はこの劇について、「運営」という立場で参加していました。
ちょっと変わった企画なもので、まあざっくり言うと、「演出助手」とか「制作」のまねごとをやらせてもらっておりました。

演出家の言葉を受けて、真剣に必死になって取り組んで、めきめきと演技が良くなる役者さんたちを見て、この人は本当にすごい人だなと感嘆していたのを覚えています。
たぶん、演劇を信じているのだと思います。決して妥協しないし、方針を変えない、うまくいかないならアプローチを変える、絶対にそこにたどり着けるしたどり着いてみせる、この劇は絶対におもしろいから。
いちばん近くで見せていただいて、すごくすごく幸せでした。贅沢な経験で、本当にありがたかったです。

でもこういうと、ご本人はきっとすごく謙遜されて、その次に「あなたは変な人ですね」っておっしゃると思います。笑

演劇の話

それで、実際にこの演劇がどんな話かというと、ざっくり「仲直り」の話なんですけど。同じ人に傷つけられた二人が、お互いを嫌いになってしまって、それでも仲直りをするお話です。

この物語を通して、役者のみなさん、すごく役について考えていました。
もちろん、いちばんそばで見ていた私も。

後輩の「沖」は、どうして嫌いなのに仲直りって言いだすんだろう。あこがれだった先輩のこと、どうして嫌いになっちゃったんだろう。先輩に守られてばかりで情けなかった? かっこいい先輩が情けなくて幻滅した?

先輩の「上条」は、どうして嫌いなのに許したんだろう。ずっとハラスメントを受けてきたのに、どうしてその人に反撃をしなかった、できなかったんだろう。その人も被害者だって気づいたから? 強いやつって見られがちな自分は、みんなにそれぞれ弱さがあるってわかってて、受け入れられた?

考え込んでいるうちに、昔の自分を思いだしました。

上条みたいに強くあろうとしたし、後輩には比較的かっこつけて、慕われがちだったなあ。
あのとき許せなかった女のこと、成人式の同窓会で鉢合わせても一切目を合わせなかったなあ。
そういえば、人を本気で殺そうとしたことあったなあ。でも沖みたいに未遂じゃなくて、本当に手をかけちゃってたなあ。

そこで、ああ、と思いました。
「私は、沖にも上条にもなれない」
舞台上でもがきながらも、きらきらと輝く彼らみたいには、きっとなれない。

でも、彼らみたいになることもできたかもしれないんだ、って思うと、「わたし」のかけらたちが、ちょっとずつ薄れて、浄化されるみたいな気がしました。
演劇の力ってここにあるんだなって。本当に偉大だなあと思います。こんな物語を紡いで、ここまで揺さぶることができるのは、本当に尊敬します。

余裕の話

ちょっと話は変わるんですけど。
最終稽古前に、「戦争」が始まりました。

参加者の方の口から、ぽろっと漏れたんです。
「大変な人もいるのに、こんなことしてていいのかな」
手が、ぴりっとしたのを覚えています。
そのとき、私が何と答えたかは覚えていないのですが、あれから時間が経って、やっとまとまった私の言葉を、最後にしたいと思います。


人間って、実は物事を同時に3つまでしか考えられないそうです。
大事なことを、3つだけ。
ちょっと普通の人と違う私はもうちょっと少ないかもしれないです。

最近は情報があふれすぎて、洪水におぼれてしまうから、情報源に触れない人もいます。たぶん、3つまでしか持てないからなんだろうと思います。

誰かが大変なことを悲しむことができるのは、行動に移すことができるのは、たぶん「余裕」があって、素敵なことだと思います。
でも、だからといって考えられない人が薄情だってこともないと思います。行動に移さない人が薄情だなんて、それはもっとないです。

ずっと悲しむことができるのも、ずっとそれについて考えることができるのも、私にはできない。だって、私が健やかに生きていくには考えるべきことが多すぎる。だから、できる人のことを心の底から尊敬しています。
でも、できない人がそれを悲観する必要はないんです。

何が言いたいって、つまり、うーん。真面目すぎて困っちゃうな。
人には人の乳酸菌、ってことで!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?