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ラスアス2【感情を揺さぶる唯一無二のゲーム】感想&考察
こんにちわ、まっきーです!THE LAST OF US PARTⅡのプレイを終えましたので、個人的な感想を記載したいと思います!かなり長めの文章になっていますが、何かの参考になればと思い、記事にしていきたいと思います!
※ネタバレが多分に含まれるため、ご注意ください!!!
2周目のプレイを終えて
初見プレイは2020年6月19日の発売日にすぐに本作をプレイ、1週間ほどでクリア。その時は、このゲームの物語の本質や、このゲームが伝えたい事などが全く理解できておらず、まるで嵐が去った後のようでした(;'∀')
そして本作に向けられた賛否両論の嵐。全てが一気にぶつかってきて、その時は混乱していて本作を素直に評価できなかった。そのため、すぐに周回プレイする気にならず、そのまま風化しかけてましたね。
しかし、半年後に再び本作をプレイ、初見プレイ時とは全く異なる感情が沸き、それによって初見プレイでは見えて来なかった様々なものが見えてきました。せっかくなので、それらを記事にしていきたと思います。
ある意味でプレイヤー自身を殺しにきた本作
初見プレイ時は、何と言っても「ジョエルの死」が受け入れられなかった。前作を散々プレイした身としては、もはやジョエルは自分の分身(つまりプレイヤー自身)のような存在なんですよね。
その自分自身とも言えるジョエルが、物語の序盤でアビー達に惨殺される訳なので、このショックは計り知れない。このゲームを酷評している方は、この部分に対する不満が多いと聞くが、気持ちはよく分かります。私もかなりショックで・・・しばらくは放心状態でした(-_-;)
なぜジョエルは殺されたのか?
前作では、ジョエルは”エリーのため”に戦ってきた人間。しかしジョエルと言う人物を俯瞰して見れば、自分の家族のために他人を殺しまくり、ワクチン開発を妨害した、アビー視点からみればただの”悪人”にしか見えない。
しかも、重要な事実をエリーにも”嘘”をついて伏せていたせいで、守るべき存在のエリーにすら、距離を置かれてしまっていた。
ラスアスは誰もが死と隣り合わせの残酷な世界。色んな人から恨みを買っていたジョエルだからこそ、その死はある意味”必然”とも言えますよね。PARTⅡでは前作での行動の”代償を払った”のだと解釈すれば、ジョエルが殺される展開自体には無理はないと感じました。
表向きの「テーマ」と「真のテーマ」
このゲームにおいては「復讐」や「復讐の連鎖」というテーマが念頭にある。エリーやアビーの行動を駆り立てたのはどちらも「復讐」でした。
「復讐」は誰でも分かり易い感情だし、前作をプレイしている方からすれば最も共感できる感情とも言えます。私も初回プレイのときは「アビーたち許さん!」って思ってプレイしてましたね。しかし、このゲームはそんな単純なゲームでは全くありませんでした・・・。
このゲームには複数のテーマがあると思います。そして、そのテーマを理解しているか否かで、本ゲームの感想は相当違ってくると思います。2周目のプレイを通じて、私が感じたテーマについて掘り下げていきます。
一つ目のテーマ『赦し』
復讐の次に感じたテーマは「赦し」でした。
このゲームでは冒頭でエリーがジョエルの嘘に対して「許せず苛立っている」という状況から始まっています。そしてゲームの最後には「一生許せないけど、でも許したいとは思っている」というジョエルとの会話のシーンでこの物語は締めくくられていました。
これはつまり、この物語が「復讐」のためだけではなく、「エリーがジョエルを赦す事が出来るまでの、心の葛藤を描いた作品」であったと私は思いました。
アビーも同様に、父親を殺したジョエルを許せず”復讐心”に憑りつかれ、本来の自分を見失ってしまう。しかも、その復讐の代償として多くの仲間や大切な人を失う。しかし、アビーは本来の自分を取り戻し「復讐の連鎖」に陥ることなく、最後はエリーを殺すことなく「赦し」ます。
エリーとアビーはお互い最終的に相手を「赦す」ことで救われている。特にエリーに関しては、「赦す」相手はジョエルやアビーであると同時に「自分自身」でもあったように思います。
それは「赦せないままジョエルを死なせてしまった」ことに対する罰というか、自責心のようなモノではないかと私は思いました。
”蛾”に隠された『真のテーマ』
このゲームにはエリーの腕のタトゥー、ギター、ロード画面など「蛾」が頻繁に登場します。この「蛾」には本作における真のテーマが隠されている様に思います。
蛾はスピリチュアルの世界において「嫉妬」「好奇心」「誤解」を意味すると言われています。 なぜなら、蛾は蛍光灯や誘蛾灯に誘われて、よく死んでしまう思慮の足りない虫だからです。
しかし、蛾は「再生」や「生まれ変わり」の象徴でもあります。
なぜなら、蛾は卵から幼虫、繭、蛾というように大きく姿を変貌させながら成長していく生き物だからです。
この中でも「誤解」「思慮の足りなさ」「再生」「生まれ変わり」という言葉は、このゲームのテーマとして一致すると思います。
相手の立場を考慮せず、一方的な”復讐心”のみで周りの人間を巻き込みながら復讐を果たそうとする姿。つまり思慮の足りない人間として、エリーとアビーが描かれていますよね。
しかし、やがて二人はそれを乗り越え「再生」していく様も同時に描かれており、”蛾”に本作のテーマが隠されている事は間違いないと感じました。
アビーの物語から見えたもの
ジョエルを拷問して殺した張本人であり、前作ファンからすれば許しがたい相手。当初プレイした時は、アビーに対する嫌悪感が強すぎて、まともにアビー編をプレイできていませんでした。
しかし2周目では、アビーの心情がすごく伝わってきたというか、苦悩を感じる事が出来た。”父の死”というトラウマに囚われ、筋肉という鎧で武装し、ジョエルへの復讐を果たすために、まさに彼女は大切なものを”捨てて”しまっていましたよね。
復讐に囚われ、父の死がトラウマとなった彼女が求めたものは、光のある明るい未来ではなく、”復讐”という暗くて重いものでした。
しかし復讐を果たした結果、最終的に彼女は大切な仲間を全て失います。過去にこだわった結果、今の大切な仲間を失う様は、本当に皮肉としか言いようがありません。
しかし、贖罪のつもりで助けたスカーのヤーラとレブに出会う事によって、彼女の心情に徐々に変化が訪れる。彼女にとってそれは、これまで失ってしまっていた”光”であり、やがてトラウマであった父の死を乗り越えるキッカケにもなります。
仲間を全て殺され、再び復讐心を抱きエリーの元へ向かうものの、最後はエリーやディーナ、トミーにトドメを刺さずに去ります。つまり彼女はこの時点ではエリーより一足先にトラウマを乗り越えている(再生できている)事が分かります。
エリーはどうだったか
ではエリーはどうだったか。エリーはアビーを殺すために、その仲間はおろか、そもそも関係のないWLFやスカーの兵士を次々と殺していきます。まさにエリーがやっている事は、自分が拒絶したはずの前作のジョエルの行動そのものです。
また、エリー自身も徐々に自分の行動に疑念や戸惑いを感じ始め(これはプレイヤー自身も同じかもしれない)、少しずつ自我を失っていきます。特にノラを拷問して殺したあたりからは、完全に心神を喪失をしているように見えます。
これ、ジョエルがエリーに対して弾き語りを披露した、あの曲の冒頭のように感じませんか?
”君を失ったら 我を失ってしまうだろう
ここで手に入れたものすべては 自分ひとりじゃ手に入れられなかった
ろくでなしなこの俺でも 君がいればまっとうな生き方ができる
他人のマネをする まやかしの自分は もう必要ない
だって信じているから 君とならうまくいくと
二人の未来を 信じているから”
まさにエリーは、ジョエルの復讐により”我を失っている”のだと思いました。
PTSDというもう一つの問題
アビーに命を救われ、一時はディーナやJJと幸せに暮らしているエリーでしたが、彼女はまだ”ジョエルの死”という呪縛から解放されていなかった。それはPTSD(心的外傷後ストレス障害)のような症状として度々現れる。
音や光などの刺激により、ジョエルの”あのシーン”がフラッシュバックしエリーを苦しめます。
エリーはこの症状を克服するにはもう一度アビーと対峙する必要があると感じたようです。すっかり人格が変わってしまったトミーからの依頼も後押しとなり、エリーは平穏な暮らしを全て捨ててアビーに会いに行く。
父の死を受け入れ、赦し、レブと新たな人生を歩きはじめたアビー。一方、ジョエルの死という呪縛に苦しめられ、手に入れたはずの幸せな生活さえも捨てざるを得なかったエリー。
”光”を手に入れたアビーと、”光”を捨てざるを得なかったエリー。この時点の2人の状況は、まるで光と影のようで見事な対比となっていますね。
エリーは何を求めていたのか
最後、エリーは何を求めていたのか?杭に縛られたアビーを発見したとき、エリーは殺さずに縄を切りました。殺したいだけなら、この時点で殺せたはず。しかし、そうしていません。
その後、一緒にボートに向かい、一時はアビーとは別のボートに乗ろうとさえしていました。しかし「このまま行かせられない」と言って、「もう戦わない」と拒否するアビーに、レブを人質にして戦いを強要します。
そしてアビーとの闘いに勝ち、アビーを殺せるというところで、エリーはアビーにトドメを刺すことを止めます。そして「もう行って。あの子と一緒に」といい、最終的にはアビーを逃します。
なぜエリーはアビーを許したのか
エンディングの直前、エリーが指を2本失って、まともに弾けないギターを弾き、その後ジョエルのとの会話のシーンになります。会話の中で、ジョエルはエリーに対し、こう言います。
「もしも神様が、もう一度チャンスをくれたとしても…俺はきっと同じ事をする」
つまり嘘をついた事は謝るが「行動そのものは全く後悔はしていない」という強い意思表示です。それに対しエリーは「わかってる」と。そして、
「多分…一生そのことは許せないと思う。でも、許したいとは思っている」
と答えている。ジョエルは「それでいい」と。その時のジョエルの横顔が何とも言えません。ジョエルは何を想っていたのか・・・。
エリーはここで「仲直り」のキッカケを作ったのだと思います。最後に「じゃあ、またね」と言っていますしね。しかも、エリーが初めての巡回中にディーナとの会話の中で「今夜は…ジョエルと一緒に映画でも見ようかなって」と話してます。
つまり、上記の回想シーンのあと、ジョエルとさらに仲直りするために一緒に映画でも見るつもりだったんだと思います。
しかし、この後にあの”悲劇”が起こり、その機会は一生失われる事になる。生前ジョエルをきちんと「赦す」事が出来なかった事を後悔しているからこそ、最後にアビーを「赦す」事が出来たのかも知れませんね。
エリーが最後に得たもの
エリーはジョエルとの回想のあと、ジョエルから引き継いだギターを置いて、家を後にしてエンディングを迎えています。
これはつまり、エリーがアビーやジョエルを赦せないでいた心、PTSDなど全てから解放された状態、つまり「再生」や「生まれ変わり」を表現しているのだと思います。
エリーがどこに向かったかは不明ですが、今までのような「思慮が浅く、簡単に他人を殺め、感情のままに行動する」エリーとは別人になっているのだと、私は思います。
このゲームの悪役はエリー?
あるYouTuberの方が、このゲームの主人公はアビーであり、エリーはその敵、つまり悪役として描かれている、と指摘されている方がいました。
ゲームのパッケージ画像のエリーは、その意図で作られた絵なのではないかと。確かに、プレイしていて私はエリーが”モンスター”のように見えたんですよね。なんせ、見境なしに人や犬をどんどん殺していく訳ですから。
また本作の対エリー戦は、前作の人食い集団のボスである、デビッド戦そのまんまなんですよね。改めてパッケージを見ると怖くなってきました(;'∀')
一方、アビーは序盤でジョエルを殺しこそしするが、その後の行動を見て分かる通り、常に”誰かのため”に行動しています。つまり正しい事をしている。そう考えると、この指摘は的を得ていると感じます。
まとめ
初見プレイの際は賛否が入り混じった感情だったのが、2回目のプレイでは様々なものが見えてきました。特に、アビーに対する嫌悪感は消え去り、むしろアビーの立場でこの物語を見ていたように思います。
一方エリーの行動に疑問を感じる場面が多く、途中からプレイしていて嫌な気持ちになることも多かった。下記シーンで、ノラに暴行を加える際、わざわざプレイヤーにボタンを押させるあたり、絶対に確信犯ですよね(;'∀')
一度エリーを突き放して敵役のように見立て、プレイヤーに嫌悪感を持たせる。そして新しい主人公のアビーに感情移入させつつ、そして最終的にはその中でエリーを成長させる。
『まるで蛾が卵から幼虫、繭、蛾というように大きく姿を変貌させながら成長していくように。』
最初からそう意図して作られているのだと考えると、正直私は鳥肌が立ちました。と同時に「アビーに感情移入させる」という点については、初見プレイではやや無理があったのかな?とも感じます。なんせ、前作ファンのジョエルやエリーへの思い入れは相当なモノのはずですからね。
とは言え、私はこのゲームには『他のゲームでは決して味わえない凄いものを味わえる、唯一無二のゲーム』という評価を送りたいです。このゲームの制作に携わった方々皆さんに本当にありがとう!と言いたい。
決して万人におススメできるゲームではないが、普通のゲームに飽き飽きしている人には持ってこいのゲーム。もしそのような方がいたら、是非ともプレイして欲しい傑作ゲームであると思います。