時間を前に
このブログを書くべきかどうか、半年ほど迷った末に、書くことにしました。
多分、今日書かないと、このまま迷い続けると思ったからです。
もちろん、書いたからといって、何かが変わるわけではありません。
気持の整理ができた、などと綺麗ごとで終わるつもりもありません。
でも、このことを書いておかないと、次に進めないのです。
時計の針が前に進まないのです。
それは、彼も望んでいないはずだから。
HANASOU!をスタートしてから、ほんとは、毎月1回はブログを書こうと思っていました。
少しさぼりながら、前回の更新が昨年の12月。
もう半年も経ってしまいました。
この半年、本当にいろんなことがありました。
このブログに書くことで、読んでいただいた方にとってなんらかのプラスになるようなことも
多々あったと思います。
でも、このことを書かずには、他のどんなことも、書けないのです。
前置きが長くなっています。ご容赦下さい。
そろそろ本題に入っていこうと思います。自分でもどうなるかわかりません。
あるクライアントで導入頂いている、キャリアトレーニングの話です。
そのクライアントとは、もう8年ほどのお付き合いになります。
毎年、10名程度の選抜メンバー(入れ替わる人もいれば、複数年にわたって実施する人もいます)
とともに、キャリアカウンセリング(外部1on1、要するに面談です)や、ビジネス交換日記®、
に加えてキャリアトレーニング(個人の成長課題にピンポイントで対応する様々な研修やトレーニング)
を行っています。
8年もの期間があれば、いろんな事件が起こります。
私は外部の立場ではありますが、研修メンバーや経営幹部の皆さんとともに、乗り越えてきました。
とてもうれしいことですが、
8年ほど前の第1期研修メンバー(当時はみんな若かった)が、今は各営業所のトップとして会社の成長を牽引しています。
幸いなことに、このキャリアトレーニングに選ばれたメンバーは、ほぼ全員が急成長を成し遂げます。
当然ながら、成長スピードには個人差があります。
なので、若いメンバーが急成長する裏側では、これまで会社の成長を牽引してきた中堅層が、
営業所のトップとなった若手を支える立場になることもあります。
年上の部下という立場で。
全体の成長が加速する過程で、必ず生じることであり、一時的に、以前の部下が上司になるようなことがあったとしても、
もう一度、トップに返り咲くぞ、という気概を持って、この研修に参加するようなことも多くあります。
組織として、非常に活性化された状態であり、社長からは、「あの時始めておいてよかった」と言ってもらえる局面だったりします。
やっぱり前置きがながくなってます。
2022年1月5日 多くの企業が仕事始めを迎えた日だと思います。弊社も同じです。
ただ、クライアントも仕事はじめでバタバタしていると思うので、
年始のご挨拶の電話は、翌日の6日にしました。
私「明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。」
クライアント取締役「明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。」
なんとなく、歯切れの悪い声が聞こえました。
ここ数年、感染防止の観点から、直接お会いすることを避けているため電話でのあいさつとならざるを得ませんが、
8年も付き合いがあると、微妙な変化に、嫌でも気づきます。
「森山さん、もう聞きました?」
「何がですか?」
「いや、○○ 亡くなったんですよ。」
???
状況が呑み込めません。
よく聞こえなかったし、なんとなく歯切れの悪い口ぶりだったので、
○○さんが、辞めるとか言い出したのかな?
年末年始、じっくり考えた、とかいいながら、と思ったのですが、
状況が呑み込めず、反応できない私に、再び、現実が突き付けられました。
「○○さんが亡くなった」
そこから先は、二人とも、嗚咽交じりに泣いたことだけしか覚えていません。
12月から、新メンバーで、1年間のキャリアトレーニングが始まったばかりでした。
この研修に参加するのは2回目。
12月はオンラインでの面談実施。
大まかな流れは以前と同じなので、1月の課題(目標達成シート提出)から本格的に始まることを伝え、
面談もそこそこに、次はどこのラーメン屋行くか、そんな話をしていました。
私とほぼ同じ年齢。二人ともラーメンが好きで、面談終わってから一緒にラーメン行くために、
遅い時間から面談の予定を組んだりもしました。(ちゃんと面談は実施してますので、ご安心ください)
ラーメン食べながら仕事の話になるので、結局何時間面談やってるんだ、って話なんですけどね。
新しいオフィスの近所のラーメン屋、かなり開拓もしましたし。
なのに。
翌週のお通夜。他のメンバーとの面談も、涙があふれて面談として成立しないまま1月が終わり2月も同じような状態。
少しずつ、今日は、たぶん泣かずに面談できると思います、と冒頭に話せるように。
彼が追いかけたかった目標とは。
彼が見たかった未来とは。
墓石に刻まれた名前を見ることで、ようやく死の実感が。
もちろん、何も答えてくれません。
人生の儚さ。
ある日突然終わりを迎える命。
未来にむかって一緒にボールを投げたばかり。
そのボールには、自分の本当の目標が書いてある。
必死になって追いかけて、そのボールをキャッチしたとき、
自分の本当の思いを知ることができる。
まだまだ、俺の限界はこんなもんじゃない。
そういいながら、また未来に向かってボールを投げる。
伴走型研修の醍醐味だったりもする。
多くの成長ストーリーを目の当たりにしてきたので
人は、どこまでも成長できることを、私は知っている。
研修メンバーの飛躍的な成長を目の当たりにすることで、
私自身も勇気をもらうことが多々ある。
実際、コロナ禍でも立ち止まらずに、走り続けられたのは
研修メンバーが、環境変化に適応すべく、必死になって自己変革を成し遂げる様を
多々目の当たりにしたから。
ああ、何がいいたいんだろうか。
時間の概念がよくわからなくなってきた。
残された研修メンバーは、必死に自己変革を推し進めている。
この研修を通じて、彼が成し遂げる成長ストーリーも存在したはず。
彼が未来に向けて投げたボールは、今も、未来にむかって飛び続けている。
私がすべきことは、そのボールを追いかけ続けること。
もう、キャッチすることはできないけれど、
どこまでも、どこまでも追いかけ続けること。
やっぱり、支離滅裂な文章になった。
ここにアップしたことを後悔するかもしれない。
でも、次に進むためには、避けて通れない。
学んだことは数えきれない。
箇条書きにして、今風のブログっぽくするとわかりやすいかもしれない。
でも、そんなことはどうでもいい。
私には、
彼が歩んできた道、未来にむかって切り開こうとしていた道が正しかったことを
証明する責任がある。