盗撮依存、満たされてはいけない欲望とどう付き合えばいいのか、難しいね〖ゆる傍聴日記#2〗
用事終わりにふらっと裁判所に来たら、静岡ではなかなかお見かけしない罪名と巡り合う。本日の裁判は「性的姿態等撮影」。
事件は「正当な理由がないのに、駅のエスカレーターで女性のスカート内を撮影した」というもので、追起訴を含めて今回は3人分。
盗撮に「正当な理由」もクソもあるか、とは思うところではある。
鞄の中に漫画で土台を作って小型カメラを設置、好みの女性を追いかけて撮影というなかなか手慣れた犯行。そして、どうも一度目ではない様子。
被告人さんは、おそらく20代~30代くらいで、お顔立ちも綺麗、好青年という雰囲気。別にモテそうなのにな、とか。まあそういう問題じゃないんだろうけど。
被告人質問に入る。終始俯いて、反省している様子。
「盗撮」と「人を敬う気持ち」かあ......。
なんかこう、概念が離れすぎていて、結び付けるには違和感がある言葉。
たぶん、いいお父様なんだろうな。息子が何回も犯罪を起こしても、見放さずに、一緒に根本的解決を目指そうとしてくれるなんて。
ここまで言うって、いったい何回同じことやってるんだろう。
でもやめられないって、怖いな…。いや、女性としては、盗撮されるのもちろん怖いんだけどさ。
検察官からの質問。初めから冷たい口調。
うなだれる被告人さん。
こりゃどうしようもないや。必要なのは刑罰より、まずは治療なんだろうな。
しかし反省の色は見えるのだから、検事さんも、わざわざ嘲笑ったりしなければいいのに、と少し不愉快に感じてしまう。
それでも「盗撮したい気持ちが先走ってしまった」と何度も口走る。やめたくてもやめられないんだろうな。
ここだけはなぜか急に清々しい開き直り。だめだよ?
あ~。検察官が完全勝利みたいな顔してる。
裁判官からの質問では、もう「今回は刑務所に行ってもらうんだけども、」と始まり、「中で何をしますか?」と尋ねられる。
「素直に従って、他人を大事にする心を学び、社会に出ていきたいと思っています」と強く答える被告人さん。
検察官の論告では、「巧妙で手慣れた犯行」として、求刑は懲役1年6月。
弁護人の弁論では、自己分析や被害感情の理解をしようとしていることや、両親の協力があることが挙げられた。
最後に証言台の前に立った被告人さん。
「この度は、被害者の方や家族に迷惑をかけ、申し訳ありませんでした。刑務所で人を尊重する気持ちを学び、真人間になって社会に戻りたいという所存であります。本当に申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げた。
閉廷。
途中でも「刑罰より治療」という話には触れた。依存症の場合、それは間違いないとは思う。
しかし、私は、単に刑罰か治療かの二元論だけですべては解決できないよなあ、なんてよく考えている。
ここから先は、別にこの事件についてというわけではなく、普段私が考えていることを語ってみる。
例えばの話。ちょっとデリケートだけれど。
性的志向が異性の場合は、特に何も考えなくても幸せを享受することができる。対象が同性だった場合、多かれ少なかれ障壁はありつつも、次第に権利が確立されつつある。しかし、その対象が、例えば幼児にしか向かなかったら。死体にしか向かなかったら。欲求を満たすのは、もちろんいろいろアウトだ。
しかし、当事者にとっては深刻な問題だと思うのだ。
たまたま持って生まれた嗜好が違法だったがために、一生苦痛を強いられなければならない運命にある。じゃあ、永遠に発散されない欲望はどうすればいいのだろう。
性の問題に限った話ではなく、人間なら誰しも少なからず違法な欲望はあるものだと思うが、それがたまたま人より大きすぎた場合は、人よりも我慢しなければならない。人よりも生きづらい。
まあこの話に答えなんてないんですけど、多様性なんて綺麗な言葉では片付けられない、消せない黒い欲望のために苦しんでいる人もきっといて、それってけっこう残酷な話だなあと思うんです。
そういう意味で、犯罪行為に走ろうと思わなくても生きていける人間は、生まれつきけっこう幸せなんじゃないか、とか。
結局、こうして犯罪として露呈すると、刑罰か治療かの二元論の中に収束してしまうのだろうけど、本人の苦しみ、生きづらさというのは決して忘れてはいけない点じゃないかな、とか。
まあ、絶対に犯罪はダメだし、難しい問題なんだけどね......。
この被告人さんも、ダメなことはもちろんしてるけど、少しでも苦しみが減る形で解決すればいいなあ、とか、そんなことを考えています。
本当にゆるくなっちゃった。ごめんなさい。