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盗撮依存、満たされてはいけない欲望とどう付き合えばいいのか、難しいね〖ゆる傍聴日記#2〗

用事終わりにふらっと裁判所に来たら、静岡ではなかなかお見かけしない罪名と巡り合う。本日の裁判は「性的姿態等撮影」

事件は「正当な理由がないのに、駅のエスカレーターで女性のスカート内を撮影した」というもので、追起訴を含めて今回は3人分

盗撮に「正当な理由」もクソもあるか、とは思うところではある。

鞄の中に漫画で土台を作って小型カメラを設置好みの女性を追いかけて撮影というなかなか手慣れた犯行。そして、どうも一度目ではない様子。

被告人さんは、おそらく20代~30代くらいで、お顔立ちも綺麗、好青年という雰囲気。別にモテそうなのにな、とか。まあそういう問題じゃないんだろうけど。

被告人質問に入る。終始俯いて、反省している様子。

弁護人「どうしてこういうことをしてしまったと思いますか?」
被告人「人を敬う気持ちがなかったんだと思います

「盗撮」と「人を敬う気持ち」かあ......。
なんかこう、概念が離れすぎていて、結び付けるには違和感がある言葉。

弁「”人を敬う気持ちがない”とはどういう意味ですか」
被「お父さんにも、人を大切にする気持ちがないと言われたので......。これから学んでいけたらなと思います」
弁「被害者に手紙を出しましたね」
被「盗撮する人の心情についての本をお父さんが差し入れてくれて、読んだらいてもたってもいられなくなって.......。許してもらえるとは思ってないけど、謝罪がしたいと思いました」

たぶん、いいお父様なんだろうな。息子が何回も犯罪を起こしても、見放さずに、一緒に根本的解決を目指そうとしてくれるなんて。

弁「反省だけだとまた繰り返してしまうと思うんですが、今後はどうやって生活していきますか」
被「今後はお父さんお母さんの力を借りて、管理下で生活していこうと思います。位置情報をアプリで共有したり、カメラ機能のないスマホにするとか......
弁「ほかには何かしようと思っていますか」
被「性犯罪者を診てくれるカウンセリングがあるので、行こうと思います。1回1万円くらいですが、今のこの状態では、お金がどうとか、そんなの言ってられないので......

ここまで言うって、いったい何回同じことやってるんだろう。
でもやめられないって、怖いな…。いや、女性としては、盗撮されるのもちろん怖いんだけどさ。

検察官からの質問。初めから冷たい口調。

検察官「今まで事件を起こしたときの罰金は誰が払いましたか
被告人「お父さんです」
検「執行猶予の意味を説明してみてください
被「犯罪は犯したけど、一定の情状酌量の余地があって、社会に復帰できる見込みがあるということだと...」
検「前回ダメなら、今回も反省できないんじゃないですか」
被「今までは刑務所に行かないという甘えがありました。お父さんお母さんが精神的に参ったということも聞いて......」
検「お父さんお母さんが精神的に参ったのは前も同じじゃないの」
被「...はい」

うなだれる被告人さん。

検「お父さんがあなたのカメラを見つけて捨てたことがありましたね」
被「はい」
検「そのあとあなたはどうしましたか」
被「......愚かにも、またカメラを買ってしまいました
検「罰金はお父さんに任せてるのに、カメラは自分で買ったんだ(笑)
被「......はい

こりゃどうしようもないや。必要なのは刑罰より、まずは治療なんだろうな。
しかし反省の色は見えるのだから、検事さんも、わざわざ嘲笑ったりしなければいいのに、と少し不愉快に感じてしまう。

それでも「盗撮したい気持ちが先走ってしまった」と何度も口走る。やめたくてもやめられないんだろうな。

検「さっき、カメラ機能のないスマホを持つって言ってましたけど、あなたカメラ買っちゃうんだから、意味なくないですか(笑)
被「いや、カメラがあるってことが良くないと思ってて。僕、スカートの中だけじゃなくて姿も撮っちゃうんですよ。だから、カメラを手元に置かないのが一番だと思ってます」

ここだけはなぜか急に清々しい開き直り。だめだよ?

検「お父さんにカメラ捨てられて、カメラがない環境ができましたよね?それであなたどうしました?
被「......カメラを買いました
検「終わります」

あ~。検察官が完全勝利みたいな顔してる。

裁判官からの質問では、もう「今回は刑務所に行ってもらうんだけども、」と始まり、「中で何をしますか?」と尋ねられる。

素直に従って、他人を大事にする心を学び、社会に出ていきたいと思っています」と強く答える被告人さん。

検察官の論告では、「巧妙で手慣れた犯行」として、求刑は懲役1年6月。
弁護人の弁論では、自己分析や被害感情の理解をしようとしていることや、両親の協力があることが挙げられた。

最後に証言台の前に立った被告人さん。
「この度は、被害者の方や家族に迷惑をかけ、申し訳ありませんでした。刑務所で人を尊重する気持ちを学び、真人間になって社会に戻りたいという所存であります。本当に申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げた。

閉廷。

途中でも「刑罰より治療」という話には触れた。依存症の場合、それは間違いないとは思う。

しかし、私は、単に刑罰か治療かの二元論だけですべては解決できないよなあ、なんてよく考えている。

ここから先は、別にこの事件についてというわけではなく、普段私が考えていることを語ってみる。

例えばの話。ちょっとデリケートだけれど。

性的志向が異性の場合は、特に何も考えなくても幸せを享受することができる。対象が同性だった場合、多かれ少なかれ障壁はありつつも、次第に権利が確立されつつある。しかし、その対象が、例えば幼児にしか向かなかったら。死体にしか向かなかったら。欲求を満たすのは、もちろんいろいろアウトだ。

しかし、当事者にとっては深刻な問題だと思うのだ。
たまたま持って生まれた嗜好が違法だったがために、一生苦痛を強いられなければならない運命にある。じゃあ、永遠に発散されない欲望はどうすればいいのだろう。

性の問題に限った話ではなく、人間なら誰しも少なからず違法な欲望はあるものだと思うが、それがたまたま人より大きすぎた場合は、人よりも我慢しなければならない。人よりも生きづらい。

まあこの話に答えなんてないんですけど、多様性なんて綺麗な言葉では片付けられない、消せない黒い欲望のために苦しんでいる人もきっといて、それってけっこう残酷な話だなあと思うんです。

そういう意味で、犯罪行為に走ろうと思わなくても生きていける人間は、生まれつきけっこう幸せなんじゃないか、とか。

結局、こうして犯罪として露呈すると、刑罰か治療かの二元論の中に収束してしまうのだろうけど、本人の苦しみ、生きづらさというのは決して忘れてはいけない点じゃないかな、とか。

まあ、絶対に犯罪はダメだし、難しい問題なんだけどね......。

この被告人さんも、ダメなことはもちろんしてるけど、少しでも苦しみが減る形で解決すればいいなあ、とか、そんなことを考えています。

本当にゆるくなっちゃった。ごめんなさい。

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