映画鑑賞メモ『ノマドランド』
※映画の内容に触れる記事です。ご注意ください。
この作品は孤独と貧困の中でこの生活を選ぶしかなかった人々の物語だ。
淡々とノマド生活をしている人々の日常が映し出されていて悲壮感より現実をつきつけられたショックで言葉を失った。
事故、病気、身内の死、リーマンショックなどの不運が重なり、裕福ではないけれどコツコツ働いて生活できていた人々の暮らしが一変し金銭的にも精神的にも追い詰められていく。仕事を求めて車で移動しながら生活する彼らは自暴自棄ともいえる状態かもしれないが少し違う。彼らは過酷なノマド生活に疲弊しながらも楽しさと充実感を見出しながら生きているのだ。
主人公のファーンは夫を病気で亡くしており、心の傷と貧困のため流れるようにノマド生活に身をゆだねているが、自由を求めながら自分のペースで孤独に慣れていくためにあえてあの環境に身を置いていると感じた。ノマド生活を送る多くの人が何かしら傷や不安を抱えながら過ごしていて、野生動物のように自身の傷を癒しながら生きている。貧困と車中生活の不便さを取り除けばとても人間らしい生き方なのではないか。
ノマド生活者たちは仲間とのつながりがあり完全な孤独ではないし、働く意欲があるので飢えておらず、スマホやノートパソコンを所持していて情報を得ているし、編み物などのモノ作り、読書など趣味を持っているので暇を持て余しているということもない。ほんとうに彼らの生活は充実しているのだ。生活することそのものが趣味という感じの人も見受けられた。
衣食住は生きる上で絶対に必要なものだがさらに絆、情報、趣味などがあれば人生はより豊かなものになると感じた。どれもたくさんあればいいというものではなく必要なものは人によって異なる。そのことに注目して見てみるとこの映画はより奥深いものになる気がする。ビート・カルチャーやヒッピーを彷彿とさせるシーンもあるがここで語れるほど知識がないのが残念だ。
ノマド生活を選ばざるを得ない人が増えることは社会問題として無視することはできないが、彼らに住居や安定した職や年金を与えるだけでは解決できないことがあると感じた。心の傷や貧困や孤独との向き合い方が人より少し違う彼らは心も体も放浪することが必要なのではないだろうか。
この映画を見たあとに農耕民族と狩猟民族のことを考えた。
農耕民族はひとつの場所にととどまり自然と共存しながら穀物などを育て収穫し計画的に消費していくが、狩猟民族は狩りで食料を調達するが獲物が得られなければ飢えるという不安定な生活をしていた。アメリカ大陸に入植した白人はもともとは農耕と牧畜で生活していたらしいが広大な土地を移動をしながら生計を立てていたであろう彼らを見ていると「狩猟民族」という言葉が頭をよぎる。国土の広さや文化や慣習などが違うせいもあるがとても能動的に生きているという印象を受けるのだ。
ノマド生活者たちは彼らのDNAに刻まれている狩猟民族的思想で仕事を求めて移動しながら車中生活し、苦労はあるもののある種の心地のよさを感じているのかもしれない。
せめて清潔なトイレとシャワーがあり、いつでも無料か格安で医療機関にアクセスできるようなシステムがあれば彼らの生活は少しよくなるのではないか。いや、日本のホームレスやネットカフェ難民の支援を考える方が先かといろいろ考えこんでしまう。今後ますますこのような生活困窮者が増えていくのではないだろうか。
ノマド生活者たちは貧困や悲しみや不安に押しつぶされそうになっても砂ぼこりと傷まみれではあるが自由という羽根をはばたかせながら駐車場や職場で出会う仲間や美しい自然に囲まれれながら懸命に生きている。そのことを映画を通して感染症が蔓延している今知ることができたことは私にとっては財産だ。高見の見物をしているわけではなく何かきっかけがあればあのような生活になるかもしれないと思いながらエンドロールを眺めていた。
とにかく映像が美しく静かな世界が広がっていて、ブルーレイのジャケットにもなっている少女のような白いワンピースにデニムのジャケットを羽織ったファーンがランプを持って夕暮れを歩くシーンは彼女の生き方そのものを表しているようで心動かされた。貧困はこの世からなくなってほしいが孤独は決して悪いモノではないと感じさせてくれる。
ここからは映画とあまり関係ない私の個人的な話なのでお時間がある方は読んでいただければと思う。
2年前くらいまでは年に1回はパートナーと車で旅行していて千葉から四国方面まで行ったこともあるし(私はほとんど助手席だったが)、大阪くらいなら休憩しながら車で行ってしまうので車中泊の大変さもある程度は理解しているつもりだったが『ノマドランド』の車中生活は想像を超える過酷さと生きる力を感じさせられた。特に体力がない女性や高齢者にとっては決して楽な生活ではない。先週デイキャンプに行ってきたのだが過ごしやすい気温でも外で長時間過ごすというのは疲れたし、かといって車の中に居続けるのも窮屈だ。
大学を卒業してぶらぶらしている時、どうしてもロンドンへ行きかったが資金が足りずアマゾンの倉庫で働いていた時期があった。数か月かもっと短い期間だったかったかもしれない。時給はそれほど高くなかったが仕事を覚えてしまえば簡単だし、私は立ち仕事や梱包作業があまり苦ではないことに気づいた。映画にもあったが勤務開始前にリーダーの人が注意点やその日の出荷数などを伝えるのだが高圧的な口調がほとんど同じだったので思い出して笑ってしまった。まるで戦争映画で見た軍隊の指揮官みたいだと思った。毎日時間の追われるので戦争みたいなものなのかもしれない。
おもちゃの梱包フロアや本やDVDのピッキングを担当してわりと楽しく働いていたがここに長くいたら抜け出せなくなるなと感じてお金がたまったらすぐ辞めてしまった。たまにアマゾンで買い物して段ボールを開けている時は梱包してくれた人に感謝せずにはいられない。今も指揮官みたいなリーダーがいるのだろうか。
出展
村田秀一
『農耕民族的思想と狩猟民族的思想』
http://www.ukcnet.co.jp/column/202104a.pdf